雑誌「ビックリハウス」が果たしてきた功績とは?
1970年代から80年代にかけてサブカルチャーの中心的存在だった雑誌「ビックリハウス」。
12月3日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では、「『ビックリハウス』と政治的関心の戦後史」という本の著者で立命館大学産業社会学部准教授の富永京子に「ビックリハウス」という雑誌が果たしてきて来た功績を聞いた。
小島慶子「『ビックリハウス』というのはどういう雑誌だったのか教えていただきたいんですけれど、どれくらいの部数が出ていたんですか?」
富永「部数としてはそれほど多くなくて公称部数10万部前後でした。この時代だとマンガ雑誌はもっと多かったですし、よく対象にされるのは『POPEYE』とか『an・an』『non-no』です。だから雑誌の部数としてはそれほど多くないんです」
小島「糸井重里さんのイメージが強いですけど、糸井さんは創刊から最後までずっと関わっていたんですか?」
富永「実はそういうわけでもなく、1975~85年にかけての雑誌なんですけれども、糸井さんは3年くらいコーナーをやっていました。他にも村上春樹さんとか坂本龍一さんとか有名な方がコーナーをお持ちになられているんですけど、そんなに長きではないっていう感じですね」
小島「コーナーも読者からの投稿が凄く多かったそうですね。他の雑誌よりも際立って多かったんですか?」
富永「そこが売りだったんだなと思います。糸井重里さんのコーナーも読者のお便りに答えるみたいなタイプでした。だから親密な気持ちが湧きやすかったんだなと思います」
大竹「この時代に『ビックリハウス』に投稿してた人は後に構成作家になったり、この世界にだんだん入り込んでくるんだよね」
小島「読者の男性・女性比率は?」
富永「意外にも半々なんですよ。こういう雑誌で読者に若者が多いと下ネタとか俗っぽいものが多いんですけど、それも男子女子問わずに投稿していたっていうのは凄く面白いところですね」
大竹「女の人が読んでいるとはあまり思ってなかったね(笑)」
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