「留年しまくって甲子園でてる高校球児みたいな感じです」第1回キングオブコント決勝進出し今も戦い続けるザ・ギース
早稲田大学中退の高佐一慈さんと、明治大学卒業の尾関高文さんのお笑いコンビ“ザ・ギース”が2月5日の『くにまる食堂』に登場。高学歴な2人がなぜ芸人の道に進んだのか伺った。
邦丸「ザ・ギースの2人はコンビを組んで20周年。高佐さんは北海道の函館ラ・サール高校から早稲田大学理工学部に進んで、尾関さんは千葉県の柏南高校から明治大学に進んで、どちらも東京六大学ですよね…なんで?」
高佐・尾関(笑)
邦丸「早稲田・明治で、周りは就活のときなんか「どこの会社に入ろうか」って言ってんだろうけど、なんでお笑いだったの?」
高佐「僕はもともと函館から東京に出てくるときに、すでにお笑い芸人になりたいなってのがあったんですよ。函館って北海道の中で一応第三の都市ですけれども、まあ田舎っちゃ田舎なんで、やっぱりお笑いやるには東京に出なくちゃいけないなっていうのがあって。あと家が厳しかったっていうのもあり、東京に出る口実というとやらしいですけれども大学に入ってお笑いやりたいなと」
尾関「高佐の親父さんは、塾の経営をされて、すごいガチガチの学歴主義の方なんで、僕と組むとき、相方を選ぶ時に『そいつの大学はどこなんだ?』って聞いたんですよ」
邦丸(笑)
高佐「明治大学だって言ったら、じゃあ大丈夫だと言ってました」
邦丸「我が母校の日大だったら微妙だったかもね。尾関さんは広島で生まれていつまで広島に?」
尾関「僕は小学校までしかいなくて、中学校からずっと千葉県の松戸市とか柏市のあたりに住んでる感じですね。高校入って、ちょっと一浪して大学に行って、お笑いをしたという」
邦丸「高校の時はバレーボール部なのに、広島カープの入団テストを受けようと思ったって?」
尾関「そうなんです。20年ぐらい前のカープは、基本的にはちゃんとプロの契約があるんですけど、フリーに受けていい機会が毎年あったんですよ。酔っ払いのおじさんとか、謎の男性とか、いろんな人が受けに来る時代があって、もうそれなら受けれると。僕は背が高いんでピッチャーでいこうと思って」
邦丸「バレーボールでしょ?(笑)」
尾関「バレーボールですけど、やっぱり似たものはあるわけですよ、肩の動きとか。それで200球ぐらい毎日投げたら、2ヶ月後に肩を壊しまして。肩が1mmも上がらなくなって、もう断念ですよ」
邦丸「えっ受けられなかったの?悔しいねえ」
尾関「受けれなかったんですよ、未来のエースが」
邦丸「2人の出会いはいつだったんです?」
高佐「大学でお笑いサークルに入るんですけれども、各大学対抗お笑いバトルみたいなのがあって、そこで出会った感じですね。だから別々のコンビとかトリオで最初は出会ってるんですけど、それが解散して組んだみたいな感じです」
邦丸「そしてキングオブコント決勝まで行ったと」
高佐「2008年にキングオブコント第一回がありまして、僕らそのときに出させてもらってるんですけど、バナナマンさんとか、優勝はバッファロー吾郎さんで、ロバートさんとか、そうそうたる面子の中に入れさせてもらいまして。で、そのうちバナナマンさんは審査員側になり…」
尾関「僕らはまだ審査受けていますよ!」
高佐「その審査員すらバナナマンさんは卒業されて。僕らはまだ戦ってる。留年しまくって高校野球出てる高校球児みたいな感じです」
このあとは解散も考えた苦悩の時代やキングオブコント裏話、そして楽器のハープを始めたきっかけなどをお聞きします。トークの続きはradikoのタイムフリー機能でご確認ください。
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