阪神淡路大震災から30年、それぞれの思いと課題とは?

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毎週日曜朝5時5分からお送りしている「防災アワー」
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1月26日の放送は、阪神淡路大震災から30年、神戸の様子をお伝えしました。
阪神淡路大震災の犠牲者を悼む「1.17のつどい」が開かれた神戸市の公園・東遊園地。
1月17日午前5時前からたくさんの人が集まっていました。
午前5時46分「よりそう 1.17」の文字に並べられた竹灯籠に向かって、静かに手を合わせ、黙祷を捧げました。



父親が倒壊した実家の下敷きになり亡くなったという男性は横浜から来場「これまでの感謝、これからも少しでも力強く生きていきます」と伝えたそうです。
また、6才や8才のお子さんを連れて毎年来ているという28才の女性は「夫のお姉さんが震災で亡くなり、毎年家族できている。体験しないとわからんこともあるけれど、来て学ぶこともある」と。

「1.17のつどい」を立上げた初代実行委員会委員長で俳優の堀内正美さんは、「30年といっても、毎日被災された方から連絡が来て、ぼくにとっては日めくりカレンダーが1枚めくられただけ。毎日が繰り返しだから。この30年で何も社会的システムが変わっていない、人を助けるということがどういうことなのかっていうことが全然されていない。
変えていきたい。次の世代に伝えなきゃいけない、そういう思いでやっている。隣組(となりぐみ)、人とのお付き合い、それしか生き残れないから。隣人を知っているか知らないかによって自分が生き残れるかどうかも変わってくる。非常持出袋は被災された方のために差し上げるバッグを自分が預かっている、と思えばいい。災害が起こったらそのバッグを差し上げればいい。
他者のためにすることによって、いつの日か自分に返ってくる。『恩送り』という日本の文化『震災文化』はそういうこと」



また「語り部KOBE1995」の前・代表 田村勝太郎さんは、当時火災で甚大な被害に遭った新長田駅周辺を案内しながらお話下さいました。
田村さんは震災当時小学校の先生で、家が震災で潰れ避難所となったご自分の勤務先でもある小学校で、避難所の運営にも尽力された方です。
「僕にとってみれば30年たったから、語り部なんてせんでいいかなって思いが片っぽであるわけですよね。でも身内を亡くした人はね、やっぱり1年1年命日がやってきて、何十年だからっていうことは関係ないわけですよね」「阪神淡路で起きたことを検証したり、チェックしてほしい。今は30年経って震災後ではなくて、震災前とも言える。次のものに立ち向かって頑張ってほしい」と。
復興の象徴「鉄人28号」の像の前で写真を撮らせて頂きました。


聞き逃した方はradikoでぜひお聞きください。

気象予報士 防災士 都庁・気象庁 担当記者 伊藤佳子

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