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『あれからどうしてた? ~作家、重松清が歩く山元町』
石森です。
この場をお借りして・・・
3月7日土曜日、夕方6時から放送させていただく報道特番
文化放送サタデープレミアム・シリーズ被災地の真実
『あれからどうしてた? ~作家、重松清が歩く山元町』のお知らせを。
サキドリのスタッフでもある4人で制作しています。
東日本大震災による津波で、637人が死亡した宮城県山元町。
この町を「流星ワゴン」「とんび」などで知られる直木賞作家の重松清さんと歩くのは
2017年以来、二度目になります。
(重松さん自身は地震発生後半年で現地を訪れました)
2017年に放送させていただいた特番では
大津波により防災無線を失い、
ほぼ全ての情報を絶たれたこの町で臨時災害エフエムを孤軍奮闘立ち上げた
元東北放送のアナウンサー高橋厚さんを中心に取材しました。
しかし、町の誰もが聴いていた、その「りんごラジオ」は、
報道特番がオンエアされてまもなく、惜しまれながら閉局します。
町のみんなの心をつないでいた「声」はもう聴けません。
あれから町は姿を変え
山元町の鉄道の駅や、町の中枢部、住宅街は内陸寄りに移動し、
ぴかぴかのコンパクトシティとなりました。
でも・・・沿岸部は。
いちごの大規模栽培が行われている地域はあるものの、今も荒野のよう。
震災から9年となる今年、
風景が変わり、人の暮らしが変わり、人の心も変化していく山元町を
家族や友達、失われた命の愛しさなどをテーマに小説を書いてきた重松清さんに
もう一度この町を歩き、皆さんと語りあっていただきたいと思いました。
山元町は頻繁にメディアで取り上げられてきた被災地ではありません。
震災発生当時もなかなかとりあげられませんでした。
ただ、山元町のように
注目されないまま静かに姿を変えていく被災地がこの国にはたくさんあります。
そういう地域こそ繰り返し取材し、
何が変わり、何が変わらないのか、追いかけ続けることが必要だと思っています。
今回出演していただいたのは
りんごラジオを立ちあげた高橋厚さん、真理子さんご夫妻のほか
◎用意されていたマニュアルにこだわらず、とっさの判断で生徒全員を津波から救った
中浜小学校の当時の校長先生、井上剛さん。
中浜小学校は「震災遺構」として保存されることが決まり
今補強工事が行われています。
井上さんは退職後、教訓を語り継ぐ「語り部」になる道を選びました。◎津波で行方不明になった当時27歳の娘さん「真希さん」を
ずっと探し続けてきた大久保三夫さん、恵子さんご夫妻。
去年8月になって真希さんの骨の一部が漁師さんによって発見されました。
今年の3月11日は、
初めて「一緒に」過ごせます。
とてもとても悲しい出来事でしたが
それでも9年近く探し続けて「やっと会えた、そばにいられる」ということが
このご夫妻にとってどういうことなのか。
まずはこの画像の表情をご覧ください。そしてオンエアでその言葉を受けとめてください。◎震災当時は小学生で、2017年の特番のときには中学1年だった少女
斉藤百華さん。以前の取材時には「お医者さんになりたい」と話していましたが
変わりゆく町の姿を見続けて「夢のかたち」が変わりました。
今は高校1年生。再開した常磐線で仙台まで通学しています。
幼いころ震災を体験し、復旧復興の過程の過程の中で育ってきた世代は何を思うのか。肉声でお聴きください。
このように
取材した全てのかたが、2017年には想像できなかった今を生きています。
「声」だからわかる「心のニュアンス」をお感じになってください。また、「言葉」以外にも聞きどころがあります。
「海から吹いてくる強い風の音」
「ひっきりなしに通り過ぎる工事のトラックの走行音」
「最愛の娘を失った夫婦が
慰霊碑の前で『娘と一緒に』飲み続けた缶コーヒーの空き缶の音」
その生々しい音は、映像以上に心に迫ります。
今度の土曜日、夕方6時からおよそ1時間。
重松さんと山元町の人々の会話に
あなたも加わっているような気持ちでお聴きいただければと思います。
◎文化放送公式サイト
http://www.joqr.co.jp/article/detail/post_270.php
◎ラジコで聴く方はこちら
http://radiko.jp/#!/ts/QRR/20200307180000
文化放送サタデープレミアム
『シリーズ被災地の真実
あれからどうしてた? ~作家、重松清が歩く山元町』
3月7日(土) 18:00-18:57