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過去の放送分 過去の放送分 2006 11月4日 放送分
「南極観測隊員に君もなれる」
コーチャー/中山由美さん(朝日新聞記者)
大村正樹&中山由美
大村正樹
今日はね、どうやったら南極に行けるのか、聞いていきたいと思います。新聞記者になれば行けるってことですか?
  新聞記者にはならない方がいいかもしれないですね。もっともっと南極観測隊のお仕事にチャレンジしてみればいいなと思います。
大村正樹
例えばどんなことですか?
  まず、隊員は研究してる人と設営の隊員と、2種類いるんです。研究する人っていうのは、南極でやる研究、例えば、雪とか氷、それから気象のこと。お天気ですね。それから生物、ペンギンとかアザラシ。オーロラのことを研究している人もいる。それから地学、地球のこと。石とか地震とか、そういったものを調べる。こういった研究をしてる人がいるんですけど、こういう人達が半分。それからさっき言った設営というのは、そこで観測してる人達が観測を続けられるように、それをささえるお仕事です。それから、みんながそこで暮らすので、生活していくための仕事があります。例えば、毎日毎日、朝昼晩ご飯食べなきゃいけないから、プロの調理人さんが2人いるんです。
大村正樹
コックさんがいるんですか?
  みんな毎日ご飯食べなきゃいけないので。それから今、大村さん、白衣着てますよね?病気になったら病院に行きますよね?昭和基地にはですね、オングル中央病院という小さな診療所があります。
大村正樹
ドクターコトー診療所とどっちが小さいですか?
  どうでしょう。でもお医者さんは2人いますね。
大村正樹
じゃあドクターコトー診療所よりレベルが高いかもしれないですね。
  そうですね。盲腸(もうちょう)や虫垂炎(ちゅうすいえん)などの小さい手術ぐらいはできますよ。あとはですね、内科の先生と外科の先生がいるので、何か体調悪いときにお薬をもらったりとか、骨を折っちゃったときとかに処置してもらったりしますね。
ペンギン
(イメージ)
アザラシ
(イメージ)
 
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大村正樹
でもお医者さんになるのは大変ですよね。あとはどんな人が行けるんですか?
  例えば、おうちならどこにでもあります、電気。電気のことを管理してくれる人、それから、電気を作り出すために発電機を管理してくれる人。それから雪上のスノーモービルとか、車両の整備をしてくれる人もいます。それから通信の隊員。おうちには電話がありますが、私達は無線機(むせんき)があって、外に出た隊員が基地と連絡を取るときに、通信室でいつでもそれを見守って、どこにいるのか、大丈夫なのか見守っててくれるんです。
大村正樹
別に科学者の方ばっかりじゃないってことですか?
  はい。大工さんとか鳶(とび=建物の基礎工事などをする職人)の方もいるんです。新しい建物を建てたり、直したりしなきゃいけないので、安全に仕事ができるように足場を作ってくれる鳶の兄ちゃんがいるんです。
大村正樹
え!?本当ですか?でもその人たちは南極に行きたいから鳶になったわけじゃないでしょ?
  そうですね(笑)。でも私と一緒に行った大工さんはもともと腕一本でやってきた人なんですけど、とてもいい方で南極観測隊が「また来てください、また来てください」っていうので、とうとう5回目の南極でした。
大村正樹
へぇ〜。それたまたまですよね?南極を志して行ってる人っていうのは、今おっしゃった職業にはあまり入ってないですよね?
  でもいますよ。調理師の人でも調理師として一人前になって、でも南極に行くチャンスがあるっていうのを知っていて、例えば、自分はフランス料理の専門だけど、どんなにおいしくても毎日フランス料理は食べられない。そしたらその人は中華もちょっと勉強したりして、なんでも作れるように勉強したんですよ。そういうのが観測隊員には嬉しいですよね。
なんでちゃん
 
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大村正樹
その人たちは普段どこにいるんですか?日本では何をやってるんですか?どこかの会社にいて、そこから派遣されるんですか?
  そうですね。調理師さんはそれぞれレストランで働いている人、ホテルで働いてる人、それぞれが日本でみなさん活躍していて、会社から行ってくれって言われる場合もあるし、南極観測隊で募集してるところに応募してきてる人もいます。
大村正樹
メインの南極観測隊の人は、どこに所属していて、どんな仕事をしてるんですか?
  研究者の多くの人達は国立極地研究所という所に入っている人が多いんですね。もともと文部科学省の中にあった研究所のひとつだったんでけど、今は独立していて、そこでは南極観測隊を送り出している所なので、そこからの人が多いんです。でもそこの人でなくても、大学などで同じ分野をやってる人で、北海道大学の人、広島大学の人、京都大学の人、それぞれの研究分野で、「雪の研究やってます」とか、「氷の研究やってます」とか、そういう人がいますね。
大村正樹
その人達は小学校時代の時に勉強できたんですかね?
  私は思うんですけど、必ずしも勉強で一番にならなくても、観測隊員ってあそこで小さな社会を作ってるから、それぞれの世界の代表者で来ているんです。つまり「これぞ自分の得意だ」というものを見つけた人達ですよね。例えば、車の整備だったら機械をいじるのがすごく上手だったり、調理の人は料理の腕がピカイチだったり、ペンギン大好きだから一生懸命調べてたとか、あとは気象庁のかたとか。そういう人もいますしね。だから、別に勉強できなくたっていいんです。
大村正樹
じゃあ夢を持っていればどんな職業の方も南極に行くチャンスがあるっていうことですかね?喋り手は必要ないですかね(笑)。
  どんな職業でも、というよりは、南極に必要とされるお仕事ですね。報道って、私もそうなんですけど、「今南極の観測隊がこんな活躍をしてますよ」というのを日本の人達にメッセージを届けるのが私の仕事だったわけですから、それが新聞記者だったり、テレビの人だったりラジオの人だったりっていうこともありますよね。
大村正樹
実際に中山さんが1年以上南極で生活して、一生に残る印象に残っている思い出の風景や景色って、なんでした?
  難しいですね。オーロラはきれいだし、氷山もすごくきれいなんですね。でもやっぱり涙が出そうに感動した景色は太陽。なぜかというと、南極の冬、昭和基地って1ヶ月半、日が昇らないんですよ。5月31日からずっとおひさま見てなかったんです。ずっと夜で、暗くて。それでようやく7月の半ばくらいに太陽が戻ってきて、水平線からほんのり茜色(あかねいろ)のピンク色っぽい、ほんわりした色が見えたとき嬉しくて、涙が出そうな気持ちになりました。
大村正樹
今、目の前で中山記者が泣いてます。驚いたな。
  (笑)いやー。「帰ってきたね、お日様、嬉しいな」って、暖かいような気持ちになってね。だって太陽の光を1ヶ月半みないなんて有り得ませんもんね。それが1月半ぶりにのぞいて、嬉しかったですね。
大村正樹
でもそうやって南極から帰ってきてもう1年ちょっとたったわけじゃないですか?それが昨日のようにイキイキとしゃべられて。ときには涙ぐむ中山さんの姿を見てやっぱりそういう経験とか、一生に残る思い出は大事だなと思いました。
ありがとうございました。
南極
(イメージ)
 
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