【箱根駅伝予選会】3秒届かず…東京国際大学が本戦出場逃す 前回シードまであと一歩の11位から予選落ち
「第13位、山梨学院大学――」
そうアナウンスされた瞬間、テントの前に整列した東京国際大学の選手たちは表情を失くした。
「13位、山梨学院大学。記録、10時間39分47秒。以上の13校が第100回東京箱根間往復大学駅伝競走の出場権を獲得しました。続きまして第14位、東京国際大学。記録、10時間39分50秒――」
その差、わずか3秒。一度失くした表情が、涙で崩れる。3秒の差で、東京国際大学は6年連続で出場していた箱根に届かなかった。
計算外のアクシデントは8km過ぎに起きた。先頭集団を引っ張っていたリチャード・エティーリ(1年、ケニア)に転倒があった。すぐに起き上がりレースに復帰したものの、以降は思うような走りができず1時間02分11秒、12位でのフィニッシュ。5000mと10000m両方で学生記録を持つ実力は発揮しきれなかった。「学生記録、59分台を目指して本人はスタートラインに立つと思います」(中村勇太コーチ談、10月13日『箱根駅伝への道』より)との目標には遠く及ばなかった。
「それでもチームトップで走ってくれたので、彼の責任ではありません」と松村拓希ヘッドコーチ(HC)は話す。主に練習を見ている中村コーチも「立ち止まってもおかしくない状況の中、チームのためを思って最後まで走ってくれたことには感謝しています」と、リチャードを思いやった。
「情けないです」マネージャーが流した涙の意味
結果発表直後。誰よりも涙で顔を崩しながら、「お前のせいじゃないよ」「よく頑張ったよ」と仲間の肩を抱くスタッフの姿があった。マネージャーの浅井海堂(4年)だ。名門、鎮西学院高(長崎)時代には県高校駅伝で花尾恭輔(駒澤4年)と襷をつないだこともある。大学入学後、マネージャーに転身してからは、持ち前の明るさで留学生の世話も買って出た。マネージャーの仕事を「趣味です」と笑い、チームを盛り上げてきた。誰よりも人に気を遣い、チームを見つめ、バランスを取ってきた。
「申し訳ないです。悔しいというより、情けないです。力不足です」
思えば今年は激動の1年だった。前回の箱根11位で、4年ぶりにシード権獲得を逃したあとのことだ。箱根直後に東京国際大学駅伝部を創部から育ててきた大志田秀次監督がその職を去り、チームをも去ることになった。新しい監督は決まらず、横溝三郎総監督が監督を兼務し、現場での指揮は松村コーチが執ることになった。チームにとっては激動の2023年、松村ヘッドコーチが指揮を執る初の箱根予選会は、3秒の壁に跳ね返された。激流に翻弄されてきた学生たちは、最後までその波をつかめなかった。
浅井の「情けない」という言葉には、今回の結果だけでなく、もっと大きな波を跳ね返せなかったことへの想いが滲んでいるように筆者には感じられた。「力不足」は走力だけを指してのことではないだろう。自分だけでは、学生だけではどうにもできなかったことが、ある。
駅伝部を辞めてやると決意したことが一度や二度ではないことは知っている。それでも、部を辞めなかった理由はひとつだ。陸上が、仲間が好きだから。だからこそ、箱根はつかみ獲らなければいけない場所だった。引退は来年の1月3日だと信じていた。少しでも長く陸上に関わっていたかった。でも、その願いは叶わなかった。
このあと全日本大学駅伝は残るものの、この喪失感は簡単に癒えるものではないだろう。それでも前を向いて、進んでいくほかにない。これまでもチームを明るく笑顔にしてきたように、浅井にはできる仕事がまだあるはずだ。