札束飛び交う、推薦人は50人必要、昔の総裁選はすごかった!二木啓孝氏語る〜9月22日「くにまるジャパン極」

札束飛び交う、推薦人は50人必要、昔の総裁選はすごかった!二木啓孝氏語る〜9月22日「くにまるジャパン極」

Share

9月29日の自民党総裁選の投票日まで1週間を切ったわけだが、実は自民党総裁選には65年の歴史があり、遡ると面白い出来事が多くあるという。9月22日放送の「くにまるジャパン極」(文化放送)で、ジャーナリストの二木啓孝氏は、自民党総裁選の歴史の中から、支持者獲得のために札束が飛び交ったこと(ニッカ・サントリー・オールドパー)や推薦人が50人も必要だったことを取り上げた。

「自民党の総裁選は遡ると本当に面白い」、二木氏はこう言って自民党総裁選の歴史の中から面白い出来事を紹介した。まずは、ニッカ・サントリー・オールドパーと呼ばれた札束が飛び交った時代についてだ。

二木氏「総裁選規定は公職選挙法ではなく、自民党内のルールなんですよ。普通は広島の河井克行氏、案里氏のように贈収賄になるんですけど、総裁選はならないんです。1970年代に言われたのがニッカ・サントリー・オールドパー。候補者が分厚い封筒を先生どうぞと渡すわけです。候補者2人からもらえばニッカ、3人からならサントリー、全員からならオールドパー。これが平然と行われていたわけです。ただ、田中角栄氏の金権政治が批判されて表面上はなくなっていきました。」

二木氏が次に取り上げたのが、推薦人が50人だった時代だ。現在、推薦人の数は20人必要だが、1982年には推薦人が50人必要だったという。

二木氏「最初、65年前は推薦人なしでした。1971年に推薦人10人が必要になります。1982年にいきなり50人になった。実はこの時、中川一郎という北海のヒグマと呼ばれた元気の良い議員が中川派を27、8人引き連れていました。当時の執行部は、こんなのが出たらガチャチャになっちゃうからと、推薦人50人にしてやろうとしたわけです。さらには、田中角栄氏から“やめとけ”と止められるわけです。」

こうした状況の中、中川氏はどうしたか?

二木氏「福田赳夫氏に、“なんとか貸してください”と言って福田派から足りない分を借りるんです。しかし、この時、中曽根康弘氏が勝つわけです。で、中川氏は心労で病んでしまう。それから推薦人は20人に落ち着きます。」

では、なぜ推薦人は20人なのか?

二木氏「閣僚の数は、15,16人くらいですよね。総理になった時に閣僚が組める人数を確保しなさいということで、20人が定着したということなんです。」

「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。二木啓孝氏は毎週水曜日にコメンテーターとして登場。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

で開く

※タイムフリーは1週間限定コンテンツです。
※他エリアの放送を聴くにはプレミアム会員になる必要があります。

Share

関連記事

NOW ON AIR
ページTOPへ