共栄学園に聞いた 甲子園初出場で大変だったコト 10選!!!<WEBオリジナル記事>
「知らないを好きになる」をテーマにWEBオリジナル記事をお届けしています。今回は夏の甲子園を沸かせた、東東京代表の "共栄学園" について取り上げます。
まだまだ残暑が続いていますね。
ライターのアルパカです。
アラフォーで独身。都内の隅っこで暮らしています。
夏の楽しみといえば、なんといっても高校野球。大好きです!
去年の夏の甲子園は仙台育英高校が初優勝しました。須江航監督の優勝インタビューでの名言「青春って、すごく密なので」。感動しましたよね。
「2022ユーキャン新語・流行語大賞」で、選考委員特別賞にも選ばれました。
毎年ドラマが生まれる夏の甲子園。
今年は連覇を狙った仙台育英を破り、神奈川県代表の慶応高校が、107年ぶり2度目の優勝を果たして幕を閉じましたが、私の地元、東東京の予選大会もめちゃくちゃ盛り上がりました。
春夏通じて初めての甲子園出場となった共栄学園高校は、東東京大会の6試合中4試合が逆転勝ち。特に準決勝、決勝での、9回2アウトからの逆転劇はミラクルでした。
ということで、今回の特集はこちら。
共栄学園に聞いた、甲子園初出場で大変だったコト 10選 です。
目次
▶”共栄学園” ってどんな学校?
まずは共栄学園中学高等学校についてご紹介します。
東京の下町、葛飾区にある中高一貫の私立高校。京成本線のお花茶屋駅から徒歩4分です。
昭和13(1938)年11月に裁縫女学校として創設され、2003年より共学となり、野球部は2005年に創部されました。
野球では初めての甲子園出場となりましたが、女子バレーボール部は春高バレーで2度も全国制覇している強豪校です。
卒業生にはバレーボール元日本代表の益子直美さんや、ビーチバレーでも活躍した浦田聖子さんがいらっしゃいます。1年生エースの大林素子さん率いる八王子実践の連勝を105で止めた、1984年の『益子直美フィーバー』を覚えていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。
また我々世代には懐かしい、子役で活躍されていた女優の間下このみさんも卒業生です。
さて今夏に大旋風を巻き起こした共栄学園野球部ですが、実は部員全員が自宅から通学しています。寮も無ければ下宿している生徒もいません。
また学校には野球部の専用グラウンドがありません。学校から7キロも離れた、江戸川の河川敷にある野球場を使用しています。部員たちは片道30分かけて、グラウンドまで自転車で通って練習しています。
ちなみに学校の校庭は、テニスコート3面分の広さしかありません。
そんな逆風をはねのけて、第105回全国高等学校野球選手権記念大会、通称「夏の甲子園」の切符を手にした共栄学園。
甲子園初出場の舞台裏はきっとバタバタだったはず!
そこで何が起こっていたのか、初めてならではのエピソードやトラブルを、教頭の杉山晴彦(すぎやま はるひこ)先生にお聞きしました。
▶東東京大会でミラクルを連発!
まずは駆け足で、ミラクルを起こした東東京大会の準決勝と決勝を振り返ってみます。
準決勝は岩倉高校戦です。
両チームとも無得点で7回まで進む、緊張感のある投手戦となりました。
均衡を破ったのは8回表の岩倉高校でしたが、その裏に共栄学園もしっかり追いつき再び振り出しに。
ところがまた9回に勝ち越されてしまい、2点ビハインドで迎えた共栄学園の最後の攻撃。9回裏2アウトから、内野フライを打ち上げてしまいます。これにてゲームセットかと誰もが思ったそのとき、なんと相手野手が落球してしまい(公式記録は内野安打)、共栄学園がサヨナラ勝ちしました。
決勝は東亜学園戦です。34年ぶりの出場を狙う古豪です。
初回から両校とも点を入れる激しい展開で進みます。引き離しても逆転され、また引き離しても逆転されるシーソーゲーム。
1点ビハインドの9回表2アウト。絶体絶命の場面で、バッター打野琉生(うちの るい)選手が、三塁線に意表を突くセーフティーバント。これを皮切りに一挙7点を入れ、大接戦を制して見事優勝しました。
2試合ともまさにあとアウト1つ、崖っぷちから甲子園出場を勝ち取りました。これにより“ミラクル共栄”と話題になりました。
▶初めての甲子園。対戦相手は…
8月3日に行われた組み合わせ抽選会の結果、開会式と同じ日、つまり大会初日の第2試合に決まりました。
<朝日新聞 号外より>
初戦の相手は福島県代表の聖光学院。2年連続で通算18回目の出場となる常連校です。
勝ち進むと昨年の覇者 仙台育英が待ち構え、さらにその先には4年前に優勝した大阪府代表の履正社が行く手を阻む、強豪揃いのブロックでした。
▶いざ、甲子園の初戦!
大会初日の第2試合。相手は福島県代表の聖光学院です。
3回までは両校とも無得点。序盤は締まったゲーム展開となりました。
4回に試合が動きます。聖光学院がスクイズなどで先制。さらに5回には5本の適時打が飛び出し、リードを最大7点まで広げられてしまいます。
でも共栄学園も意地を見せます。
7回に3点を入れて反撃を開始。9回表の攻撃では、2死ランナー無しから連打と四球で満塁に。ミラクル共栄らしく粘りを見せましたが、残念ながら甲子園初出場初勝利とはなりませんでした。
東東京大会でのミラクルが頭にありましたので、いつ逆転してもおかしくない素晴らしい試合を見せてくれました。
笑顔で甲子園をあとにした選手たちは、とても爽やかでした。
▶とにかくバタバタだった8日間
東東京大会を勝ち抜いた共栄学園ですが、実はスケジュールがとにかくバタバタだったそうです。
というのも、出場49校の中で最後の切符を掴んだのが共栄学園でした。
東東京大会の決勝が7月30日、甲子園の開会式が8月6日。なんと中6日しかありませんでした。
この間に野球部員たちは、地元の青木克德(あおき かつのり)葛飾区長や小池百合子東京都知事への表敬訪問、壮行会出席や各出身中学校への挨拶まわり。そして甲子園へ移動してからは大会の組み合わせ抽選会、開会式のリハーサルなどがありました。
先生たちは、バスの確保、応援団結成や応援ツアーの手配、パブリックビューイングの準備、卒業生や地域などへの協賛や支援のお願いなどなど、やらなければならないことが山積みでした。
上記は甲子園出場に関連するスケジュールです。予定がびっしり埋まっています。
ただこの他にも、夏の勉強合宿、夏期講習会、各部の活動、学校説明見学会などもありました。
このバタバタだったスケジュールを乗り越えた共栄学園の杉山教頭先生に、そのときの様子を詳しく聞いてきました。
では『大変だったコト(心の叫び)』10選をご紹介します。
▶初出場で大変だったコト(心の叫び)10選
その1『チアがいない⁉ 代役はなんと…』
高校野球の応援といえば吹奏楽とチアダンス。
ところが今回の東東京大会の準決勝と決勝は、チアダンスを担当しているダンスドリル部が自分たちの全国大会があったため、スタンドに駆けつけられなかったんです。
そこで白羽の矢が立ったのが、なんと女子バレーボール部。
日頃から野球部と女子バレーボール部は強い連携を取っていて、お互いの公式試合を現地まで応援しに行く関係性でした。
残念ながら都大会の決勝リーグで敗退してしまった女子バレーボール部は、「自分たちの分も頑張ってほしい」と、不在のダンスドリル部の代わりに迷うことなくポンポンを手にし、チアダンスの練習を始めたそうです。
準決勝と決勝のスタンドには、スラッと背の高い女子バレーボール部のみなさんの姿が。チアダンス応援で野球部員たちのプレーを盛り立てました。
共栄学園の教育方針である至誠一貫の精神が、応援も巻き込んだパワーとなって、準決勝と決勝の9回2アウトからのミラクルを生んだんですね。
その2『まさか優勝するなんて』
東東京大会での、今までの最高位はベスト8。記録更新となったベスト4進出の時点で、旅行代理店から提案があったそうです。
念のため、応援団(生徒ほか)と応援ツアー(一般ほか)の、バスや新幹線の手配を依頼する可能性がある旨を伝えました。まだこのときの杉山教頭先生は「甲子園出場なんて夢のまた夢」だと思っていたそうです。岩倉も東亜学園も強豪校ですので、まさか共栄学園が勝てるとは思っていなかったんですね。
葛飾区としては95回大会に出場した修徳高校以来、10年ぶりの盛り上がりとなりました。
葛飾区役所からも「お手伝いできることがあれば」と、すぐに連絡がありました。
東京下町の地元に根づいた共栄学園には、出場が決まった瞬間に、お花茶屋の商店街をはじめとしたご近所のみなさんが「おめでとうメッセージ」を届けに、駆けつけてくれたそうです。
その3『余韻に浸れたのは たったの30秒』
甲子園出場が決まった直後、学校の近くで待っていたであろう朝日新聞さんのスタッフがポスターや応援旗を大量に持ってこられて、学校中の壁という壁に、柵という柵に、貼りつけていきました。
その対応をしつつ、鳴りやまない電話取材を受けた杉山教頭先生。あまりにすごい反響に呑みこまれて、ほとんど記憶がないそうです。
その4『全国大会でも甲子園出場は別格』
春高バレーは1月に東京で開催されます。移動も楽ですし、宿泊の心配も要りませんが、甲子園は別です。
球場までの移動はもちろん、真夏の熱中症対策にも気を配らなければなりません。応援団にスタンドで配る氷や飲料の心配などをしていたそうですが、マニュアルを読みこむと現地の甲子園球場に発注できることがわかって、安心したそうです。
他にもバスの駐車位置から応援のレギュレーションなど、かなり細かい規定やルールをマニュアルを読んで勉強されました
その5『先生が足りない!?』
甲子園出場にあたって、何人くらいの先生を要すると思いますか?
・野球部の引率に 6名(監督、顧問を含む)
・応援バスの引率に 14名(7台に各2名)
・吹奏楽部の引率に 3名
・ダンスドリル部(チア)の引率に 3名
・応援ツアー参加者の対応に 3名
学校長を含めると、現地に行かれた教職員だけで 30名(事務職員を含む)です。
さらに学校では生徒や地域のみなさん向けにパブリックビューイングを開催しましたので、その準備や立ち合いなどのお留守番に7〜8名。
これだけでもすごい数の先生に担当が割り当てられたんですが、さらにこの時期は在校生向けに夏期講習会も実施していました。そこにも、もちろん各教科ごとに先生が必要となります。
しかも大変だったのは、この先生たちの役割分担は、臨時職員会議の3日後に開かれる組み合わせ抽選会で試合日程が決まるまでは、確定できませんでした。
その6『初日を引いたのかーい!』
8月3日に現地で行われた組み合わせ抽選会。共栄学園の対戦相手は福島県代表の聖光学院に決まりました。
全国49校の中で、最後の出場切符を手にした共栄学園ですが、試合はなんと大会初日。抽選会から試合までたったの3日しかありません。奇しくも、初出場でありながら最も準備期間が無い学校となってしまいました。
3日後と聞くだけで震えるようなスケジュールですが、応援バスの出発は試合前日の夜。2日後の深夜には出てしまいます。しかも試合日程が決まらないと引率する先生たちの割り当て確定も、バスの正式な発注もできませんでしたので、ここからは時間との勝負でした。
応援団(生徒ほか)の結成、応援ツアー(一般ほか)の参加者募集や観戦チケットの手配、新幹線のチケット予約やバスの確保、協賛のお願い、真夏の健康管理対策など、準備が間に合うかわからなかったそうです。
ちなみに教頭先生は?
その7『バスが確保できない⁉』
部員たちの宿泊場所は主催者が事前に確保しておいてくれますが、応援団のバスは出場校が自ら押さえなければなりません。
でもバスが確保できないかも⁉とは、どういうことなのでしょうか?
大会初日の組み合わせにその原因が。おわかりですか?
茨城、長野、東京、福島、埼玉、宮城。
初日に登場したのは、東北が2校、関東甲信越が4校でした。つまり6校すべてが東日本勢なので、甲子園球場までの方向が重なってしまったのです。
選手団は抽選会に合わせてすでに8月2日に甲子園入りしていましたが、応援団のバスは前日8月5日出発に集中してしまいました。
その8『コロナ禍じゃなくてよかった』
夏の甲子園としては4年ぶりに声出し応援が解禁された今大会。教頭先生としても、熱い思いがありました。
応援団は、行きの東京発も帰りの甲子園発も、深夜出発の0泊3日弾丸ツアー。
ソーシャルディスタンスを求められたコロナ禍でしたら、大人数の車中泊は実現できなかったでしょうし、そもそも応援団を結成すること自体も難しかったでしょう。
その9『敗退後に届いた協賛のお知らせ』
協賛金とは、選手団や応援団を送り出すための費用で、卒業生はもちろん、一般や周辺地域にも広く協力をお願いします。
甲子園出場が決まってすぐに、学校のホームページには協賛金ご協力のお願いを掲載したのですが、多くの協力が期待できる卒業生たちには郵送でもお知らせを送りました。
共栄学園の卒業生のうち、同窓会に入られているのは約13000名。この同窓会メンバー宛てのお知らせが届いたのはなんと…
常連校にとって協賛金のお願いは“いつものこと“ですが、初出場校にとっては“滅多にないこと”ですので、かなりたくさんの協賛金が集まって黒字になると聞きますが、さすがに試合が終わってしまってからでは厳しいですよね。
その10『次回は現地で応援したい!』
「嬉しかった?」「悔しかった?」「楽しかった?」「大変だった?」。いまはどんなお気持ちなのでしょうか? このバタバタだった夏を振り返っての感想を、杉山教頭先生にお聞きしました。
杉山教頭先生は、東東京大会の準決勝は神宮球場で応援。
決勝は学校でパブリックビューイングをやっていましたし、取材対応がありましたのでお留守番。
甲子園の本番も、学校見学説明会の対応があり、残念ながらまたまたお留守番。
3回戦くらいまで勝ち進んだら現地に行けたそうですが… それは次の楽しみにとっておきましょう。
お忙しい中、お話をお聞かせいただきありがとうございました。
最後に杉山教頭先生からのメッセージです。
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