ラジオキャスターとしての「手塚治虫」のすがた【アーカイブの森 探訪記 #12】
皆さんこんにちは! 先週に引き続き、副隊長に昇格?した隊員千葉とアーカイブの森を探検していきましょう。
今回は、日本を代表する超有名漫画家の「手塚治虫」大先生と文化放送の関係について、貴重な資料を大発見!一体どんな番組に出演していたのか…一緒に思いを馳せてみませんか?
- 手塚先生初登場の回
アーカイブの森で発見した初登場回は、昭和32年6月12日放送の「お便りありがとう」という番組です。この当時、手塚先生は28歳。22歳の頃に「ジャングル大帝」の連載を開始し、24歳では医師免許を取得したうえで「鉄腕アトム」の連載を開始、25歳には「リボンの騎士」の連載を開始と、次々にヒット作を生み出していたため、既に超多忙であったことは想像に難くありませんが、そんな中でも文化放送に出演してくれていました。
番組の内容は、手塚先生ファンの子どもから送られてきた手紙の質問に答えるというもの。趣味ではじめた漫画が病みつきになって患者の顔が漫画に見えて困った話や、投稿漫画が新聞社に採用された時の喜びなどを語りました。
2.お正月の電話相談?!
続いて、昭和39年1月1日放送の「もしもしアワー」という番組に出演していた記録が発掘されました!「もしもしアワー」は、リスナーが電話で生活の知恵を教えられたり教えたりということをテーマにした番組ですが、この日は質問者を有名人に限り、解答者をリスナーに任せる、という仕組みでした。質問者は、手塚治虫さんのほか、俳優の香川京子さん、有島一郎さん、中国文学者の奥野信太郎さんなど、豪華なラインナップ。超人気漫画家の手塚先生の質問に一般人が解答するなんてめったにない機会だったに違いありませんが、手塚先生は一体どんな質問をして、リスナーはどんな解答をしたのでしょうか…。皆さんもぜひ想像してみてください!
3.冠番組「キャスター」スタート!!
さて、ここからが本題と言っても過言ではありません。昭和41年1月10日から、ついに手塚治虫先生の冠番組が放送開始したのです!
番組名は「キャスター」で、放送時間は朝の7時から8時までの1時間生放送。月曜から土曜まで、各曜日のパーソナリティが個性を発揮しながらニュースやジャーナルな話題・交通情報・お天気情報などを提供する番組です。手塚先生の担当曜日は月曜日で、火曜は歌人の寺山修司さん、水曜は指揮者の石丸寛さん、木曜は映画監督の大島渚さん、金曜はアナウンサーの秦豊さん、土曜は芸術家の岡本太郎さんがパーソナリティを務めました。当時の資料によると、「タイトルの意味は文字通りラジオに新しい展望を“投げかけ”ようというもの」だと語られており、当時は「キャスター」という言葉が馴染みの薄い、新しいものだったことが想像できます。
また、手塚先生は番組開始に際して、次のようなコメントを残しています。
忙しくて目のまわるような漫画の仕事の中で云い尽せないことを、
思い切りしゃべって見たい(原文ママ)
さらに、「キャスター」の実施番組表も発掘されました!
こちらが記念すべき初回の資料です。
東京電力さん、日本セメントさん、ポッカレモンさんなど、たくさんのスポンサーさんに支えられて放送されていたことがわかります。その数なんと15社!
10ヶ月の準備期間の末ようやく放送が開始したということが、スポンサーさんの数からも伝わってきます。
また、ニュース・交通情報・お天気情報など、1時間たっぷり盛りだくさんな内容でお届けしていたこともわかりますね!
さあ、きっともっとたくさん資料があるはず!欲が出た私はアーカイブの森の奥深くへと足を踏み入れました。するとそこにはお宝らしき手書きの資料が存在していて………
……………………
この続きが見られるかもしれない?!イベントが、なんと、11月4日に開催されます!
イベント名は「浜祭」。文化放送・増上寺・芝公園と、浜松町一帯で大規模に開催する、文化放送のリスナー大感謝祭です!!
「文化放送アーカイブス」のブースでは、初のパネル&資料展示を実施します。
私たち隊員にも会えますので、ぜひぜひ遊びに来てくださいね!
■『文化放送アーカイブス』
■毎週水曜日 12時更新
■メールアドレス:archives@joqr.net
■推奨ハッシュタグ:#文化放送アーカイブス