アメリカと「独立」の歴史
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務めるラジオ番組「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日~金曜日15時30分~17時)、7月4日の放送にアメリカ出身の詩人・アーサー・ビナードが登場。アメリカの独立記念日であるこの日、アメリカにおける「独立」について解説した。
鈴木敏夫(文化放送解説委員)「アメリカは当時(1776年)、イギリスの植民地だったということで、独立戦争を行っていました。1774年、北米に13あった植民地の代表者が集まって大陸会議をつくって、1776年6月に独立の決議が提案され、フィラデルフィアで開かれた会議で独立宣言が採択された日(が7月4日)だと。独立記念日は独立した日ではなく、独立の決意を宣言した日となります」
アーサー・ビナード「みんながサインした日ですね。独立宣言って、独立する側が言っているけど、英国にしてみれば反逆になる。独立宣言を読むと、当時のイギリスの国王に対し、名指しで『こんなことをする、こんなこともした』『俺たちの基本的人権みたいなものを蹂躙しながら、税金を巻き上げて代表権もなく』という。イギリスにしてみれば恨みつらみを書いてあるんだけど、当然の主張としてそうして、独立した」
長野智子「はい」
アーサー「自分たちの権利が守られない、自分の主張が通らない、この国家から抜ける権利はある。抜けることはあり得るし、それ自体は悪いことではない、という発想でできた。その後に合衆国憲法がつくられる。合衆国憲法がない時点で本当は独立国家じゃない。だから『目指しまーす』みたいな。実現したから一応『あのときに独立した』といえる。11年後、1787年に憲法はできあがるんですけど」
鈴木「ちなみにイギリスとの戦争が終わったのはもっとあとなんですね、1783年。やるぞ、と言ってからまだ戦争をしていた。日本の終戦と一緒で『いつなんだ』という」
長野「なぜそんなに、宣言した日を大事にしたんですか?」
アーサー「たぶん逆算して『あのとき立ち上がったから』。立ち上がって死ぬ覚悟でやったのが建国の父たちだ、と。憲法が成立すると、今度は(1861年~)南北戦争が始まる。100年も経たないうちに国を分解しよう、やめよう、となった。僕にとってはもちろん、独立宣言も南北戦争も昔の話。だけど歴史をたどっていくと、南北戦争って『やっていいのか?』と思う。どういうことだったかというと、南部の州が集まって独立宣言を出した」
長野「さらに独立する、と」
アーサー「そう、南部の州が。合衆国憲法のポケット版が手元にあるけど、抜けることは合憲だと思うんです。州はこういうことしていい、こういうことしてはいけない、と。州の独立制や決定権が大きい」
長野「州ごとに法律が違うし」
アーサー「そうしないと誰も参加しないんですよ。縛られて中央政府に全部とられる、イギリスの植民地時代と変わらないから。連合がそれぞれの権限をすごく大事にして主張して、それが認められた、憲法に明記されたから合衆国が成立した。参加した側は当然、やめる権利があると考える。憲法は、州がやってはいけないことも入っている。国家を脅かすようなことを州がやってはいけない、と書いてある。どっちが本当に正しいのかわからないけど、基本的な認識としては抜ける選択肢があるはず、と」
長野「それが国家を脅かす行為だと受け取った、ということかな?」
アーサー「というかリンカーン大統領とリンカーンの糸を引いている人たちが『これはまかりならん。アメリカ合衆国を脅かす』という主張で、南部に対して軍事会議を始める。南部としては『いや違うよ。建国の精神そのもの。俺たちはいつでも独立できる、第二の独立宣言をしているだけで』と。そこが南北戦争の大きなズレ」
このあともアメリカにおける「独立」の歴史について解説が続いた。詳しくはradikoのタイムフリー機能で確認してほしい。
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