やすきよ!さんま!ぼんち!スーパースターの合間に盆踊り歌を披露!?河内家菊水丸の初舞台秘話「えらい洗礼でした」
♪カーカキンキン、カーキンキン♪バイト情報誌のCMソング「カーキン音頭」が90年代に大ヒットした河内家菊水丸さんが10月7日の「くにまる食堂」にご来店。吉本興業に入って初めて出演した舞台の思い出を振り返った。
野村邦丸アナ「河内家菊水丸さんは1980年に当時の「なんば花月」で初舞台を踏まれるんですが、この時は「THE MANZAI」をはじめとした漫才の大ブームが起きて、周りは綺羅星のごときスターだらけだったそうですね。」
河内家菊水丸「初舞台は8月のお盆興行だったんですけど、これはお正月かお盆興行かと言われるぐらいのドル箱なんですよ。ただ出演が決まったのは前年の12月だったんです。その時はまだ漫才ブームの前で、お客さんは年配の方が多いだろうから河内音頭という古典芸能はお盆にぴったりだと思われてたんですね。河内音頭はもともと先祖供養の歌で、盆踊りで歌われてましたから、お盆にぴったりだと出番が割られたんです。ところが、いざ初舞台になったら空前の漫才ブームが起きて、客層も若い人にガラッと変わったんですよ。しかも吉本は無茶苦茶な出番を組むんです。テレビ優先でスケジュールを決めてから劇場に当てはめていくので、トップは「横山やすし・西川きよし」、2番が「明石家さんま」、3番目が初舞台の河内家菊水丸、その次が「ザ・ぼんち」と、もうキャーキャー言われる合間に出ていって、和太鼓と三味線の音色で粋な河内音頭をやっても、そりゃ誰も聞きませんよ。それで昼夜2・3回公演で入れ替えなしですから、僕が出ていったらもうお客さんは笑い疲れてて「ああ、お手洗いの休憩時間だ」と、カバンだけ置いて出ていきはるんです。超満員の立錐の余地もない旧・なんば花月で、カバンはたくさん見ましたね。えらい洗礼を受けました。」
邦丸「そんな河内家菊水丸さんの河内音頭が、どうやって世に広まっていったんですか?」
菊水丸「これは1年間考えまして、当時17歳の高校3年生だったのでロックで河内音頭をやろうとか、ちょうど流行りだしたレゲエで河内音頭をやろうとか、和太鼓をドラムに変えようとか、三味線をギターに変えようとか、17・8歳にしかできないことをやったんです。題材も当時流行っていた竹の子族をネタにしたりとか、それでなんとかお客さんが聞いてくれるようになりました。」
邦丸「以前さんまさんが「菊水丸はすごいんやで、おもろいんや」っていうことをずっと言ってて、他の吉本の売れっ子芸人さん達も「菊水丸いいよ」って推されてましたよね。」
菊水丸「そうですね。特にさんまさんは元々僕が知った頃は座って「鉄砲勇助」とか古典落語もやってましたから、同じピン芸として応援してくださったという側面もあると思います。」
邦丸「大阪の伝統芸能である河内音頭を広めたのは菊水丸さんであることに間違いないと思います。このブームがやがて世界に広がっていくことに関わってくるのが、先日旅立たれたアントニオ猪木さんなんです。」
河内家菊水丸さんと猪木さんのつながりとは?気になる人はradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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