「交通情報は自分で電話して聞いてました」川中美幸が往年の『走れ!歌謡曲』苦労話を明かす
文化放送『走れ!歌謡曲』で初代歌手パーソナリティを努めた川中美幸さんが2月26日の『くにまる食堂』に登場。今ではちょっと考えられない昔のラジオ番組を振り返った。
邦丸「川中美幸さんと文化放送とのお付き合いは、もうめちゃくちゃ長くて、『川中美幸 人・うた・心』という番組は、夕方に流れてたんですよね。それを聞くと、ああ、もう今日はおしまいだなあって時計代わりになるんですよね」
川中「(笑)色んな人に言われます。母の執刀医の先生が、水泳教室に行くバスに乗ると、運転手さんがもう毎日、文化放送を聞いてるんですって。で退院するとき「僕はそれを聞きながら、よくバスに乗ってたんです」って言われて、あ~時の流れを感じるなと思いました。嬉しかったですね」
邦丸「『人・うた・心』は全国ネットで35年!今お母様の話出ましたけど、文化放送で川中美幸さんに関わってない人間も、渋谷にあるお好み焼き屋さんに行くと、お母様からの温かい、ご助言・アドバイスを…「もっと飲みなさい」って言われてたって。(笑)」
川中「売り上げが肝心ですから。(笑)」
邦丸「俺も3回ぐらい行きましたかね」
川中「毎度ありがとうございます(笑)」
邦丸「テイチクで在籍年数47年。だいたい歌手の方って、途中でレコード会社を移籍されることが多いですけど、ずっとテイチクなんですね」
川中「そうですね、本当に良い時も悪い時もずっと支えていただいて。今は若い社員さんからデビュー当時のことを「ディック(ミネ)先生って当時どんな方でしたか?」とか本当に聞かれることが多いんですよ。 「三波(春夫)先生はどんな方でしたか?」とか。私ももちろんデビューした頃は一番若かったもんですから、これも時の流れを感じますね。でもその先輩方とお付き合いができた、関わり合うことができたってことがすごく私にとって財産ですね」
邦丸「川中さんっていうと、『人・うた・心』もそうだし、『走れ!歌謡曲』のパーソナリティもそうだし、本当にラジオパーソナリティって肩書きがついてもおかしくない感じですもんね」
川中「いやいやもう、最初、『走れ!歌謡曲』で川中美幸って言われた時、私、何の知識もないし、ただゲラゲラ笑ってるだけなんですけどって言ったら、「それがいいんだ」って言われたんですよ。深夜番組でトラックの運転手さんがとにかく眠らないように「川中美幸を」っていうことで。それでもう間違いだらけですよ。あの頃、ファックスも何もないから、道路交通情報センターは全部自分で電話を取るんですよ。」
邦丸「じゃあ情報を取って自分で書いて?」
川中「そうなんです。『走れ!歌謡曲』の川中美幸ですって言って、あの~道路状況を教えていただけますか?って。一回しか言ってくれないから、それを書くのが大変だったんですよ」
邦丸「そんな時代だったんだ」
川中「聞いたこともない地名が出てきて、本当に生放送で何回か舌噛んだか。(笑)でも、それで鍛えられて、今コンサートで割と詰まらずに、割りと流暢に話ができるっていう…まあ自分で言うのもなんですけど。(笑)噺家さんじゃないんですけど、電車に乗って人間観察をしてみたり、それをネタに話したり、そういうことができるようになったってことがすごく収穫だったなと思いますね」
このあとは、去年12月30日に亡くなった八代亜紀さんとの思い出を伺います。トークの続きはradikoのタイムフリー機能でご確認ください。
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
※タイムフリーは1週間限定コンテンツです。
※他エリアの放送を聴くにはプレミアム会員になる必要があります。