出場時の甲子園がゲーム化されたが「足が震えて打てない!」真中満の苦い思い出とは?
選手・コーチ・監督、そして現在は野球解説者としてヤクルトスワローズ一筋のプロ野球人生を歩む真中満さんが8月12日の「くにまる食堂」にご来店。甲子園の思い出を振り返った。
野村邦丸アナ「連日、夏の甲子園の熱戦が繰り広げられています。今日のお客様の真中満さんは、1988年の第70回大会に栃木代表の宇都宮学園(現在は文星芸術大学付属高校)の選手として甲子園の土を踏まれ、春の選抜にも出場しました。さて今年の夏の甲子園は入場行進がキャプテンだけでしたね。」
真中満「僕らは小中校ではプロよりも甲子園が目標でしたよね。やっぱり入場行進は思い出になるので、できればね選手の皆さんもやりたかったでしょう。でもこのご時世ですから、しょうがない部分ありますよね。」
邦丸「入場行進をしたときは、やはり嬉しかったですか?」
真中「甲子園の広さとファンの前で行進するのは夢があるというか、「やったな!」「甲子園に来たな!」っていう感じがするんですよ。あれは入場行進をしないと、なかなか味わえないと思うので、今年はちょっと可愛そうな気がします。でも、なにかあって試合ができなくなったら大変ですから、高野連も本当に努力してると思います。」
邦丸「真中さんにとって、甲子園とはどんな存在ですか?」
真中「もちろん子供の頃から目標にして甲子園に出たんですけど、悔しい思い出しかないんですよ。張り切り過ぎちゃって全然打てなかったんです。」
邦丸「伝え聞いた話では、プロに注目されたくてされて、肩にガチガチに力が入ってというんですが、本当?」
真中「もう全部ホームランばっかり狙ってましたね。」
邦丸(笑)
真中「それでファーストゴロとかセカンドゴロばっかり。結局、選抜と合わせて7試合ぐらいやったんですけど、ヒットは4本ぐらいしか打たなかったのかな?春と夏で1割~2割も打ってないんですよ。だからすごい悔しい思い出ですね。送りバントすれば失敗するし、なんかダメだったですね。その時は出場した選手や出場校をモデルにした「甲子園」っていうゲームが出たんですけど、ゲームの選手には「チャンス」っていう数値があって、僕は甲子園で打てなかったので「2」だったんです。チャンス「2」の選手はランナーが得点圏にいると足が震えちゃって打てないんですよ。」
邦丸(笑)
真中「甲子園で活躍した選手はチャンス「5」で打てるんです。でもよく考えたらゲームに足が震えちゃう自分が出るのは高校生にとっては酷ですよね。」
邦丸「当時は、どこかでプロが見てるだろうなと意識をしていましたか?」
真中「今は、いろんなチャンネルがありますけど、当時の高校生ってテレビで中継すること自体まずありませんでした。だから僕らはプロとかじゃなく、テレビを見ている人にいいところを見せたいと思ってましたね。」
邦丸「それでガチガチになっちゃう。」(笑)
真中「チャンス「2」で足が震えちゃうから、最悪ですよ。」(笑)
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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