声優でもない鷲崎健はいかにして「アニラジ界の生ける伝説」になったのか?数奇な立身出世に邦丸アナ「ふ~ん」
文化放送で長年パーソナリティを務め“アニラジ界の生ける伝説”とも呼ばれている鷲崎健さんが8月22日の「くにまる食堂」にご来店。声優ではないのにどうしてなぜアニラジの世界に飛び込んだのか、半生を振り返った。
野村邦丸アナ「鷲崎健さんと私はひょっとして以前に接点があったかもしれない。生まれは兵庫?。」
鷲崎健「はい、兵庫県神戸市御影というところに生まれ育ちました。」
邦丸「今から30年前の1月17日、寒い朝に阪神淡路大震災が起きました。東京でも相当揺れてテレビを付けたらとんでもないことになってて、私は文化放送の金曜日の番組終わったらすぐ「すぐ神戸に行け」と言われて、鷲崎健さんの故郷の神戸市東灘区御影に行きました。あれは何歳のとき?」
鷲崎「19かな20歳かな?それぐらいですね。」
邦丸「当時通ってた大阪芸大では2単位しか取らなかった。」
鷲崎「それはどうでもいいじゃないですか!(笑)親にもなんとなくごまかしてるんだから。」
邦丸「その頃は将来どうしようと思ってたの?」
鷲崎「将来どうしようかって思ったことは、まだ人生で一回もないんです。ダラダラしてたらなんとか入れる大学があって、単位も取らずにブラブラしてて。」
邦丸「そもそも、お笑いの事務所に入ってたんでしょ?」
鷲崎「というか、関西って吉本さんと松竹さんが強くて、そういうところに小さい事務所を作ろうとした人がたまたま知り合いだったんです。「健、ちょっと手伝いに来てよ」って行ってみたら、相方と台本が用意されてて「これやってくれないか」って。18歳のときになし崩し的にコントをさせられて、お笑いに興味はなかったんですけど、それなりにウケるから楽しくて続けてた、みたいな感じです。」
邦丸「その事務所が東京に進出するのに合わせて一緒に上京したんだよね。」
鷲崎「そうなんですけど「東京で頑張るぞ!」という感じではなく、当時大学4年生になるのに単位がまったく取れてないことをなんとか親に誤魔化そうと考えて、「オレは芸人の事務所にいて、今が東京に行って一花咲かせるチャンスなんだ」と説得しました。(笑)親は後1年で大学を卒業できると思い込んでましたけど、熱いトークとちょっと涙も流して「今しかないんだ!」と。で東京に行って特に何もせずふらふらしてました。」(笑)
邦丸「パーソナリティとして長年やってますけど、そもそもなんでラジオの世界に入ったの?」
鷲崎「僕は20歳のときに「30歳までふらふらして生きよう」と決めまして、東京に出てきてからも飲み屋の知り合いを手伝ったりしながら、他にやりたいことがあるわけでもなく、30になってもコンビニでバイトしながら「どうしようかなー、30になっちゃったなー」と思っていたら、たまたま文化放送で作家をやってる知り合いが「鷲崎くんギター弾けるでしょ?ラジオ番組でギターを弾いて」って。それで、まだ四谷にあった頃の文化放送に何度か来ているうちに、「喋ってみる?」って言われたんですね。「声優の浅野真澄の番組が始まるんだけど、一人だと心もとないから、君出てくれない。タレントもう一人雇うお金ないんだ」なんて言われて。それで初めて、今に至るんです。」
邦丸「そうなんだよな~。」
鷲崎「だからラジオで喋ろうと思ったこともなかったし、喋りの仕事に就くと思ったこともまったくなかったんです。」
邦丸「へえ~、ふ~ん。」
鷲崎「ふ~んってなに、邦丸さん!」(笑)
邦丸「でもタケちゃんってミュージシャンでしょ?ずっとバンドやってたんだよね。」
鷲崎「ミュージシャンっていうか、これも説明が難しいなあ…。」
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