秋川雅史が「千の風になって」を歌う時、特に苦労していたこととは?
8月4日(木)の「くにまる食堂」(文化放送)にテノール歌手の秋川雅史さんが登場!最初のコーナー「今日のA定食」では、秋川さんがテノール歌手になった経緯や大ヒット曲「千の風になって」にまつわる秘話などをお話しいただいた。
野村邦丸アナ「秋川さんがまだ石川県の小松高校の生徒だった頃、応援団にいましたね?」
秋川雅史「ガクラン着てハチマキ巻いて、応援団やってました。とにかく声が大きかったんで(いい声で笑う)。私ね、副団長だったんです。でも声が大きいから一番最初のエールは『ちょっと秋川やって!』って言われて。で、やった時に、うちの高校は一塁側だったんですけど、三塁側から『(感心するような声で)オーッ!』って」
邦丸「ガッハッハッハッハ! 三塁側にいた相手校の応援団も、後にそれが秋川雅史になるっていう、それ知ってる方はどれぐらいいらっしゃったんですかねえ……お父さんは声楽家でいらっしゃるんでしょう?」
秋川「そうです。高校の音楽の先生で、専門が声楽だったんですね。父の歌声をずっと聴いて育ってたんで、やっぱり声を出すっていうことが知らない間に自分の体に染みついていたんじゃないかと思いますね」
邦丸「本格的に声楽家としてやっていこうと思ったのは、いつ頃だったんですか?」
秋川「これはね、ちょうど声変わりが終わった中学3年生の時に、先生に強引に合唱部に入れって言われまして。で、始めたら『あ、自分って結構歌が上手いかも』と思ったんですよ。で、これで『あ、自分は将来歌の道行くぞ!』って決めました。それで高校入ってから、父親のレッスンを受け始めて、声楽をスタートしましたね。で、大学、大学院、その後イタリア留学に行って、ずっと勉強してきました」
邦丸「順風満帆かといえば、確か秋川さん、手術してますよね?」
秋川「あ~やってますねえ。28歳の時に扁桃腺肥大で声に障害が出るようになっちゃって。扁桃腺ってね、口を開けてのどの奥に見える左右の2つだけじゃないんですよ」
邦丸「えっ! まだあんの?」
秋川「鼻の奥にも、舌の付け根にもいっぱいあるんですよ。で、舌の付け根にある扁桃腺がちょっと声を出すのに邪魔をしていたみたいで。最初はのどの奥のところから切り取って、その後舌の付け根を2回に分けて切り取って。だから3回全身麻酔の手術をしましたね。
邦丸「声楽家として、ひょっとすると命取りになっちゃう可能性もあったわけでしょう?」
秋川「それはね、お医者さんからも言われたんだけど、でもこのままじゃダメだから、とにかく絶対手術したいと思って、手術出来る時は嬉しかったです。それで、3回手術終わったら声も元に戻ってて。『うわ、良かったぁ~!』と思って。歌の道で行くことがもう無理かと思っていたんで、本当に救われました」
邦丸「で、秋川さんの代表曲『千の風になって』が、最初から超大ヒットかといえば、結構そうでも無かったんですよね?」
秋川「そうですね、そもそもヒット曲を目指して歌い始めたわけじゃないんですよ。ま、クラシックの歌い手ですから、世の中にある名曲、それこそベートーヴェンの曲を歌うのと同じような感覚で、自分の表現スタイルで歌ってて、CDもこの曲をシングルで出したわけじゃなくって、アルバムの中の1曲として入れてたんですよ。そしたら何かこの曲の問い合わせが多くって、で『何かこの曲ってすごい力があるな』ってことでシングルカットしたら、その年紅白が決まって。何かねえ、自分が広めたというより、この曲が広がろうとする力に自分が引っ張られていったような気がします」
邦丸「へえ~っ、わかんないもんですねえ。その新井満さんの歌詞の内容も凄いと思ったし、歌い始めた頃は、コンサート会場のお客さんも涙ぐんでたとか?……」
秋川「いやもう多かったですね、あの頃はね、毎回コンサートは格闘で、お客さんの3分の1ぐらいの人はハンカチ持って涙拭いてるんですよ。それ見るとこっちも(涙を)もらっちゃうんですよ! もらったら歌えなくなるから、お客さんの方に向いているんだけど、お客さんを見ないようにして、頭の中で違うことを考えながら、もらわないようにもらわないようにと、耐えるのが大変でした(笑)」
この後、実際に秋川さんがもらい泣きして歌えなくなってしまったエピソードも披露してくれた。詳しくはぜひ、ラジコのタイムフリーでご確認を。
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