
今動いているニュースを様々な角度から深く掘り下げる『ニュースオフサイド』
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、政府が特別措置法を閣議決定したニュースと、このあと発表される緊急対策第2弾についてお伝えしました。
お話を伺ったのは、首都大学東京教授で憲法学者の木村草太さん。
閣議決定された「新型インフルエンザ等対策特別措置法改正案」について、木村さんは「元々あったもので、適用したはずだ」といいます。『緊急事態宣言』発令が出来るとはいえ、何でもかんでも出来るというわけではないとのことですが、「どういう場合に合憲なのか、丁寧に見ていかなければならない。もし出すとなった時には、新しい感染者が出なくなって2週間などの具体的にイメージできるものを提示すべき。」だとし、ここ1~2週間に行われてきた休校などの対応が、木村さんが言う「内閣独裁権条項」だったように思うとも語ってくださいました。
スタジオでは、このあと発表される新型コロナウイルス感染症に関する緊急対応策第2弾の概要を、西村志野記者が整理。
政治ジャーナリストの安積明子さんは、この緊急対応策第2弾を「新型コロナウイルスは発症率も死亡率も高くはないが、感染率が高い。全国に広がってしまっていることからも、対策としては遅すぎるし、かなりおおざっぱ。」とバッサリと斬りました。
中小企業への実質無利子・無担保融資などを政府が打ち出しましたが、これも「無利子とはいえ借金。GDPも下方修正されたこんなに体力がない状況で、貸し付ける金融機関が果たしてあるのか?」と疑問視。固定費をどうにか軽減するように補助をしてほしいとい声が上がっていることや、国民民主党・玉木代表が「もっとダイナミックな経済対策を打たないと!」と危惧されていたことなどもお話してくださいました。
こんばんは、竹田有里です。
連日コロナウイルス感染症に関するニュースが多く、不安な毎日を送っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今日は、この時間東京は雨が上がったものの、全国的に南風が強まる典型的な春の嵐となるパターンで、
九州から北海道にかけて、風や雨が強まり、荒天となりました。
そんな春の嵐の嫌気も吹っ飛び、コロナの憂鬱も払拭してくれるアイテムをご紹介します!
先週から、SAKIDORIにメールを下さった方の中から抽選で2名様に「サキドリ特製!携帯バッグ付きレインポンチョ」を
プレゼントしております。
色はグレーとネイビーの2色。
どれが当たるかは、届いてからのお楽しみにです!
とても軽く超コンパクトになり携帯しやすいですし、フード付きで長さもしっかりあり、デザインも可愛いです。
撥水加工もバッチリ!
メールは、テーマフリーですよ!
宛先は sakidori@joqr.net です。
お待ちしておりまーす!
明日のサブキャスターは水谷加奈アナウンサーです。
お楽しみに〜
石森です。
サキドリスタッフが4人関わっている特番の
お知らせをさせてください。
☆☆☆
3月28日(土), 18:00~18:57,
『文化放送終戦75年企画 シリーズ
~封印された真実 BC級戦犯~翻弄された人生』
あるBC級戦犯の生存者や関係者らに
詩人のアーサービナードさんがお話を聞きます。
※※※
「BC級戦犯」という言葉をご存知でしょうか。
「A級戦犯」ならニュースなどでお聴きになったことがあるでしょう。
「A級戦犯」は戦争を指導した将校クラス。
これに対しBC級戦犯は「上官の命令に従った兵隊や軍属」で、
連合国側から「戦犯」と判定されました。
A級戦犯として処刑されたのは25人ですが
BC級戦犯の被告は5千人を超えました。
このうち約1千人が死刑判決を受けています。
去年の報道特番の取材で行方を捜した元兵士のひとりも
BC級戦犯として巣鴨プリズンに収監された、というところで
消息が途切れました。
BC級戦犯は
階級は高くなく、再雇用された高齢者や傷を負った軍人、
また日本の国策で雇用された朝鮮人、台湾人軍属も少なくありませんでした。
捕虜収容所を監視する任務にあたった者が多かったといいます。
※※※
しかし、そうしたアジア人軍属は、
敗戦後
サンフランシスコ講和条約により「日本国籍を離脱した」とみなされたことにより
日本の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の対象から外されました。
※※※
つまり、日本の軍属として裁かれながら、
「日本人BC級戦犯なら受けられた補償」が受けられなかったのです。
今回、取材したのは
1925年、朝鮮半島南西部の全羅南道で
小作農家のの長男として生まれた李鶴来(イ・ハンネ)さん(95歳)です。
17歳で軍属となり、その後、泰緬鉄道で働く捕虜の、監視員をつとめました。
※※※
現場は苛酷で、
病気でも駆り出され、命を落とす捕虜もいましたが
李さんは命令に背くわけにはいかず、捕虜たちの怒りを買いました。
※※※
そして1945年、大日本帝国の敗戦。
李さんらは「捕虜虐待」の疑いで逮捕され、
裁判で死刑判決が下されます。
ただ、李さんを告発したひとりである軍医が
死刑に反対したことで、懲役20年に減刑されました。
※※※
1951年8月、李さんは東京の巣鴨プリズンに移ります。
そして、日本国籍をはく奪され
日本人が政府から受ける補償からも切り捨てられてしまいます。
李さんらを待っていたのは生活苦でした。
李さんは1956年10月に巣鴨プリズンを出所したあと
仲間とともに総理官邸前に座り込むなど、補償を求める運動を続けたのです。
※※※
ところが、そんな生活苦の中、一人の日本人医師が
「日本人として恥ずかしい」として
私財をなげうち、
李さんらに経済的な支援を申し出ます。
この医師の行動の背景には
巣鴨プリズンで「教誨師」を務めた
ある僧侶の存在がありました。
この番組では李さんの人生を負うとともに
李さんを支援した日本人医師、
医師に影響を与えた教誨師の遺族や関係者に取材、
語られることのなかった「戦争の素顔」に迫ります。
ーーー
なお、文化放送では今年
戦争に翻弄された人々の人生や
語られてこなかった真実について、
数回にわたる特別番組を放送します。
http://www.joqr.co.jp/article/detail/75.php
3月28日(土), 18:00~18:57,
『文化放送終戦75年企画 シリーズ
~封印された真実 BC級戦犯~翻弄された人生』