夜中にサイレン、銃撃も? パレスチナ・ヨルダン川西岸地区、現地の様子とは?
2月1日「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送)にフォトジャーナリスト、安田菜津紀さんが出演。昨年から今年にかけて滞在したパレスチナ・ヨルダン川西岸地区について語った。
大竹まこと「今回はヨルダン川西岸地区(について)。いまガザではとんでもないことが起こっています。西岸はまだ穏やかなんじゃないかというと、そうでもない、というお話をしてくださいます。ヨルダン川西岸には昨年12月18日から今年1月5日までいらっしゃいました。1月19日には能登にもお入りになっています。西岸地区ですけど、ここはガザに比べて、まあ、まあ……と伝え聞いていますが、現地はどうですか?」
安田菜津紀「ヨルダン川西岸地区という名前にあまりなじみがない、という方も多いんじゃないかと思います。最近の報道ですとパレスチナ自治区と示されるところが地図上で2箇所に分かれていると思います。ひとつはガザ地区、もうひとつはヨルダン川西岸地区と。面積はだいたい日本の三重県ぐらいと想像していただければと思います。『自治区』といわれるんですけど、実質パレスチナ自治政府が行政、治安、両方の権限を持っているのは西岸地区の20%に満たない地域なんですよ。多くの地域がやはり、まだ占領者側であるイスラエル側が行政、治安の権限を持っていて」
大竹「はい」
安田「12月7日にガザへの侵攻が起きる前から状況はひどかったんだよ、とおっしゃる方もいるんですけど、やはり締め付けがその日以降、特に厳しくなっているという肌感覚を持つ方も少なくなかったです」
大竹「番組では現地に行ったときの音声をお届けすることになっています。銃撃なども含まれているんですか?」
安田「そうですね……。私たちがヨルダン川西岸地区の中で、最初に比較的長く滞在したのが地区の中でも北側に位置しているジェニンという町なんですね。その中に難民キャンプがあるんです」
大竹「はい」
安田「少し難民キャンプの話をすると、歴史をさかのぼって1948年にイスラエルがこの地で建国されますね。ここに建国します、といった地域は、人がいない空洞に国ができたわけではなくて。そこにもともと暮らしていたパレスチナの人たちがいて、イスラエルが建国される過程の中で、自分たちの故郷が暮らせなくなった。その中で虐殺、戦争が起きた。そういう人たちが土地を追われて、ガザ地区なんかは人口のおよそ7割が土地を追われて難民とならざるを得なかった人たちや、その子孫だといわれているんですね」
大竹「はい……」
安田「西岸地区にも複数の難民キャンプと呼ばれるところがあって、私たちが滞在したジェニン難民キャンプは、本当であれば西岸地区の中でもパレスチナの自治政府が治安、行政、両方握っているはずなんです。でも最近は民家に、自分たちの治安維持のためだとイスラエル軍が突然、襲撃してくるということが頻回になっているという地域です」
大竹「なるほど」
安田「滞在した初日の夜、おうちに泊まらせてもらったんですけど、夕飯を食べてお茶やコーヒーを飲みながらおしゃべりして、そろそろ寝ようかな……と思っていた夜12時半ごろにサイレンが鳴り始めて銃撃戦が始まった、という、そういうときの音声を用意しました。(音声について)ビックリしてしまう方もいらっしゃるでしょうから、サイレンが鳴ったり、銃撃の音が鳴ったりしますよ、ということは先にお伝えしたいと思います」
放送では実際の音声もオンエアされ、コーナー終盤では安田さんが能登地方を訪れた際の話も語られた。詳しくはradikoのタイムフリー機能にて。
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