「俺たちはお笑い界のタイガー・ジェット・シンだ」カンニング竹山がコンビで憧れたレスラーを語る
カンニング竹山さんが気になるニュースを取り上げる『ニュース一番出汁』。4月29日の『くにまる食堂』では、春の叙勲のニュースをきっかけに、以前結成していたお笑いコンビ『カンニング』時代の思い出を語った。
――今回のニュース――
今年の春の叙勲の受章者が発表され、各分野で功労のあった合わせて4108人が受章することになりました。このうち旭日双光章を受章するインド出身の元プロレスラー、タイガー・ジェット・シンさんは「日本のすべてのプロレスファンに与えられた栄誉だと喜んでいます。悪役レスラーとして日本プロレス界でアントニオ猪木さんの最大のライバルと呼ばれ、当時ターバン姿でサーベルを振り下ろしていたシンさんは、80歳になっても眼光の鋭さは変わらず「猪木が一番強かった」と振り返りました。
竹山「僕はプロレスが特に好きってわけじゃないんですが、普通にテレビのゴールデンタイムでプロレスをやっていた時代によく見ていたんです。タイガー・ジェット・シンさんって言ったら、キャッチフレーズは『インドの狂虎』。なんでこんな話をするかっていうと、僕は昔『カンニング』ってコンビを組んでまして、テレビに出始めの時、皆さんによく『キレ芸』とか言われて、「お前ら!」と言いながら番組に出るやり方を求められたんですよ。それでテレビの収録だけで多いときは1日8本やるんです」
邦丸「8本も?」
竹山「物理的に無理じゃないですか。でも無理じゃないんですよ。なぜかと言うと、収録が始まってる現場に途中から乱入して「ちょっと待てお前ら! なんで俺を呼ばないんだー!」って訳のわからないことを言って「お前らなんか呼んでねーよ、なんで来てんだよ」、「うるせえ!俺らも入れろ」って、ひと悶着があって。「帰れ!」って言われて「どうもありがとうございました」って帰る、乱入の下りっていうのがあったんです」
邦丸(笑)
竹山「だから『サンミュージックの狂った虎』といわれて、特番時期なんか特に多くて8本やるっていう、そのぐらい仕事をしてたんですよ。その時に、亡くなった中島といつも思っていたのは、俺たちはタイガー・ジェット・シンだと。要するに『アントニオ猪木』さんになりたくて、漫才の世界に入ってきているわけです。やっぱり、とんねるずさん、ダウンタウンさん、たけしさんになりたくて入ってきてるけど、やってる仕事は嫌われてなんぼのもんだと。俺たちはヒールだから、嫌われるなら徹底的に嫌われてやるしかないと。その時にお手本にしたのは、幼い頃見てたタイガー・ジェット・シンさんなんですよ」
邦丸「はいはいはい…」
竹山「試合が始まって、入場でサーベル持って。そのサーベルも先端は実は丸くなってんだけど、お金払ってわざわざ入ってくれたお客さんとか子ども達のところに行って、「ウワーッ!」ってやってサーベルでつつくフリをして、みんなにブーイングされながら、恐怖を与えて試合やって負けて帰るっていういう。まさに、お笑い界のタイガー・ジェット・シンでいたいっていうのがあったんですよ。だからタイガー・ジェット・シンさんがいないと意外と辛くて。何で辛いかと言ったら、人間誰しもそうだけど嫌われたくないじゃないですか。やっぱ歓迎されたじゃないですか。スタッフとか出演者は歓迎してくれてますけど、視聴者はテレビで見て歓迎してないですよね。「またあいつらきた」とか「あいつらうるせえ」とか「あいつらがぶっ壊した」とか。ぶっ壊すのは、頼まれてやってんだけどね」
邦丸(笑)
竹山「当時はXとかなかったけど、『2ちゃんねる』とかに、よくそういうことも書かれていました。けど番組を盛り上げるという意味で、タイガー・ジェット・シンさんの魂を引き継ぐって言ったら、申し訳ないですけど、徹底的にやるならやらなきゃいけないっていうのを心がけてました。だから、これは予想ですけど、タイガー・ジェット・シンさんも本当はめちゃくちゃ辛かっただろうと思います」
邦丸「ああそうか」
竹山「それで、のちにいっぱい出るんですよね、タイガー・ジェット・シンさんの裏話が。実は裏で優しいとか、裏で子供たちと握手してたとか。俺らも結構裏で礼儀正しいとか、結構言われて、嫌だなって。徹底できなかったって思いましたね」
放送では、実は相方である中島さんの方がキレていたという話や、キレ芸の始まりについても振り返ります。トークの続きはradikoのタイムフリー機能でご確認ください。
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