アナ歴40年!野村邦丸が様々なエピソードを語る連載企画 最終回

アナ歴40年!野村邦丸が様々なエピソードを語る連載企画 最終回

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【野村邦丸 ワタシの履歴書 ~アナウンサー歴40年記念特別連載企画~】

『最終回 これはウチの父です、許してやってください』

2016年1月15日午後7時。
シカゴ ジャパン・ツアー2016横浜公演
の幕が間もなく上がるタイミング、
いよいよ私は「ステージ脇にお願いします」
と声を掛けられ、定位置へと進みました。

ロバートさんのマネジャーが、
ボクのキューでやってくれ、と指示。

やがて場内暗転。
いよいよ開演、という雰囲気が場内に満ちて…。

そして遂に、キュー!

アナウンサー生活35年(その時点で)
すべての思いの丈をぶつけて
「レディーズ・アンド・ジェントルメン、
プリーズ・ウエルカム…シカゴ!」

大観衆のウワ~~!という歓声が上がります。

そしてメンバーたちが次々にステージに向かっていく。

ロバートさん、ジェイソン…。
ジェイソン・シェフは、私を指さして爆笑してましたね。
そして「イントロダクション」の演奏が始まり、
私は客席へと向かいました。

その日、ロバートさんの好意で私の家族もどうぞ、
ということで長女夫婦も一緒だったのですが、
席に着くと娘が
「パパ、コテコテの日本人だったね。
レディース・アンド・ジェントルマンて聞いたときに、
うわ~…娘として、皆さん!申し訳ございません!
これはウチの父です、許してやってくださいって
気持ちになったよ」
って爆笑してましたが。

長女の旦那は
「お嬢ちゃん、ずーっと歌ってましたよ」
って教えてくれました。

考えてみたら、この娘が物心ついた頃から
ずーっとカーステレオで聞かせていたわけですからね、門前の小僧ですね。

嬉しかったな。

彼女、コンサートの間、これ知ってる、
これ知ってる…って、ほとんど立って踊ってた。

そんなこんなで、朝とか午前、早い時間の
ワイドを20年くらいやってきました。

始まりがあれば終わりもある。
去年の夏ぐらいかな。

マンネリは悪い事じゃないんだけど、
これ以上何があるんだろう…って思っていた頃に、
小倉智昭さんが放送でこんなことを言ったんです。

「まあ、変わるとしたらメインが変わるしかないよな」

やっぱね、と思いました。
もう4時間半、俺でやるっていうのは…
限界とは思わないけど、次のステップに
進んだ方がいいよなあ…っていう風に思っていて。

最終的に「ジャパン極」終了ということになった訳です。

もう65だし、この先どうしようかな…
と思ってたら、局の上層部の人に
「気軽に一杯やりませんか」と言われて、
とあるお店のノレンをくぐりました。

「で、邦丸さん、4月以降なんですけど、
11時から13時やってください」って言われて。

「え? またやるの? 完璧に終わると思ってた」

「いやまだまだイケますよ。時間短くなって、
体も楽になるでしょうし。
邦丸さんのトーク聞きたいって人、たくさんいると
思うので続けてください」
って言われて。
ありがたい話です。

で、4月以降は11時から13時まで。2時間です。
今までは細く長くだったんですが、こんどは太く短く。

今までと同じようにユル~い放送しますんで
「くにまる食堂」よろしくお付き合いくださいませ。

還暦から5年。私も年を取りました。
茨城で10年、文化放送で20年。
茨城時代からのリスナーさんも、
最近のリスナーさんもいると思いますが、
ラジオはリスナーとの距離が近いと言います。
でも、あまりそういう距離とか意識せずに、
よく言われる「隣のオジサン」的存在の
パーソナリティと、できることなら、
もう少し付き合ってみてください!

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野村邦丸:1957年1月17日生まれ。川崎生まれ、
日大明誠高校・日大法学部新聞学科を経て
1981年茨城放送入社。
フリーを経て1991年文化放送入社。2017年定年退職、
再びフリーとなる。
「くにまるジャパン極」パーソナリティ。
家族・高校野球・シカゴ(ロックバンド)、
そして酒と肴をこよなく愛する。
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