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第277回:考えていますか?終活、墓じまい
『ニュースオフサイド』 テーマ「希望の党と民進党、今日にも新党の名称決定」。
新党への参加を表明している民進党の白眞勲 参議院議員、反対に分党を申し入れた希望の党の松沢成文 参議院議員にお話を聞きました。
結論が持ち越しになっていた新党の名称は、ちょうどこのコーナーの最中に決定。【国民民主党】、通称は【国民党】となりました。
16時台の『きょうのナマチュウ』では、「生きているうちに、人生の身じまいの準備を。行政の終活支援と墓じまい」と題して、人生最期に向けて準備をする「終活」とお墓を守る人がいなくなりお墓を撤去・移転する「墓じまい」について特集しました。横須賀市では、来月1日から希望する市民を対象に終活情報を生前登録する事業を始めます。その支援事業についてお話して頂いたのは、横須賀市福祉部次長 北見万幸さん。
市役所には、ご本人が亡くなってしまってから分からないことについて親族たちから問い合わせが来ることもあるそうで、今回のこの事業では市役所だからこそ出来ることとして、希望者の住所やかかりつけ医、墓の所在地、エンディングノートや遺言状の保管場所など書面で残すとのこと。「死後の尊厳を守るため」とお話して下さいました。
次に「墓じまい」の理由や、「墓じまい」をする時の一連の流れについて、NPO法人 やすらか庵 代表の清野徹昭さんにお話して頂きました。お墓に関する決定権はお墓を引き継ぐ人、後継者になるそうですが、親族や関係者にひとことも相談せずに「墓じまい」となると、後々トラブルになることも。
NPO法人 やすらか庵では無料相談を行っているそうです。詳しくは NPO法人 やすらか庵のホームページをご覧ください。→こちらから
西村志野記者は、終活と墓じまいについて、新橋で街の声をインタビュー!具体的に考えたことがない方もいれば、写真館で「終活」の文字を見て「遺影の写真だけは撮っておこうかな」と考え始めている方、急に亡くなった時に残された家族が困らないようにしたいなどの声が聞かれました。
『SAKIDORIニュースパレード』で石川真紀キャスターが取り上げたのは「ハワイでサメに噛まれた男性、ヘビとクマにも」という話題でした。ハワイでボディーボード中にサメに襲われたマクウィリアムスさんが、以前にクマとガラガラヘビにも襲われる経験をしていたことが分かった。4年間に3回もの怖くて痛い思いをしたものの、「自分がまずい時にまずい場所に居たんだと思う」と、マクウィリアムスさんは今後もアウトドアを楽しむと言っているそうです。
火曜コメンテーターは俳優の石田純一さん。今日の『オピニオン』では、福田事務次官のセクハラ問題報道後の「なるほど今の時代はそういう感じかなと思った」発言、麻生太郎財務相の「今の時代なら明らかなセクハラ」発言、自民・長尾敬議員の「セクハラとは縁遠い方々」Twitter書き込み、下村博文元文科相の女性記者が録音データを「週刊新潮」に渡した行為を「ある意味で犯罪だと思う」発言...「みんなアウト!!」と喝!
『SAKIDORIスポーツ』担当は長谷川太アナウンサー。今日はここまでのプロ野球 ペナントレース振り返りの前に、23日に上行結腸がんのため都内で死去した、2215試合連続出場"鉄人"と呼ばれた衣笠祥雄さんの話題から入りました。
『ニュースパレードアネックス』 築地市場が豊洲へと移転するのを前に、東京都は今日、土壌汚染に関する追加対策の工場現場を報道陣に公開。 取材した伊藤佳子記者が、どのような公開内容だったのか、公開の狙い、今後のスケジュールなどを詳しくレポートしてくれました。
【今日の1曲】 雨を見たかい/CCR -
ゲスト:女子アルペンスキー座位 村岡桃佳選手②
ゲストは先週に続いて、平昌パラリンピックの女子アルペンスキー座位(座って滑るクラス)で金メダルを含む5つのメダルを獲得した村岡桃佳さんでした。
先週は平昌パラリンピックでの活躍を振り返りましたが、今週は村岡さんの、「これまで」と「これから」にフォーカス!4歳で横断性脊髄炎という病で下半身がまひし、車いす生活になった村岡さん。「祖母と兄と普通に歩いていて、だんだん重たくなっていった」という瞬間を覚えているとお話してくれました。
始められたチェアスキーは最初「痛い」思いをしたのにも関わらず、こうして続けられたのは、村岡さんのご出身が普段あまり雪を見られない埼玉県の深谷市だったからとのこと。
現在、村岡さんは早稲田大学の4年生。スポーツと勉強の両立を「ちゃんとやれているか分からないけど...」と恐縮されていましたが、競技のシーズンオフである夏の間にめいいっぱい単位を取得するように頑張っているそうです。
最後に、「今回の平昌パラリンピックで金メダルはまだ1つ。4年後はもっと、良い色のメダルをたくさん獲りたい」と、2022年の北京パラリンピックへ向けての思いも聞かせて下さった村岡さんでした。