【アナコラム】西川あやの「ミケランジェロは分かっていたんだな」
文化放送メールマガジン(毎週金曜日配信)にて連載中の「アナウンサーコラム」。週替わりで文化放送アナウンサーがコラムを担当しています。この記事では全文をご紹介!
▼9月15日配信号 担当
西川あやのアナウンサー
先日は夏季休暇をもらって番組を5日間休み、およそ4年ぶりの海外旅行に行ってまいりました。
旅行先はイタリア・ローマ!
市街地をマイペースに探索したり、時にはカプリ島へ足をのばしたり。
中4日を十二分に堪能してきた。
とある1日は市内にあるカトリックの総本山・ヴァチカン市国へ。
世界最大級とも言われるヴァチカン美術館は、全てを見学するのに半日を要し、建物を出るときにスマホの歩数計を見てみると1万5千歩……!
エジプトエリアでミイラを見て背筋を凍らせ、古代彫刻のモデルの有名人の多さに興奮し(ちなみに私のタイプはヘラクレス)、巨大タペストリーの細密さと技術に感心してきた。
一番の衝撃は、美術館の中にある「システィーナ礼拝堂」の主祭壇の背後、壁一面に描かれた壁画「最後の審判」。
作家として脂がのった60代のミケランジェロが約6年かけて完成させた1370cm×1200cmにおよぶ非常に大規模な作品で、人間が生前の行いによってキリストに魂を裁かれ、天国か地獄に送られることを表わしている作品とのこと。
キリストから祝福を受けて天国にいったのであろう人たちも、意外と幸せそうに描かれていないことに驚いた。
壁画の下の方にいる地獄に送られた人たちは、頭を抱えて悩んだり、荒々しく醜く争っていたり、とにかく薄暗く描かれている。これが地獄なのは分かる。しかし、上の方にいる人たちも、必死に十字架にしがみついていたり、愛し合っている二人も喜びに溢れているような華やかさはなく、横には好奇や嫉妬の目で凝視している人がいたりする。あっけらかんとした手放しの幸せが、私には見当たらなかった。
人間の飽くなき欲求や、漠然とした不安を形容しているのだろうか。
また、人間の皮を持っている人がいて、その皮についている顔はミケランジェロの自画像だと考えられているらしい。ここにも人間の極めて個人的な苦悩が描き込まれているように感じた。
ミケランジェロは才能があって真面目に仕事をやり遂げる人だったようだけれど、気難しくて怒りっぽく、他人を寄せ付けないところがあったようだ。
他人に厳しい人は、きっと、自分自身も許せないのだな、とか。
人はどんなところにいても、個人的な不安を抱くものなのだな、とか。
普段自分が生活している場所とは遠く離れた地で、遠い昔に描かれた作品を見て、「日常」を感じたのが不思議だった。