加藤タキさんのビューティフル・メロディーズは・・・?
文化放送【ビューティフル・メロディーズ~よみがえる青春のポップス】
10月22日(日)の放送は加藤タキさんのビューティフルメロディーズを紹介しました🎼
加藤タキさんのビューティフル・メロディーズ
イエスタデイ・ワンス・モア / カーペンターズ
加藤 カーペンターズが初めて日本に来たのは確か1970年、第1回ヤマハの世界歌謡祭。
その頃は、坂本九さんとジュディオングさんが司会をされていました。
カーペンターズはアメリカで既に大ヒットしていましたが、日本ではまだあまり馴染みがありませんでした。
その後あっという間にアメリカで何曲もヒット曲が生まれて日本でもトップスターの一組になりました。
そして私が初めて呼んだ人がカーペンターズなんです。
当時、私は青山音楽事務所で副社長をしていました。
そして当時の夫であった青山さんがカーペンターズを招聘しました。
青山音楽事務所はMGMレコードの日本の代表もしており、私は副社長の立場で頻繁にLAにあるMGMレコードを訪ねていました。
MGMレコードの社長は24歳のマイク・カーブさん、そして妹のキャロルさんで営んでいました。
あまりの頻繁の訪問に私はビバリーヒルズにある彼らの家に泊めてもらい、そこで仕事をしていました。
妹のキャロルさんはカレン・カーペンターととても仲が良かったようで、
1979年ごろ、キャロルさんにブラインドデート(日本で言うお見合い)に誘われて
キャロルさん、カレン・カーペンター、そして、後にカレンさんと結婚するトーマスさんと4人で食事をしました。
食後、カレンさんのマンションに行くと、カレンさんの自宅はディズニーグッズで溢れていました。
カレンさんは「とても好きなんだ」と淡々と話されていました。
きっと人気者でコンサートツアーを次々とこなす中で、ディズニーグッズに囲まれると
ホッとするんじゃないかとそんな気がしています。
思い出は沢山ありますが、カーペンターズの素敵なデュエットをまた聴きたいです。
楽曲メモ📝
💡「イエスタデイ・ワンス・モア」は1973年5月発売。
アメリカのチャートでは最高2位、オリコン洋楽チャートでは26週連続1位を記録しています。
💡「イエスタデイ・ワンス・モア」を収録したアルバム「ナウ・アンド・ゼン」で、
カーペンターズは初めてオリコンLPチャートの1位を獲得。
💡「イエスタデイ・ワンス・モア」の生みの親でもあるリチャード・カーペンター、
今年の春に来日して東京や大阪でライブを開催、
セットリストの最後は「イエスタデイ・ワンス・モア」だったそう。
🌸次回10月29日はリスナーさんのビューティフル・メロディーズをご紹介します🌸
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この記事の番組情報
ビューティフル・メロディーズ~よみがえる青春のポップス
金 11:38~11:46
60年代から80年代の洋楽や映画音楽を中心に、リスナーの心に響く青春時代の洋楽を、リスナーと同じ時代を生きてきたゲストの思い出とともにお送りします。ネット社会…