【第100回箱根駅伝】2年ぶり7度目の総合優勝!青山学院大学優勝会見の模様
第100回箱根駅伝。大会新記録となる10時間41分25秒で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした青山学院大学の会見の模様です。
――今回の総合優勝について一言ずつ
原晋監督
「1月1日能登震災(令和6年能登半島地震)が発生しました。本来であれば、お正月は家族団らんでおせちやお雑煮を食べながら、箱根駅伝を観るという方が数多くいたかと思います。ただ、今回の災害で、今でも苦しまれている方がいます。そのような中で箱根駅伝開催に対して、まずはお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。今回『負けてたまるか大作戦』と称しまして、2日間を戦ってきました。12月前半から中盤にかけて、『箱根駅伝の優勝なんかできっこない……』と自分たちでも思うほど悪いチーム状況でした(12月にインフルエンザ集団感染)。それを3週間でなんとか復活させて優勝することができました。これも私が20年間かけて作った原メソッドを、7年間、早稲田大学の大学院に通い、体系化させてデータ化させた基本軸があるからこそだと思っています、12月のアクシデントがあっても、トレーニングを柔軟に対応できることができました。結果として大会新記録の優勝に繋がったと思っています」
1区・荒巻朋熙選手(2年)
「目標の(先頭から)最低20秒以内というところには届かず、個人的には目標に及ばない走りになってしまいました。ただ1年を通して、4年生の皆さんに支えられたなと感じています。ハイペースで入って15kmすぎに1人になった部分や、六郷橋のところで後ろの集団に追いつかれてしまったときには、すごくプレッシャーがかかりましたが、最後の3kmは、今まで支えてくれた4年生のことを思い出し、なんとか前に追いつけるタイム差で2区の(黒田)朝日に渡すことができました。今日はチームに感謝しています」
2区・黒田朝日選手 (2年)
「個人の走りとしては荒巻(朋熙、2年)が9位で襷を持ってきてくれて、前を追う展開の中で走り出しました。今日のレースプランとして、前半は余裕を持って入り、権太坂の坂に入ってからペースを上げていくレースプランを立てていました。前半は大集団での走りの中でも柔軟に対応して、自分の走りを貫いて理想的な走りができてのではないかと思います。区間賞&日本人歴代2位のタイムで走ることができ、会心の出来だったと思っています」
3区・太田蒼生選手 (3年)
「今回のレースは想定通りのレースで、出走前からイメージしていたようなレースを展開することができました。その要因は、1区、2区の後輩達がすごく良い位置で襷を持ってきてくれたからこそだと思っています。本当に総合優勝できたということが素直に嬉しいです。これから2連覇、3連覇を成し遂げていく第一歩が踏み出せたのではないかと思っています。個人としても区間賞を獲ることができ、日本人として初め1時間を切れたことは今後の自信にもなりますし、来年以降の大会や今後の個人のレースに関しても活かしていけると思っています」
4区・佐藤一世選手(4年)
「レース内容としては1、2、3区が先頭で襷を持ってきてくれたので、自分は後続との差を引き離して楽しんで走るだけだなと思いました。レースプランとして、前半はハイペースで入り、後半は耐えるようなレースプランを想定していました。そういった走りをしようとした中で、後半はキツくなりましたが自分自身、青学で走る最後のレースになるとか、走れなかった同期のことを思い浮かべると自然と力が湧いてきて最後粘ることができました。自分たちの世代で箱根を優勝しようと1年目から目標を掲げてきて、後輩がついてきてくれたおかげだと思っています。本当に全員で勝ち取った総合優勝でした」
5区・若林宏樹選手 (3年)
「襷をもらった順位は、良い意味で想定していませんでした。1区から各区間の選手達が最高のパフォーマンスを出し続けてくれたおかげで、1分以上差を広げてリラックスした状態で走り出すことができました。雨が降る難しいコンディションの中でしたが、沿道で応援されている方々の声援を受けて勇気や元気をもらいました。最後の下りでは、ようやく体が動いてきてなんとかペースアップすることができました。1年目と同様にフィニッシュテープを切らせてもらって本当にありがたいなと思っています。この総合優勝というのはチーム一丸となったからだと思います。心から嬉しいです」
6区・野村昭夢選手(3年)
「自分の仕事は往路のみんなが広げくれたタイム差をもっと広げて、7区以降の選手に楽に走ってもらえるようにすることだと思っていました。走り始めると想像以上に体が動いて差を広げられたのは良かったです。ただ個人の目標であった57分台と区間賞を獲れなかったのでその部分は悔しかったです。総合優勝ができたのはここにいる10人だけ出はなくて裏方に回ってくれたメンバーのおかげだと思っていて本当に感謝しています」
7区・山内健登選手(4年)
「今回、往路組と復路組が頑張って繋いでくれたので、自分の役目としても2位以降と差を広げることだと思っていました。しっかり走れたのは素直によかったと感じています。ただ、後半は上りでペースが落ちてしまって、下りでリズムを取り戻す展開になってしまったので少しきつくなってしまいました。区間賞を獲れなかったのは悔しかったですが、総合優勝できて本当にうれしいです」
8区・塩出翔太選手(2年)
「7区の山内さんが笑顔で襷を渡してくれて、自分もやるしかないと思って走りました。レースの前に監督から電話があって『遊行寺の坂までは余力を残していこう』と言われたのですが、青学らしい走り=積極的な走りなので、自分も区間新記録を視野に入れて走りました。結果としては坂で失速してしまって区間記録は出せませんでしたが、目標としていた区間賞を獲れましたし、(下田裕太さんが持っていた)青学記録も更新することができたので素直に嬉しいです。9区には高校時代の先輩、倉本(玄太)さんが待っていてくれたので、強い思いを持って走ることができました」
9区・倉本玄太選手(4年)
「走る前から区間記録を超えようと思って走りました。前半は自分の中で良い流れで走れていたのですが、後半がきつくてなかなか伸びず、目標としていたタイムには届きませんでした、ただ、区間賞という形で後ろを引き離すことができたので最低限の仕事はできたと思っています。ただ区間賞を獲ることができたのも1区から8区の選手がしっかりいい走りをしてくれて、後ろと離れた状態で走らせてくれたからだと思っています。最後の箱根駅伝で区間賞が獲ることができてとても幸せな気持ちです」
10区・宇田川瞬矢選手(2年)
「10区を任せてもらったのですが、自分的にはあまりよくない結果で終わってしまいました。でもチームの結果としては総合優勝という結果で終わることができました。7分差で来てくれたらいいなと思っていたのですが、本当に6分30秒差で僕のところまできてくれて、1区から9区の先輩、そして同期には本当に感謝しています。自分は途中から中倉(啓敦=区間記録保持者)さんの記録を破るということ意識していました。でもスタミナの面でまだ課題があると感じました。この部分を克服しもう一度、来年の箱根駅伝も狙っていきます」
7区・山内健登選手(4年)へ向けた個別質問
――コロナ禍で入学してから4年目で初めての箱根路。どんな4年間だったか?
「入学時から目標としていたのは、箱根路を走って優勝するということでした。今日はとても嬉しいです。ただ今日を迎えるまで3年間はとても悔しい日々を過ごしました。走りながら色々なことを考えていました」
――どんなことを考えていたか?
「これまで先輩方の給水を箱根駅伝でさせてもらえる嬉しさと、自分が選手として臨めていないという悔しさが錯綜していた3年間でした」
9区・倉本玄太選手(4年)へ向けた個別質問
――コロナ禍で入学してから4年目で初めての箱根路。どんな4年間だったか?
「自分も1年目から箱根駅伝に出て活躍するという目標を描いて入学しました。ただ、一度も出走することができず、もがき苦しんだ3年間でした。それでもトレーニングだけは継続し続けて、最後の4年目で区間賞を獲りたいと思い描きながら、諦めずに過ごしてきました。今日は苦しい過去の思いがフラッシュバックして、レース中で踏ん張ることができたと思っています。苦しい4年間だったが、腐らずにやってきてよかったと思っています」
――苦しい思いとは具体的に何か?
「怪我が多くて練習が継続できない時もありましたし、初めての疲労骨折も経験しました。特に4年目は心が折れそうでしたが、それでも何とか色々な人に支えていただき、今日の舞台に立つことができました」
原晋監督へ向けた個別質問
――今回の箱根駅伝で選手の成長をどのシーンで感じたか?
「駅伝、というのはスタートしてから自分自身の状態を見極めて、フィニッシュするまでに100%の能力を出していく競技だと思っています。いかに日頃のトレーニングを繋げていくか、自分で考えることができるランナーこそが強い。これができる選手こそ駅伝に強い選手になると思っています。今日を振り返ってみて、8区が良い例で、襷を受け取った時点では後続を引き離していたものの、色々な不安もある中で、自ら考え、前半から区間新ペースの走りを見せてくれた部分に成長を感じました」
――箱根駅伝までの3週間、どのような所で選手の成長ぶりを感じたか?
「12月28日の全体ミーティングで『準優勝でいいよ』ということを選手に伝えました。その中で、全体ミーティング後に志貴キャプテン中心に、学生たちだけのミーティングがあったようです。そこに私は入りませんでしたので、議論の内容はさておき、このチームは志貴キャプテン、鈴木寮長、赤坂匠(主務)といった学生スタッフを中心にチームを構成しているので、それが最後まで諦めないことに繋がったのかなと思っています」
――新記録が出たことを受けて感じたことは?
「今回も含めて10年間で7度目の優勝をすることができました。早稲田大学大学院で箱根駅伝メソッドというものを私は論文で書かせていただき、箱根駅伝を勝つための仕掛け、仕組み、体系的なものを整理し、そこに基本軸があると考えています。その基本軸をベースに個々の能力によってトレーニングメニュー、強度、負荷を上げ下げしていきます。その中でチーム全体として春先に5000mを強化してきました。少し脱線しますが、チーム44人の平均タイムが14分00秒のチームは世界中を見ても稀だと思っています。そのようなベースを作った上で、夏の走り込み、秋の10000mでの記録会、箱根の一連の流れで箱根駅伝必勝プランとしています。12月の初旬に部内でトラブルが起こりましたが、ベースの走力があるからこそ、今回の箱根では大きく崩れることもなく優勝することができました。箱根駅伝は距離が長く、外的要因(天候、気温、風、湿度)と特殊区間の山上りと下りがありますが、後続と2分以上開いていけば必勝レースプランが大いに発揮でき、その中で大会記録が生まれたのではないかと思います」
――選手全員の設定タイムと実際のタイムはどれくらい違ったか?
1区・荒巻朋熙選手(2年)
「今年のチームは大会新記録を狙うのではなく、優勝を目標にしていました。1区の目標は駒澤大学よりも前で走り、最低でも20秒差をつけることが目標でした。留学生ランナー(駿河台大学、スティーブン・レマイヤン、1年)に中央大学の溜池くん(一太、2年)がついて行ってハイペースの流れになったので、(自分自身も)1区でそこそこのタイムが出せたのかなと思っています」
2区・黒田朝日選手 (2年)
「設定目標はなかったのですが、ぼんやりと66分台が出ればいいかなと思っていました。やはり昨年走った近藤幸太郎先輩(現SGホールディングス)の記録が一つの指針になると思っていました。自分は時計をつけて走らないので、自分のペースや通過タイムはレースが終わってみないと分かりませんでした。(結果を見て)思っていたより良いタイムでした」
3区・太田蒼生選手(3年)
「先頭に立つことを目標にしていました。順位を狙って1位になればタイムがついてくるだろうと思っていました。タイムとしては60分ちょうどを目安にして、2年前に自身が出した記録、61分を切ることができれば、合格ラインかなと思っていました。結果的に60分を切れたのは収穫になりましたし、今後の自信にもなりました。レース展開としては、前を走る駒澤大学の佐藤(圭汰、2年)くんが速い選手で、強い選手を追いかける展開だったからこそこのタイムを出すことができたと感じています。前半からハイペースで入り、中盤、後半も持たれずにそのまま自分のリズムを作っていくことができました」
4区・佐藤一世選手(4年)
「目標タイムは特に設定していませんでした。レースプランは前半ハイペースで入り、後半耐えることを考えていました。悔いが残らないよう走ろうと思い、その通りのレースにできました」
5区・若林宏樹選手(3年)
「この1年間、故障が多くなってしまいました。2月に膝を故障して、(治るまでに)ほぼ3か月間と長期間かかってしまいました。一次合宿も疲労骨折をしてしまい練習ができず、また、全日本大学駅伝後も骨が折れてしまって一週間程度練習ができませんでした。その関係もあり、自信がなくなってしまい、正直5区の区間賞争いは難しいと考えていました。原監督からもそんなに背負うことなく区間5位以内、70分台~71分前半を目指して頑張っていけば良いよと言われ、自分自身も1年目に出した70分46秒を目指していました。結果として69分台で走れたのは、前半から攻めた走りと、後半も足が止まらなかったからだと思っています」
6区・野村昭夢選手(3年)
「往路組が頑張って差を広げてくれたので、それをさらに広げるという目標を立てていました。こちらに関して達成はできたものの、タイムとして区間賞、57分57秒を切ることはできませんでした。原因として15km以降の伸びがなかったからかと感じています。ラスト3kmもあまり動かなかったのでそこが原因だと思いました」
7区山内健登選手(4年)
「監督には『5kmの通過を14分10秒で』としか言われておらず、自分の中でも5kmを14分10秒で通過して10kmを29分台で通過できたらいいなと思っていました。(結果的に)10kmを29分ぐらいで通過できたのは良かったです。その後は自分の中でどれだけ(ペースを)上げていけるか、あるいは耐えていくのかを意識していました。結局、耐えるレースとなり、後半にペースをあげることができなかったのは悔しかったです」
8区・塩出翔太選手(2年)
「自分の中では区間新記録や青学記録、区間賞を獲るという気持ちで走り始めました。レース展開的にもタイム差がかなりあり、最初からリラックスして走れました。その結果(納得する)走りができたと思っています。ただ、15kmの遊行寺の坂で失速してしまい、狙っていた区間記録の更新はできませんでしたが、区間賞で走ることができたので嬉しかったです」
9区・倉本玄太選手(4年)
「タイム設定は自分の中でしておらず、1番は駒澤大学との差をどう離せるかというところを考えていました。1区から8区の選手が(駒澤大との)差を広げてくれたので、スタート前に自分自身の目標を変えて中村唯翔さん(現SGホールディングス、2022年に9区の区間新記録を更新)や岸本(大紀)さん(現GMOアスリーツ、前回大会で区間歴代2位)の記録を狙って区間記録との戦いにチャレンジすることにしました。その中で最初は良いペースで入れたのですが、後半で伸びず、タイム的には1分以上開いてしまいました。その中でも最初攻めた走りができましたが、今回走ってみてやはりあの区間記録というのは改めて偉大だと感じました。自分自身は(力を)出し切りましたし悔いはありません」
10区・宇田川瞬矢選手(2年)
「自分の中で中倉さんの記録を超えるとともに、1区から9区でつけてくれた差をさらに自分で広げていきたいなと思っていました。その中で前半はいいペースで入れたが、後半なかなかペースを維持できずに、個人としてあまり良くない結果に終わってしまいました。スタート前に監督から電話があり、その時も『下手な走りをしないように。しっかり走っていこう』と言われた中で、前半しっかり走れた分、後半なかなか(ペースが)伸びなかったというところで、まだまだ課題があると思っています」
-
Information
-
-
『文化放送新春スポーツスペシャル 第100回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継』
1月2日(火)・3日(水) 7:30~14:30 *全国33局ネット(放送時間は異なる場合があります)
▼1月2日(火) 往路
解説:大志田秀次(中央大学OB、東京国際大学前監督、Honda陸上競技部エグゼクティブアドバイザー)
プレーヤーズ解説:近藤幸太郎(青山学院大学OB、SGホールディングス陸上競技部)
総合実況:斉藤一美アナウンサー
▼1月3日(水) 復路
解説:大志田秀次(中央大学OB、東京国際大学前監督、Honda陸上競技部エグゼクティブアドバイザー)
解説:柏原竜二(東洋大学OB、二代目山の神、「箱根駅伝への道」ナビゲーター)
総合実況:寺島啓太アナウンサー
-
関連記事
この記事の番組情報
文化放送新春スポーツスペシャル 第100回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継
2024年1月2日(月)・3日(火) 7時30分~14時30分
駒澤大学の2年連続学生駅伝三冠&三大駅伝史上最長6連勝か? 阻止するのは2年ぶりのタイトルを狙う青山学院大学か、史上最多97回目の出場・中央大学か、駅伝巧者・…