「本当はローラースケートが…」桑田佳祐さんも憧れるレジェンド・プロボウラーが明かす意外なボウリングとの出会い ~10月29日「くにまるジャパン極」

「本当はローラースケートが…」桑田佳祐さんも憧れるレジェンド・プロボウラーが明かす意外なボウリングとの出会い ~10月29日「くにまるジャパン極」

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10月29日の「くにまるジャパン極」(文化放送)は日本のボウリングブームをけん引し、今も現役を続けるレジェンド・プロボウラーの矢島純一さんと、ボウリングを愛する元・文化放送アナウンサーの扇一平さんを招き、ボウリングの魅力をたっぷり伺った。

「ビッグ・ジュン」の愛称で今も現役生活を続ける矢島純一さんは日本にボウリングブームを巻き起こした一人。ところが初めてボウリング場に行ったときは、別のスポーツをするつもりだったという。

矢島氏「私がボウリングに出会ったのは高校一年生の時です。その頃は都内にもボウリング場は非常に少なかったんですが、今東京ドームになっている水道橋にある後楽園の黄色いビルのすぐ横に、後楽園ボウリングセンターというのが昭和37年にできました。私は仲間7~8人と後楽園のローラースケート場に行こうとしたんですが、途中でそのボウリングセンターに気づき、なんだろう?と思って行ってみたのが最初です。やり方も投げ方も分からないのでインストラクターの方に聞いたり、周りの人を見たりして、右足から4歩歩くと良いんだな…みたいな感じで投げたらストライクなっちゃった。あとで点数を計算したら友達は90点とか65点とかなんですが私は186点だったんです」

こうしてボウリングを始めた矢島さんは、やがて日本プロボウリング協会設立と同時に第一期創設メンバーの一人になる。一方の扇さんはそんな矢島選手に夢中になったという。

矢島氏「その後、色んな方とお会いしながら、あるボウリング場で日本プロボウリング協会の初代会長になる方と出会い、「これから日本にもプロの協会ができそうだから一緒にやってみないか」と言われたのが第一期創設生メンバーになったきっかけです」

扇氏「矢島さんは神ですから。私は第一期ボウリングブームの時、矢島さんをの素晴らしさを知ってボウリングにハマってしまいました」

――あのサザンオールスターズの桑田佳祐さんも、ボウリングと矢島さんに夢中になった一人だという。

扇氏「僕は神奈川県・茅ヶ崎のパシフィックボールのジュニアボウラーで、もう一人同い年のジュニアが桑田佳祐さんだったんです。それで矢島さんが初めてパシフィックボールに来たときには、満杯になった大人の肩越しに矢島さんの投球を見て、もう大感激しました。桑田佳祐さんも同じように矢島さんを崇拝しています。桑田さんが病気になった時、矢島さんがボウリングやったら?と勧めたのがきっかけで、2019年からはKUWATAカップという大会を始めています」

――日本中を巻き込んだボウリングの大ブームとはどんな様子だったのか?

扇氏「1967年に日本プロボウリング協会ができて、70年8月に中山律子さんがテレビでパーフェクトを出したら大ブームになったんです。もう一気に4000軒近くのボウリング場が日本中にできました。2回目のブームはバブルの時です。ボウリング場にお客さんがたくさん来て、社内ボウリング大会などがたくさん行なわれるようになりました。つまり、ボウリングが盛んな時というのは日本が華やかな時なんです。第一次ブームの当時は、女子プロ選手が一年で100試合以上、男子でも6~70試合ぐらいありました。しかもプロ選手が少なったので、その他に全国から呼ばれて投げるんです。だから投げない日はないぐらい忙しかった」

矢島さんは今でも現役のプロボウラーを続け、一方の扇さんはボウリング大会を開催するなど、2人ともに様々な形でボウリングの魅力を発信し続けている。

「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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