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収録:1964年・東京パラリンピック出場 須崎克己さん
今日お話を伺ったのは、1964年の東京パラリンピックに出場した須崎克己さん。
車いすバスケ、やりの正確投げ、陸上車いすスラローム、陸上100m走、水泳(50m平泳ぎ)、車いす卓球(ダブルス)、なんと驚くべきことに6つもの競技に出場された方なんですよ。
須崎さんは20歳の時にバイク事故で脊椎を損傷。
のちに日本の『パラリンピックの父』と呼ばれる整形外科医の中村裕さんとの出会いから、東京パラリンピックに出場することになります。準備不足で、ほぼぶっつけ本番で上京となったそうです。
「競技は惨敗だったけれど、勇気とか努力なしでは社会復帰できないな、中村先生やパラリンピックに出会わなかったら、今の幸せはなかったなぁと・・・」と、1964年の東京パラを振り返ってくださった須崎さん。
来年、2020年の東京パラリンピックで期待することについて伺うと、「日本は安全安心、美しいと思われる国であってほしい。障がいのある人もない人もスポーツに関心をもっていただきたいし、選手はスポーツの価値観を理解して感謝されるようになってもらいたい。」と語ってくださいました。
「1964年の東京パラリンピック以降、障害者が住みやすい社会になり、障害者に対しては優しいと思うけど、ひとりひとりの日本人が持つ優しさは、1964年当時の方があったかなぁ。」という須崎さんの言葉に、一美キャスターは「根本的なところで、今はあまりにも人に余裕がなくなってしまっているのかもしれない。」と感じたようでした。須崎さん、貴重なお話、ありがとうございました!