13年前の洗濯物が干されたまま……。被災地の「いま」と「これから」を考える
3月11日「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」(文化放送)、特集コーナーのテーマは「被災地のいまとこれから」。東日本大震災の発生から13年となったこの日、福島の被災地から現地の様子を伝えつつ、福島、そして能登の復興について考えた。
西川あやの「先週木曜(3月7日)、東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故後、営業を休止していた(福島県)双葉町の双葉郵便局が再開し、避難指示が出た11の市町村、すべての郵便事業が再開しました。また、元日の能登半島地震の影響で全然運休が続いていた能登鉄道が来月6日から全線開通すると発表され、それぞれの被災地で復旧、復興が進んでいます。現場がどんな状況なのか。双葉町で取材中の吉田涙子記者を呼びましょう」
吉田涙子「お話がありました、先週再開した郵便局にやってきました。日本にある自治体の中で、郵便局がない自治体って、双葉町だけだったんです。だから最後の郵便局ができたということになります。郵便局の前に赤いポストがあるんですけど、ピカピカなんです。福島県双葉町を簡単に紹介しますと、福島第一原発の5号機と6号機がある町です。私がいますのが、原発から大体3kmぐらい離れたところで、そのすぐ隣りには、中間貯蔵施設といって、除染をしたあとの土、草、木などを30年間ここで保存します、という場所が広がっています。震災の前は双葉町に7140人の方が住んでいたんですね。
ただ、原発事故が起きて、町(の人が)まるごとここから出なくてはならない、ということになりました。つまり住民が0に。その期間がとても長かった。11年5ヶ月、人がまったくいない町になったんです。一昨年8月に、ようやく『住んでもいいですよ』という場所ができたんです。被災地した自治体でいちばんあとに人が戻ってきた町となります。でもどこでも住んでもいい、というわけではなく、面積でいうと町の15%。いまも85%は帰還困難区域として入ってはいけない、となっています。
7140人が住んでいた、とお伝えしましたけど、いま何人が住んでいるかというと、まだ102人なんですね。きのうから取材して町をまわっていますが、ほぼ更地です。11年5ヶ月で家が朽ちてしまった、転居してしまった、というのがあるし、郵便局がある通りは、かつて商店街のように栄えていたので、大きな商店のような建物があるんです。営業しているのかな、と思って行ってみると、カーテンや障子が朽ちてボロボロになっていて、まったく使われていないんです。
でも駅のすぐ脇にはとてもオシャレな住宅、いま39個、新築の集合住宅ができていて。うち38個は誰かが住んでいる、という状況で。5月には86個、完成予定なんですね。少し外れたところに『大きなお宅がある、行ってみよう』と思ってみると、原発事故で一刻も早く避難しなければいけなかったんだ、というのがわかる光景があって。洗濯物が干したままになっているんです。取り込む暇もなく逃げなければいけなかった……」
復興を目指す双葉町の伊澤史朗町長から、能登半島地震の被災者の方々に向けたメッセージももらった。伊澤町長は「倒壊した建物や住宅などを修復することももちろん必要」としながら、「人と人との心のつながりがいちばん大切のように感じる」「発想を変えるのは難しいと思うが、これだけ大変な思いをしたから、もう下はない。どんどん上昇していくんだ、と思っていただければ」など、人同士のつながりや心の持ちようの大切さを語った。
山内マリコ「故郷だから、そんな簡単に離れられない、不都合があってもここにいたい、という方の姿をニュースで見ている中で、双葉町を離れるときにどれだけつらい気持ちだったのか。能登半島地震があったから、というのもあって、より生々しく感じますね」
田村亮「一度離れて、離れた場所で住むときにも覚悟しているじゃないですか。そこで腹を据えた人は戻らないし。そうなると復興も、どれだけのバランスで行なえばいいか難しくなる、というのもわかります。(戻る、戻らないの)どっちも判断は正しいじゃないですか。能登もどうなっていくか、というのが心配になります」
西川「毎年3月11日になるといろんなことを伝えていろんなものをメディアで見ます。当時のままの洗濯物がある、というところを普段から思って、どう行動するか。何を優先するか、というところですね」
「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」は毎週月曜~金曜の午後3時30分~5時45分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
※タイムフリーは1週間限定コンテンツです。
※他エリアの放送を聴くにはプレミアム会員になる必要があります。