今日お電話を繋いだのは、日本パラリンピック委員会委員長の河合純一さん。
河合さんは、1975年、静岡県浜松市のお生まれです。
全盲のスイマーとして、パラリンピックには1992年のバルセロナ大会からロンドン大会まで6大会連続で出場!金メダル5個を含む、合計21個のメダルを獲得しました。
その間、1998年、早稲田大学卒業後、社会科の教師として母校の浜松市立舞阪中学校で教員とアスリートを両立。
2016年には、国際パラリンピック委員会から日本人で初めてパラリンピック殿堂入りを果たし、来年の東京パラリンピックでは日本代表選手団の団長も務められます。
今日、8月25日は本来であれば、東京パラリンピックの開会式の日でした。
今頃は国立競技場の近くで待っていたのかなと思うと複雑な気持ちだという河合さん。
この1年延期について、「年齢が高い選手には1年というのは大きいだろうし、若い選手には伸びしろがある。ただ出来ないことを数えるのではなく、常にどうすればできるかを考えて取り組んでいるパラアスリートたち。選手たちは1年後を目指して前向きに取り組んで、準備してくれていると信じている。今、自分にできることは何なのか。コツコツ積み上げて、いつでもそれを発揮できる努力が必要なのかなと思う。」と、コロナ禍で色々なものが未確定な中での、日本パラリンピック委員会の委員長としての思いをお話してくださいました。
今年度改訂された学習指導要領には、初めて「パラリンピック教育」という言葉が入っています。
元中学校の教員でもある河合さんは「これは大きな一歩!」だと言います。
障害者スポーツやパラリンピックが日本でもっと浸透するために、パラリンピックの歴史や価値にとらわれず、共生社会をどう作っていくのか、学びや教育がこれからの時代やレガシィを作っていくと期待されていました。
河合さん、ありがとうございました!