世界最古の自動車メーカーのメルセデス・ベンツ。高級感、伝統、質実剛健、安心感など日本でも高い評価を得ているそのブランドイメージを変えることなくユーザー層の拡大を成功させた男。メルセデス・ベンツ初の日本人社長となった上野金太郎氏に、メルセデス・ベンツが選ばれ続けている秘密について文化放送『The News Masters TOKYO』のパーソナリティでプロゴルファーのタケ小山が迫った。
■メルセデス・ベンツ日本と共に
日本とメルセデス・ベンツの歴史は今から100年以上も前の1912年に御料車を輸入した時から始まった。しかしメルセデス・ベンツ日本株式会社として本格参入したのは1986年。30年程前のことだ。奇しくも日本におけるメルセデス・ベンツの人気を確固たるものにした功労者である上野金太郎氏が入社したのはその1年後の1987年のことだった。
「まだできたばかりの会社だったので正式な新規採用はしていませんでした。飛び込みで面接させてもらった1期生なんです」就職活動の際、当時の就職協定を真に受けてのんびりしていたら意中の企業はすでに内定が決まっていたのだそうだ。そんな状況の中で起死回生の飛び込み面接だった。とは言えメルセデス・ベンツ日本への就職はまさに運命の出会い。小・中学校時代は都内のインターナショナルスクールに通っていたこともあり外資系企業を希望していた。また1964年生まれの上野社長はモータリゼーション興隆期の真っ只中で育ち、スーパーカーブームを経験している世代だ。
世界的なブランドのメルセデス・ベンツだが、30年前に日本へ本格参入した時の社員はまだ30名程だった。上野社長が最初に配属されたのは営業部。「販売というよりも輸入卸ですので、発注、輸入、通関、配車、その他もろもろ」今では300人以上でやっている仕事をたった4~5人でこなしていたと言う。「しかもコンピューターがなかったので、全て台帳に記入していました」大変だったが、この時期に仕事のノウハウを全て学べたことが上野社長の財産だ。
上野社長がメルセデス・ベンツに入社した1987年、日本はすでにバブル景気に突入していて91年までの51ヵ月間好景気が続くことになる。新規採用1期生で同期入社はたったの3人だったが、あれよあれよという言う間に社員が増えていったそうだ。急成長していくダイナミックな環境の中で揉まれた新人時代だった。
■斬新な発想とチャレンジする行動力
バブル景気の中で急成長を遂げたメルセデス・ベンツ日本。その高いブランド力は、医者や弁護士、大企業の重役など富裕層が乗るクルマとして定着した。もちろん高級感はブランドイメージにとって大切ではあるが、「一般の方々には関係のない商品だというイメージだけが先行してしまったんです。これを乗り越えないとメルセデス・ベンツの本当の価値がお客様にわかってもらえません」メルセデス・ベンツ日本と共に歩んできた上野金太郎代表取締役社長兼CEOは、若手の頃から時代の移り変わりを敏感に感じ取り、定着していくイメージを危惧していた。
バブル崩壊後、世の中のライフスタイルは様変わりした。そして2008年のリーマンショックが追い打ちをかけた。そんな中で当時副社長だった上野氏は次々と斬新なアイデアを実行していった。”ショッピングモールでの展示”はその一つ。「買わなくていいから、まずは見てください。そして価格も確認してください」それまでのメルセデス・ベンツの展示会といえば一流ホテルだった。ショッピングモールでは、お客様とメルセデス・ベンツとの新しい出会いの場にするというプランだったが、当然社内での反発も多かった。ロイヤルカスタマーが離れてしまう危険もあったのだ。
「挑戦だし、冒険だが、勝算はあった」と振り返る。
2011年7月、東京・六本木にカフェとレストランを中心としたブランド情報発信拠点、『メルセデス・ベンツ コネクション』をオープンさせた。「当初はメルセデス・ベンツのカフェだからコーヒーが800円とか1000円とかするだろうとか、食べ物も全部高いだろうとか、乗ると買わされちゃうよ等、まことしやかに言われていたんです。それをいい意味で裏切りました」決してカフェで儲けるつもりはなく、新しいお客様に試乗してもらうなどして身近にふれあってもらうことが目的なのだ。
このアイデアは20年程前、新事業推進の課にいた時に考えたものだったが実現しなかった。確かにクルマを売らないとはどういうこと?と言われるのは当然だ。副社長になったとはいえドイツの本社に何度もかけあってやっと実現にこぎつけたのだ。しかも18ヵ月の期間限定でスタートした。「今も残っているという事は成功したんじゃないかと思っています」無謀と言われたアイデアだったが、今では『Mercedes me』として世界各地で展開されている。
■上野金太郎流仕事力
2011年3月11日 東日本大震災。茨城県日立市にある新車整備センターが被災。約1000台を収納できる巨大立体駐車場が故障し、200台以上の新車が海に流された。「咄嗟の判断なのか、火事場の馬鹿力か、自然とカラダが動いたんです」前年に手放してしまった豊橋工場を整備センターとして復活させようと画策。震災が金曜日だったので2日後の月曜日に国土交通省に整備地変更の申請をして、その足で豊橋市長と面談「売却中の豊橋工場で新車整備をさせてくださいとお願いしたら気持ちよく受けていただきました」大震災後の混乱している中で、事業の動きを止めてはならないという使命感から考えるより先に体が動いたと言う。
リーマンショックを乗り越えてようやく販売が元に戻りつつあった時期だけに「やるしかない!」と前へ進んでいった。「ただドイツの本社からは、そんな状態だからしばらくは生産しないからと言われたが、いやもっと造ってくれと頼んだんです。今年約束した台数は販売したいから」この申し出にはドイツ人も驚いていたそうだ。「でも、あの機を逃していたら、今はなかったのかなぁという気がします」まさにピンチはチャンス。この経験から、一拠点だけでは何かあった時のリスクヘッジができないと判断し、現在、新車整備工場は日立と豊橋の二拠点で稼働している。
2013年に日本人初となる社長に就任した上野金太郎氏。これまで、斬新な発想とチャレンジする行動力を発揮して新たな顧客層を開拓してきた。NEXT A-ClassのCMにヱヴァンゲリヲンの貞本義行(さだもと よしゆき)氏を起用してアニメーションを制作したり、女性3人組テクノポップユニットPerfume(パフューム)がアニメ化されるなどブランドイメージを大刷新させた。普通に考えたら通りそうにない企画をプレゼンテーションする上野社長のテクニックについてタケ小山が訊いた。
「まずはプレゼンの成功というよりも、毎月の台数をきっちりとやること。それがスタートだと思うんです。お願いをする前にちゃんと約束を果たしていることが大切」商売がうまくいかないから起死回生でこれがやりたいと言うのではなく、やることをきっちりやって、同じ目線でいい関係で話しができるようにするのだと。これこそが絶対成功の秘訣だと言う。義務を果たして権利を主張するのは当たり前のことだが「最近は権利を与えないと義務を満たしてくれないというのが一般的だと言われています(笑)」
■社長として
サラリーマン金太郎ではなく、島耕作のように上り詰めた上野金太郎代表取締役社長兼CEO。社長就任が決まった時はどんな気持ちだったかとタケ小山が聞いた。「社長なんて全く考えていなかったし、そんな野心もなかった。未だにもしやりたい人がいれば是非!」とさらりと答えた。「副社長の頃は自由度もあり、自分の考えに賛成や反対をしてくれる社長がいたので、とても気持ちが楽だった。今はなんでも自分が決めなくてはならない」社長就任から5年経った今でも厳しい判断を迫られる場面は多々ある。その時、副社長時代とは違った考え方をしなくてはならないのは仕方がないことだろう。
マスターズインタビュー恒例の質問『転職』については「大賛成です!僕は会社を辞めると言った人を止めたことはないですね。思いがあって違うプレイングフィールドで戦おうとしているのでそれを止めるなんてそんな失礼なことはしちゃいけない。気持ちよく送り出してあげとようと。でも、もうちょっとさびしい顔して欲しいとか言われるんですけど(笑)」
「もし他所から社長のオファーがあったらどうします?」転職の話の流れからタケ小山は少し意地悪な質問を投げかけたが、あっさりと「そりゃ考えますよ」。しかし今やっている仕事に対する責任や自分を信じてついてきてくれている人達のことも考えるので現実的ではない。
あくまでもひとりの男として常にチャレンジしていきたいし、新しいチャレンジが欲しいと思うようになったら行動に移すだろうとのこと。ただ「今現在、チャレンジな日々を送っているので、チャレンジには困っていないんです(笑)」メルセデス・ベンツ日本と共に歩んできた上野金太郎代表取締役社長兼CEOは、やはりメルセデス・ベンツが似合っている。
■メルセデス・ベンツ日本の使命と今後について
『選ばれる』ことではなく『選ばれ続ける』ことが大切であり、難しいことだと上野社長は言う。選ばれ続けるにはどうすればよいか。「例えばゴルフ業界ではLPGAのオフィシャルパートナーをつとめたり、プロ野球では一部でリリーフカーをご提供して貢献させていただいたりしています」メルセデス・ベンツのオーナーさん達に還元、貢献しながら、日本の中で少しずつメルセデス・ベンツという名前が伝わっていけばいいと言う。
9月12日に開幕するフランクフルトモーターショー2017で、完全自動運転機能を搭載した未来のクルマも発表する。「部分的な自動運転機能はほぼ全ての車種に搭載されています」中でもタケ小山の関心は8月に発表された新型Sクラスに搭載されたリモートパーキングアシスト。スマートフォンを操作すると自動で駐車するシステムだ。
高齢者の運転で多発するアクセルとブレーキの踏み間違え事故も無くなることだろう。「ドイツ本社の会長が、自動車を発明した会社として自動車の未来に責任を持ちたいと言い続けています」事故を減らしていく努力は使命だと考える。”伝統を守り、今を生き抜き、未来につなぐ”メルセデス・ベンツは成熟したブランドであり、常に変化してゆく時代のなかで、変わらずに輝き続けるにはどうしたらいいか。上野社長の戦いは続く。