世界的な三味線奏者・上妻宏光、学生時代の練習場所は河川敷!?

世界的な三味線奏者・上妻宏光、学生時代の練習場所は河川敷!?

Share

11月21日(火)の「おとなりさん」(文化放送)のゲストコーナー、「10時のおとなりさん」に三味線奏者の上妻宏光さんが登場!様々な楽器のプレイヤーとコラボするなど世界で活躍中の上妻さん。茨城県のご出身でありながら津軽三味線に魅了されたお話や、学生時代の苦労話、そしてターニングポイントとなった仕事のお話などを伺った。

高橋優「上妻さんは茨城県のご出身ですが、茨城で三味線を始められたきっかけって何だったんですか?」

上妻宏光「父親が趣味で三味線をやってたんですよ。で、元々は津軽じゃなくて東京より西側の民謡だったんで、その時はそこまで体に入って来なかったんですけど、津軽三味線のビート感というか激しさというか、グルーヴに共鳴して『始めたい!』ってことで、習わせてもらったんですね」

高橋「それで津軽三味線の音源を聞き漁るというか……」

上妻「そうですね、その当時はカセットテープだったんで、市販されているものをとりあえず買ってきて、今で言う『耳コピー』って言うか、曲を聴きながら『誰々はこういう演奏なんだ』『あ、こういうフレージングをしているな』とかイメージして、楽器を持っては『あ、こういう風に弾いてたかな?』みたいなことをやって勉強していった感じですね」

高橋「まわりに同じことをやっておられる方は?」

上妻「まったくいなかったですね(笑)。三味線自体は6歳から地元の先生に習い始めたんですけども、大人に混じって会に入って練習してました。それで小学校の高学年ぐらいの時にはプロになりたいなっていうのはおぼろげにイメージとしてはあったんですけど、青森県の金木町で大会があるというのを聞きつけて出場したら優勝できたんですね。だから僕も才能はゼロではないなっていうのもあったんで、とりあえず早めにプロの世界で揉まれたいと思いまして、中学を卒業したらすぐに上京して、東京の高校に通いながら三味線を勉強したいなってことで、出てきました」

高橋「当時大変だったこととか、なかったですか?」

上妻「まず、津軽三味線って大きい音がするんで、自宅のアパートで練習が出来ないと。それで河川敷で練習したりとか。学生でお金も無かったんで、2時間だけ貸しスタジオを借りて集中的に練習したりとか。そういう意味では東京では練習する時間が少なくなったことでちょっとスランプになったりして、大変でしたね」

高橋「なかなか見ないですね、河川敷で三味線を弾く人(笑)」

坂口愛美アナ「そんな中、10代の頃にターニングポイントとなるお仕事があったとか?」

上妻「17歳の時に『六三四Musashi』と言う,宇崎竜童さんがやっていた竜童組の流れを汲んだ、ハードロックと和楽器が混ざったバンドがあったんですよ。そこで大会とかのビデオを観てリーダーの方が『ああ、こいつ面白そうだなあ』ってことで連絡をいただいて。そこでロックバンドで三味線を弾かせていただいて、いわゆる民謡の世界から洋楽というか、初めてストラップを着けて、立って演奏をするようになって。そうすることによって『あっ、津軽三味線はロックに近いビートもあるし、そういうところでの可能性も広げることが出来るな』って言うのを実感できたことが、ターニングポイントですね」

坂口「過去のインタビューでは『古典が出来ないからロックに逃げた』と言われたくないから『津軽三味線全国大会』に出場し続けたと答えられていましたが、やはり風当たりとかも強かったですか?」

上妻「そうですね、まず出身が茨城県だと言うのも大きくて、やっぱり津軽の三味線って言うと青森の人間じゃないとなかなかその香りが出せないと言うこだわりが根強くて、地元から言われることもあったし、で、大会の1つには優勝出来たんですけども、もう1つ本場の大会で優勝できなかったんで、両方優勝するまではやってやろうと言う気持ちは持っていましたね」

この後も、海外でのご活躍やコラボされたプレイヤーたちについて、趣味であるサーフィンについてなど盛りだくさんなお話を聞くことが出来た。気になる方は、ぜひradikoのタイムフリーでご確認ください。

 


「おとなりさん」は平日月曜~金曜の朝8~11時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

で開く

※タイムフリーは1週間限定コンテンツです。
※他エリアの放送を聴くにはプレミアム会員になる必要があります。

Share

関連記事

NOW ON AIR
ページTOPへ