鎌田俊哉さんのビューティフル・メロディーズは・・・?
8月23日(金)に放送されたラジオ番組「ビューティフル・メロディーズ~よみがえる青春のポップス」(文化放送 毎週金曜11時38分頃~)では、
ゲストに鎌田俊哉さんを迎え、思い出の洋楽をお聞きしました。
鎌田俊哉さんのビューティフル・メロディーズは
マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン』
鎌田 1971年の1月に発表された曲ですが、1970年は大阪万博があった年でした。
当時私は小学生で、家族と万博に行き、いろんな世界を知りました。
ビートルズが解散したのもこの時期で、兄と一緒に、母に連れられてレット・イット・ビーの映画を観ていましたね。
この曲は、そんな時にFEN(現在はAFN)という米軍放送で知りました。
後になって、ベトナム戦争で傷ついた弟の話を聞いてマーヴィン・ゲイが書いた曲だと知りましたが、ビートルズの解散からベトナム戦争等、日本とは比べ物にならないくらい
いろんなことがあって世界は進んでいるんだと子供ながらに思った曲です。
💡マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」は1971年1月発売。
兵士としてベトナム戦争に派遣されたマーヴィン・ゲイの弟、
フランキーから送られてきた手紙がきっかけで生まれた。
💡手紙には想像を絶するような戦場での出来事が綴られていて、
マーヴィン・ゲイは世界で何が起きているかを知ってもらうために
「ホワッツ・ゴーイン・オン」を制作したと言われている。
💡ただマーヴィン・ゲイが所属していたモータウン・レコードの社長、
ベリー・ゴーディはリリースに反対。
社内の反応も良くなかったが、マーヴィン・ゲイは「だったら残りの曲のレコーディングもしない」と宣言。
「ホワッツ・ゴーイン・オン」のシングルは発売された。
この時、唯一、味方したのがスティーヴィー・ワンダーと言われている。
💡紆余曲折を経て世に出た「ホワッツ・ゴーイン・オン」は、全米チャート最高2位を記録。R&Bチャートでは5週間トップに立った。
シングルのリリースから4か月後に出たアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」は、
アルバム・チャート最高6位、
R&Bアルバム・チャートでは9週連続1位を記録。
マーヴィン・ゲイの最高傑作と言われ、多くのアーティストに影響を与えています。
🌸次回8月30日はリスナーさんのビューティフル・メロディーズをご紹介します🌸
あなたのビューティフル・メロディーズを教えてください✨
・あなたの心に残っている60年代から80年代の洋楽や映画音楽
・その楽曲にまつわる「想い出」や当時のエピソード
を書いて
✉bmpop@joqr.net まで
お待ちしております📱
番組公式Xも是非フォローしてください🎵
公式X
関連記事
この記事の番組情報
ビューティフル・メロディーズ~よみがえる青春のポップス
金 11:38~11:46
60年代から80年代の洋楽や映画音楽を中心に、リスナーの心に響く青春時代の洋楽を、リスナーと同じ時代を生きてきたゲストの思い出とともにお送りします。ネット社会…