水樹奈々は幼少期から父の夢だった歌手を目指して猛特訓! そして……?
4月21日の「くにまる食堂」(文化放送)に、声優で歌手の水樹奈々さんがリモートで登場! 11時台の「今日のA定食」では、水樹さんが歌手になるきっかけとなったお父さんの「夢」のエピソードを中心にお話を伺った。
野村邦丸アナ「4月6日に新曲『ダブルシャッフル』をリリースされた水樹さんですが、歌うことを始めたのは5歳という記録が、インターネット上にも出ていますけども、お父さんが凄かったんですよね?」
水樹奈々「はい、間違いありません。父の子供の頃からの夢が歌手だったんです。で、もし自分に男の子が生まれたら野球選手、女の子が生まれたら歌手にさせたいという『ザ・昭和の夢』があって(笑)」
邦丸「わかりやすいよね! お父さんは歌に関わる何かをやってたんでしょう?」
水樹「私が生まれてから、歯科技工士の仕事をやりながら歌唱講師の資格を取るために色んなところに通って。その後資格を取ってから、私に猛特訓をするように。それこそ、歯を削って粉塵が舞う中で私が歌のレッスンをさせられていたという」
邦丸「へえ~~、厳しかった?」
水樹「厳しかったです~! 学校から帰ってきたらすぐ! 宿題なんかよりも歌のレッスンだと。ちょっとおかしいですよね(笑)」
邦丸「どんな曲を歌ってたんですか?」
水樹「演歌ですね。あと渡辺はま子さんの『桑港のチャイナタウン』とか。♪サンフランシスコのチャイナタウン~のあれです(笑)。父が懐メロが大好きで、灰田勝彦さんの『アルプスの牧場(まきば)』とか。♪レイホーレイホーって、懐メロをたくさん!」
邦丸「その後結局夢を果たすために東京に出て来られて、声優という仕事との出会いっていうのも、基本は歌い手さんになろうと思って東京に出て来られていたわけですよね?」
水樹「最初はそうですね。でも実はアニメとゲームが子供の頃から大好きで、声優さんの雑誌っていうものが当時もたくさん出ていたんですよ。で、『このアニメの役をやっている人はこんな人なんだ~!』ってワクワクしながら見ていると、専門学校の広告が雑誌にもたくさんあって、『声優さんになるための勉強が出来る場所もあるんだ~』と。『東京に行くんだったら歌の練習もそうだけど、声優の稽古もしたいな~』と密かに思っていて、それで上京してから入った事務所にたまたま声優をやられている先輩がいらっしゃって、『そんなに興味があるんだったらサマースクールに行ってみたら?』って誘われて。で、サマースクールに行ったら『これは楽しい!やっぱり私は、声を使って何かを表現するのが好きなんだな~』って思って、それから声優と歌手両方目指したい!と思うようになったんです」
邦丸「世に知られるようになったのは、声優・水樹奈々の方が先だったんでしょ? そうすると故郷の新居浜のお父さんからすると『ちょっと話が違うじゃねーか!』ってなるよね?」
水樹「なりました(笑)。『声優? 何それ?』って言われました。もう『ザ・昭和』の父なので、そういう流行りモノとかに疎くて。『奈々は演歌歌手を目指して東京に行ったんじゃないか? 何だそれは?』と。『私は声を使って表現することにチャレンジしたいから、パパ、両方目指してもいいですかっ? 応援してよ!』って説得をして(笑)」
邦丸「お父さん何ていってました?」
水樹「『まあ、歌手になる夢もちゃんと叶えてくれるならいいよ』って」
邦丸「その後でっかいコンサート会場で歌手として活躍する姿をお父さんはご覧になってるわけでしょ?」
水樹「これが一回も見ることもなく他界してしまって。それだけは私、凄くいつも残念に思っていることなんですけど、母に『こういうコンサート、奈々ちゃんやってたわよ』って伝えて貰うだけで。私が高校生の頃に倒れてしまって、もうずーっと闘病してたので、いつか生で見せたいなって本当思ってたんですけど、その夢も叶わず。紅白歌合戦も間に合わなくて、ちょうど出場した2009年の1年前に亡くなったので。でもその初出場した時の曲が、父への深い愛も込めた曲だったので、『ああ、親子の夢を一緒に叶えたんだ!』って言うのが、その時に凄くありました」
邦丸「でも今愛媛に行きゃあ、お父さんが削った歯を入れてる人も多いんだろうなあ」
水樹「だといいな~っ!(笑)いつも最新の機材を使って歯を作っていた父だったので、きっと長く心地良く使ってくれているんじゃないかと思います」
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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