私が外務省職員になったワケ、佐藤優さんが学生時代の夢とは違う道に進んだ意外な理由~10月22日「くにまるジャパン極」
10月22日の「くにまるジャパン極」(文化放送)は、第1・第3・第5金曜日のコメンテーターとしておなじみの佐藤優さんが「くにまるさん、お客さんですよ!」のゲストとして登場!いつものトークではうかがえない学生時代の夢や、外務省職員時代のエピソードを語った。
作家の佐藤優さんは埼玉県の浦和高校から同志社大学神学部に進み外務省に入省する。高校時代にどんな将来を思い描いていたのか?
佐藤氏「高校時代、僕は将来中学校の英語の先生になりたかったんですね。それがだんだん変わっていきました。ただ、中学生のころの夢とは少し形は違うけれど、大学や高校で教えるとか、当時の夢を少しかなえることができているのかもしれません。」
そんな夢を見ていた高校生がなぜ大学の神学部に進み、外務省に行くことになったのか?
佐藤氏「同志社大学の神学部に行ったのはそういう(キリスト教などの)テーマが勉強したかったからで、あるチェコの神学者の研究をしていたんです。そこで留学をしたかったんですけど、当時のチェコは共産圏で、しかもその人(神学者)が反体制派と関わっていたのでできませんでした。それである日、就職部の看板を見ていたら「外務省専門職員」の募集があって、これに合格すればチェコにも行けて、ひと月30万円ぐらいお小遣いももらえることを知り、これは良さげだなと外務省に行くことにしたんです。
申し込むにあたって、第1希望はチェコ語にして、第2希望がスロバキア語、第2希望セルビア語、第4希望ブルガリア語、第5希望でロシア語にしていたんですが、外務省に入る直前の3月の内示でロシア語になってしまったので、実は外務省にはあまり行きたいなと思っていなかったんです。」
外務省の職員は国ではなく語学で派閥があるという。
佐藤氏「外務省は学閥がなく、その代わりスクールという語学閥があって同じ言葉を研修した人が固まる傾向があります。」
しかしロシア語を学ぶため留学した先はイギリス。なぜロシアに行かなかったのか?
佐藤氏「当時はソ連時代で、外交官がモスクワに直接行くと、ロシア語が下手になる特別クラスに入れられてしまうんです。ソ連を建国したレーニンは、外交官は全員スパイであると言っていて、ロシア語ができると情報を取られてしまうことから、できるだけ学校が嫌いになる特別コースを作っていたんです。私は2年目になってから、そこに留学したんですが、授業では例えば「イランコントラ疑惑とアメリカとその同盟国の欺瞞性についてロシア語で議論しなさい」とかやらされます。すると一緒にいるのが、シリア東ドイツの留学生と、ノルウェー共産党員の留学生、日本人でしんぶん赤旗の留学生で、そういう人たちがみんなでアメリカの政策が悪い、それに従属している日本はけしからんとかいじめて、学校に来なくなさせるんです。そこで当時の外務省は、イギリスかアメリカでロシア語の基礎を勉強させる方針だったんです。」
佐藤さんのモスクワ赴任は常識を超えた長期間に及んだという。そのわけとは?
佐藤氏「モスクワは長くて7年8カ月もいました。普通なら外務省の赴任は1か所2年から3年ですから倍以上です。その理由は、ちょうどソ連崩壊があって、いろいろな人脈ができたからです。当時の私は20代後半から30代の真ん中ぐらいで、普通なら裏方として新聞を翻訳したりとか、上司についていってメモをとるなどの仕事をするんです。ただ私の場合は、混乱期だったので、とにかくやれる人がやるということになり、本来なら大使館の幹部が付き合うような人たちとやり取りするようになりました。例えば、直接エリツイン大統領には会えないけど、大統領と会える人とは会える、という感じです。すると日本の要人が来た時にロシアの首相と会わせたいとか、私がいると便利なんですよ。」
佐藤さんには当時培った様々な人脈があり、以前いち早く指摘したアフガニスタンの混乱も、ロシア人からの情報が元になっているという。
「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。佐藤優氏は第1・第3・第5金曜日にコメンテーターとして登場(スペシャルウィークの来週22日も登場!)radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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