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九州の豪雨を取材して(福岡県朝倉市)
避難所の外を消防車がサイレンを走り抜けていったときに
火事かな?と思ったのですが
避難所にいたかたはこういいました。「だれかまた、見つかったのかもしれない」
自分が避難生活をしていても
昔から知っている誰かの身を案じながら
不安な日々を過ごされています。
九州の豪雨が始まってからきょうで6日目。
この記事を書いている時点で
犠牲者は21人。
まだ20人以上の行方が分かりません。福岡と大分両県では、1700人が避難生活を続け、
集落の孤立で250人が取り残されています。私が主に取材したのは福岡県、朝倉市です。
押し流された土砂や流木が民家の一階をつきやぶり、
ひどいところでは泥の海から二階部分しかみえておらず、
そこにまた
いくつもの流木が、覆いかぶさっていました。
今回は国道などが、あちこちで陥没したり、土砂崩れで寸断され
孤立した地区がたくさんできました。避難所や災害対策本部には
家族が来ていませんか?と尋ね歩く皆さんの姿がありました。杷木・志波地区も、
川の上流の地区が豪雨に見舞われた翌日の夜まで孤立しました。ーー
ヘリも近づけず、
結局、消防のレスキューにおぶってもらったり
ロープを使って、土砂や陥没を乗り越えて脱出しました。志波小学校の体育館が皆さんの避難所になっており
そこで、孤立していたとき、どうされていたのか聞きました。普段から地域のつながりが強く、子供のころから知っている仲間なので
食糧や発電機、井戸の水をくみ上げるポンプを持ち寄ってしのいだといいます。ーー
皆さんのうちの数人が、一度だけ消防に助けてもらいながら
土砂を乗り越えて戻ったことがありました。それは、「生まれ育った家を離れたくない」としがみついた
90代の男性を説得するためでした。おじいさんは脱出前も入れ替わり立ち代わり説得してきたのですが応じず
やっと一人残されて、電気も水も、人影もなくなった町でさびしくなり
ついに息子さんの説得で折れたといいます。皆さんがつらかったのは、みな、
おじいさんの気持ちが痛いほどわかっていたから。
誰もが思い出のつまった家を離れたくなかった。
皆さんが心配していたのは「これからの生活」でした。
このあたりは志波柿という、果物の柿の名産地で
多くの方は柿農家でした。
しかし濁流は、柿の木をなぎ倒していったのです。農家の一人は
買ったばかりの80万円もする農機具を
一度試運転しただけで失いました。
本人はもう笑うしかないけん!と言っていましたが
まわりで笑ってあげているのは仲間の優しさでした。東日本大震災の避難所も取材しましたが
みんなも苦しいんだから私が弱音を吐いてはいけないと
寡黙になっていたのに比べると悩みを口に出して笑い飛ばしたり、
一緒に考えたりする傾向があったように思います。
それも普段の強いつながりが
良いほうに作用したのだと思います。
――
若い世代の農家の一人は、こう言ってました。
「仮設住宅に入ることになっても
この地域のコミュニティーを崩さないまま入居したい。
そして
皆、一様に畑、すなわち仕事を失っているのだから
自治体は私たちに地元を復旧させる仕事を与えてほしい。
一時的な補助、保障に頼らず、
なるべく早い時期に自立するためだ」。菅官房長官は
激甚災害の指定に前向きな姿勢を示しています。
今はまだ国も自治体も
まずは、人命救助優先という状況ですが
素早い決断と実行力をみせていただきたいと思います。
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石森