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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

3月22日(月)〜3月26日(金)
今週は、「開幕戦物語」。プロ野球の開幕にちなみまして、
過去のドラマティックな開幕戦をご紹介してまいります。


3月22日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
本日は昭和三十九年(1964年)の開幕戦から、 「王貞治、開幕戦初安打」の巻。
昭和三十九年、といえば、東京オリンピックの年。 開会式が十月十日に行われるとあって、 プロ野球も日程が大幅に前倒しとなりまして、 開幕戦は三月二十日に行われました。 何といっても、注目を集めたのは、後楽園球場の 巨人と国鉄の一戦。
注目が集まるのは、2年連続ホームラン王となり、 このシーズンには三冠王を狙うという巨人・王貞治。 実はこの年のキャンプ、荒川打撃コーチは、王に対し、 一本足から二本足に戻すようアドバイスしていました。 「一本足ならホームランは出る。 しかし、相手はコーナーを突いてくるからボールが増え、 打率は上がらない。三冠王を狙うためにも、 通常の二本足打法のほうがいいだろう」 いったんはアドバイスに従うかに見えた王でしたが、 キャンプ中盤のある日、荒川の部屋を訪ねて宣言します。 「一本足が、僕がプロでやっていくためのバッティングです。 一本足で、三冠王を取ります!」 3月20日、開幕戦。
マウンドに立ちはだかるのは、 前の年には30勝を挙げ、ここまで通算326勝の 十年連続開幕投手、金田正一です。 王はここまでの5シーズンで、まだ開幕戦では ノーヒットが続いていました。 一回裏、巨人は四番・長嶋のツーベースで先制。 そして三回裏。王の第二打席。 俊足の柴田を塁に於いて、カウント、スリーボール、 ワンストライクから、金田の内角ストレートを強振、 ボールはぐんぐん伸びて、ライト場外へ! 開幕戦の初安打が、特大のホームランとなりました。 ボールの推定飛距離は、150メートル。 ローラースケート場前の、喫茶店の屋根をドスンと一撃。 「生きたバットと生きたボールがぶつかると、 あんなに飛ぶんだねえ」と荒川コーチは驚きます。 「一塁が柴田やったから足が気になったんや。 それに長嶋をどう攻めるか考えておったら、大失投や。 たまたまヤマが当たってホームランになっただけや」 必死に悔しがる金田、しかしこの後、ぼそりと一言。 「今の王には投げる球がない。全部打ちよる…」 結局3対1で巨人が見事に勝利を収めます。
この年、王はホームラン55本の新記録を樹立し、 打点119で打点王も獲得。しかし、残る打率部門で、 中日の江藤慎一に3厘及ばず、二冠のみに終わります。 巨人のチーム成績も振るわず3位、優勝は阪神。 しかし、この年のシーズンオフに、金田が巨人へ移籍、 そして翌昭和四十年のシーズンから、空前絶後の 九連覇がスタートすることになるのです。

3月23日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

本日は昭和五十七年(1982年)の開幕戦から、 「小林繁、完封目前の悪夢」の巻。
昭和五十七年(1982年)、 4月3日、プロ野球開幕戦が行われます。 横浜スタジアムで行われた、横浜大洋と阪神の試合では、 阪神のエース、小林繁が登板。三年連続の大役となりました。 しかし、ここまでの二年、開幕試合と小林は、 実に相性が悪かったんですね。 一年目は五本のホームランを浴びて降板。 二年目は先頭バッターの打球を左足に受けて、 なんとかがんばってピッチングを続けたものの、 結局8失点で敗戦投手となっています。 そして3年連続の開幕投手となった、この横浜大洋戦。 2回ワンナウトから、20人続けてバッターを打ち取る、 ほとんどパーフェクトに近いピッチングを見せます。
味方打線も必死の援護で、2対0とリード。 ようやく三度目の正直となるか…と思われた9回裏に、 地獄がぱっくり、口を開けて待ち構えていました。 降り始めた雨に、手元が狂ったのか…。 突如、乱れた小林は、この回、4安打を集められ、同点。 そしてツーアウト、一塁三塁となって、 迎えるバッターは五番、高木由一(よしかず)。 当時は3時間の時間制限があり、 既にこの時点で阪神の勝ちはなくなっていました。 ベンチからは敬遠のサインが出ますが、意気消沈した マウンドの小林は、ただ呆然とするのみ。 実は、いつも全力投球がトレードマークの小林にとって、 軽く投げなければいけない敬遠のスナップスローは、 弱点だったのです。一球目、キャッチャーの若菜は 立っていますが、ボールは内角低めに。 慌ててキャッチする若菜。 二球目も、若菜が飛びついて止める。 なんとも投げにくそうにしている小林。
横浜大洋の関根潤三監督は、その時を振り返って、 「もしかしたら…って、よぎったね」 と、語っています。そして運命の三球目。 サイドハンドからの、スナップスロー… しかし、スナップが効きすぎてしまいました。 ボールは、左バッターの高木由一のはるか遠く… キャッチャー、若菜がジャンプすら試みないほど、 ホームと三塁の間に向けて放たれました。 三塁ランナーは小躍りして生還、横浜大洋のサヨナラ勝ち! 結局、小林は3年連続して開幕の勝ち投手となれず。 翌年も開幕投手を務めたものの、やはり好投報われず、 負け投手となり、結局この年限りで引退。 通算139勝を挙げながら、開幕戦の勝ち投手とは 縁がないままユニフォームを脱いだのです。

3月24日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

本日は昭和六十二年(1987年)の開幕戦から、 「西本聖魂のシュート」の巻。
昭和六十二年(1987年)4月10日。 各地で行われた開幕戦のうち、もっとも注目されたのが、 後楽園球場で行われた巨人・中日の一戦でした。 中日は、生え抜きの期待の星、星野仙一が新監督就任、 話題となっていました。さらにロッテで2年連続三冠王、 日本人初の1億円プレイヤー・落合博満を、 大型トレードで獲得。3年連続三冠王を目指す落合は、 4割・70本・200打点を目標に掲げ、 この日、鳴り物入りのセリーグ・デビューを飾るのです。 果たして開幕投手、即ち落合と最初に真剣勝負を戦う セリーグのピッチャーは誰になるのか? 日本中の注目が集まります。
多くのファンが予想したのは 「江川卓」。前年度はチーム最多勝の16勝を挙げ、 年齢も32歳、まさに円熟期を迎えようとしていたのです。 ところが、バッテリーの発表で、スタンドはどよめきます。 「ピッチャー、西本。背番号26」 名前を呼ばれたのは、前の年、僅か7勝に終わった西本。 長く江川とエースの座を争ってきた、 鋭いシュートを決め球に持つ、十三年目の右腕投手でした。 ジャイアンツにはここまで奇妙なジンクスがありました。 西本が開幕投手の年は優勝し、江川の年は優勝できない。 昭和五十五年からこの年まで、西本と江川は面白いように 一年ごとに開幕投手となりましたが、江川は四回登板して 2勝1敗、いずれも優勝できず。
一方の西本は、三回のうち 2勝1敗、このうち勝ち投手となった2つのシーズンは、 いずれもペナントの覇者となっています。 試合が始まります。最初の対戦は一回の表、 ツーアウト、ランナー一塁の場面でやってきました。 落合は初球、シュートをひっかけサードゴロ。 二打席目、二球目、真ん中に来たシュートをセンター前に。 これがセリーグでの初めてのヒットとなりました。 第三打席、四球目のこれまたシュートを三塁線に強打、 しかし三塁手・中畑清の好守に阻まれ間一髪一塁アウト。 そして九回、ツーアウト一塁で四度目の対決、 2球目のシュートをひっかけショートゴロで試合終了。
結局、この日、西本は落合への9球、すべてシュートを 投げ、打線の援護もあり、6対0の完封勝利を挙げました。 このシーズン、巨人は独走でペナントレースを制覇 西本開幕投手のジンクスは守られます。 一方、中日は2位。落合は三冠タイトルとは無縁でした。 江川卓はこの年引退。西本にとっても巨人時代、 開幕投手を務めた最後のシーズンとなりました。 翌年、東京ドームが開場し、開幕投手は桑田真澄。 新しい時代が、始まろうとしていたのです。

3月25日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

本日は平成六年(1994年)の開幕戦から、 「ノーヒットノーランまで、あと3人」の巻。
平成六年、四月九日。プロ野球が開幕します。 前年度、パリーグの覇者、西武ライオンズは、地元、 所沢に近鉄バファローズを迎え撃つ。 近鉄のマウンドに立つのは、ルーキーイヤーから 四年連続最多勝を続ける、 押しも押されもしない日本のエース、野茂英雄。 この日の野茂は、神がかり的なピッチングを見せます。 140キロ台のストレートがコーナーにビシビシと決まり、 フォークはストンストンと落ちまくる。 4回までの12アウトのうち、実に11個が三振という 凄まじい切れ味で、西武打線を寄せ付けません。
一方の西武も、オリエンタル超特急、郭泰源が 見事なピッチングを見せ、息を呑むような投手戦が続く。 試合は、0対0のまま、いよいよ9回に突入、 野茂はここまでノーヒット・ノーランを続けています。 9回表、試合が動きました。ワンナウト二塁で、 バッターボックスに、ドーム天井直撃男、 ラルフ・ブライアントが登場。西武ベンチは敬遠を指示、 ワンナウト一・二塁となって、四番・石井が登場します。 実はこのとき、石井は物凄く怒っていた。 「四番の俺をナメくさりやがって!」 バット一閃、レフトスタンドに突き刺さる豪快な3ラン、 近鉄が3対0とリード。あとは野茂の大記録が 達成されるかどうかに、観客の興味は移ります。
ところが、勝利の女神は気まぐれでした。 九回裏、先頭バッターは四番・清原。 清原は四球目のストレートをライトに流し打ち、 これがライト・内匠のグラブをかすめて外野を点々、 ノーヒット・ノーランの夢はここについえます。 続くバッター、鈴木健が歩いてノーアウト一、二塁。 六番石毛はレフトフライでワンアウト。 そして代打のブリューワが、セカンドゴロとなり、 ゲッツーでゲームセット…かと思いきや、名手、 大石大二朗が痛恨のエラーでワンナウトフルベース。 近鉄・鈴木啓示監督は、なんと投手交代を告げます。
憮然とした表情でマウンドを降りる野茂英雄。 そして代わったピッチャー、赤堀から、 西武・伊東勤が、レフトスタンドに サヨナラ逆転満塁ホームランを叩き込んだのです。 この事件が大きなきっかけとなり、野茂と鈴木監督の 対立は深まっていきました。野茂はオフに近鉄を退団、 メジャーリーグ挑戦の先駆けとなり、海を渡ります。 そして後に二度のノーヒット・ノーランを達成したのは、 皆様よくご存知の通りです。

3月26日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

本日は平成九年(1997年)の開幕戦から、 「小早川毅彦意地の三連発」の巻。
平成九年(1997年)、プロ野球、セリーグの開幕戦は 4月4日に行われました。 東京ドームでは、前年の優勝チーム、巨人が、 ヤクルトを迎え撃ちます。 マウンドに立つのは、エース、斎藤雅樹。 斎藤は、なんと前の年まで、三年連続、 開幕戦完封勝利という恐るべき記録を続けていたのです。 また前の年に挙げた16勝のうち、実に6勝までを、 ヤクルトから荒稼ぎ、巨人の優位は揺るがないと 思われていました。しかし、ヤクルトの知将、 野村克也監督は、ある一つの手を打っていたのです。
それは、広島から移籍してきた小早川毅彦の起用。 ヤクルト打線には、斎藤への苦手意識が 染み付いています。しかし、小早川にはそれがない。 前の年、引退とコーチ就任を打診されながらも、 「現役に未練があります」と自由契約で移籍してきた、 瀬戸際のプレイヤー、小早川の意地にも期待していました。 小早川の最初の打席は2回表。 斎藤が渾身の力を込めた、初球のストレートを、 バックスクリーン右に叩き込む先制ホームランを放ちます。 巨人はこのあと、いったん逆転に成功しますが、 小早川、四回の第二打席で、今度はカーブを見事にとらえ、 同点の2打席連続ホームラン。
斎藤雅樹は、「この日の小早川さんには、何を投げても 打たれるような気がした」と語っています。 もともと、弱気な面のある斎藤、その弱点が次第に 頭をもたげてきたのです。 そして、同点で迎えた6回表。ヤクルトは、現在も 北海道日本ハムで大活躍中の稲葉篤紀がソロホームランを 放ち、一点リードして3対2。 バッターボックスには小早川が入ります。 斎藤は、もはや蛇ににらまれたカエルのようでした。
(ストレートも、カーブもやられた。 あとは、シンカーしかない) 初球、二球目とシンカーが続きますが、いずれもボール。 小早川は、きっと斎藤をにらみすえます。 (斎藤の性格だ、次もシンカーに違いない) 三球目も狙い通りのシンカー、しかも甘く入ってくる。 小早川はバット一閃! ボールはライナーでライトスタンド、 最前列に飛び込む見事な三打席連続ホームランです。 ヤクルトは2点のリードを継投で守りきり、4対2で勝利。 勢いに乗って、このシーズン、2年ぶりのペナントを 手にすることになったのでした。

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