藤波辰爾の原点は50年前の“押しかけ入門” 12月7日「くにまるジャパン極」
デビュー50周年を迎えたプロレスラーの藤波辰爾さん。12月7日「くにまるジャパン極(文化放送)」では、藤波さんが入門当時の話を披露。何が何でもプロレスラーになりたかった藤波少年は、どのようにプロレスラーへの道を切り開いていったのか?
野村邦丸アナ「藤波さんは大分・国東半島のご出身。ところが当時、大分県はテレビのプロレス中継が映りませんでした。どうしてもプロレスが観たかった藤波少年はどんな行動に出たと思いますか、西川さん」
西川文野アナ「えー、ビデオを取り寄せた」
藤波、邦丸「ビデオなんか当時ないよ」
邦丸「正解を藤波さん、どうぞ」
藤波「屋根に上ってアンテナ動かすと、かすかに四国のテレビ局の電波がひろえたんです。キレイに映らないんだけど、それでプロレスを観てましたね」
邦丸「そんな藤波少年は、どうしてもプロレスラーになりたくて、お兄さんに相談したそうですね?」
藤波「当時、プロレスラーの北沢さんという方が別府温泉にリハビリに来ていて、その噂を兄貴が聞きつけて、北沢さんを訪ねようってことになったんです。その頃、賑やかだった別府温泉の温泉旅館を何十軒も訪ね歩きました」
邦丸「この北沢さんに藤波少年はついて行っちゃうんですよね?」
藤波「“押しかけ入門”です。カバンに下着だとか中学の部活で着てた陸上部のユニフォームを詰め込んで、ついて行きました。北沢さんは僕に2~3試合プロレス観せたら、帰ってくれると思ってたんじゃないですかね?」
邦丸「ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんに初めて会った時はどうでした?」
藤波「馬場さんのデカさに恐怖を感じました。呼吸ができないくらい息苦しくなって『よろしくお願いします』という声も出ませんでした」
邦丸「(笑) 猪木さんは?」
藤波「猪木さんもテレビで観てたカッコ良さというより恐怖でしたよね。『ガンバレよ』って声をかけてくれました」
邦丸「入門当時は先輩たちから『メシ食え』って言われてたそうですが、メシの時間が嫌で嫌でしょうがなかったそうですね?」
藤波「恐怖と重圧でメシが喉に通らなくなったんです。先輩たちはドンブリ2~3杯食べて、それからメシが始まるんですけど…」
邦丸「えっ!ドンブリ2~3杯が前菜なんですか???」
邦丸「それから当時の練習は先輩たちに押しつぶされて『ほーら藤波、逃げてみろ』そんな練習方法だったそうですね?」
藤波「100キロ以上ある先輩が上から覆いかぶさって『逃げろ』って言われても逃げ方もわからない。顔の上にお腹くっつけてくるから息もできない…」
西川「すご~い」
邦丸「古典的な練習方法ですよね…」
50年前、“押しかけ入門”した藤波辰爾さんが、その後、どのようにしてスターレスラーにのし上がっていったのか?気になる方はradikoのタイムフリー機能でご確認ください。
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