8月17日(月)〜8月21日(金)
今週は、「お江戸 百物語」。 まだまだ暑い日が続くこの時期に、 江戸の昔、市中を騒がせた怪談の数々を、
選りすぐってご紹介いたします。
8月17日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
きょうのお話は「私を殺してください」。
四谷怪談、牡丹灯篭などの大掛かりな話から、のっぺらぼうや 「置いてけ堀」などの「ちょっと怖い話」に至るまで、
江戸の人々は、揃いも揃ってみな「怪談」が大好きでした。 新月の夜。六、七人の人が寄り集まって、一つ一つ、
背中がぞくっとするようなエピソードを披露しては、 隣の部屋に置かれた百個の行灯を、一つずつ消していく。
そして百個の物語を語り終えて、最後の灯りが消えると… その部屋で世にも恐ろしいことが起きる……これが「百物語」。
江戸の夏には大変流行ったレジャーなんだそうです。
「いちまーい、にまーい……」 江戸の中でもオソロシイ話が多いのが、番町・麹町界隈。 あの「お菊さん」でおなじみの
「番町皿屋敷」のお話は皆様ご存知のことでしょう。 今日は、この界隈で起きた不思議なお話を一つ、 ご紹介いたします。
いまは牛込・神楽坂の毘沙門様としておなじみの「善国寺」。 かつてこのお寺は、現在の新宿通り、 地下鉄有楽町線の麹町駅あたりにありました。
ここから日本テレビ麹町分室脇を通り、市ヶ谷へ向かって 谷底へ降りていくのが「善国寺坂」。 この谷底は、かつて、行き倒れや、
あるいは侍が手討ちにした死体などを投げ捨てる場所で、 しゃれこうべが沢山転がっていたんだそうです。 そこで、付けられた名前が…「地獄谷」。
ある晩のこと。善国寺で「夜談義」(よだんぎ)… 夜に行われるお説教のことですが、これを聞いた帰りの 二人の若者が、地獄谷にさしかかりました。
と、向こうから、一人の女が歩いてくる。 これがまた、水もしたたるいい女だからたまらない。 若者たちは、ありがたいお話を聞いた帰りということも忘れ、
フラフラと女の近くによっていきます。 すると女は、男たちの袖をがっしりと握り締めて…… 「私は市ヶ谷の松屋と申しますお店(たな)の娘でございます。
娘時分から手習い、琴、琵琶などの稽古を重ねて、 それは楽しく過ごして参りました。十七の春、浅草の瓦屋に
嫁に参りましたが、夫は女遊びに現を抜かした上に 身請けまでして、私に辛くあたるのでございます。 恨みを晴らそうと、
山王様へ丑の刻参りにやってきましたが、 道に迷ってしまいました。こうなりました以上、 死んで恨みを晴らしたいと存じます。
どうか、私を殺してください。どうか、どうか……」 若者たちはびっくり仰天、「化け物だア…!」と、 必死の思いで取りすがる女から逃れます。
「どうか、どうか…」とか細い女の声は どこまでもついてくる。 その目に宿った青白い光を、二人は生涯、 忘れることができなかった、と申します。
8月18日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
きょうのお話は「お金を返してください」。
番町・麹町界隈は怪談の名所でございます。 今日も、この辺りに伝わる不気味なお話です。 善国寺…と申しますと、現在は神楽坂に引っ越しまして、
神楽坂の毘沙門天としておなじみのお寺でございますが、 その昔は、麹町の高台にありました。 近所のお蕎麦屋さんに、この善国寺の住職がやって参ります。
「ご主人、ちと頼みがあるのじゃが」 「へえ、ご住職さま、なんでございましょう」 いったい何事かと、蕎麦屋の主人が控えておりますと、
住職が懐から大きな紙包みを取り出します。 「ここに七十両という金子がある。
一つ、私がいいというまで、預かってはもらえまいか」 主人は頭を抱えます。普段から懇意にしている住職だけに、
普通の頼みごとなら、たいがいのことは承知いたします。 ところがお金、しかも七十両もの大金となると大ごとです。
「ご住職さま、これほどの大金となりますと…」 「いや、そちらが難儀するのは百も承知じゃ。 そこを曲げて、預かっていただきたいのじゃ、この通り…」
徳の高いお坊様に頭を下げられてはどうしようもありません。 主人は仕方なくその大金を預かることになりました。
何ヶ月かが過ぎたある夜のこと。 夜の十時ごろ、扉をドンドン! と叩くものがあります。 主人が開けてみると、驚いたことに、住職が立っています。
「ご主人、済まぬが、急にあの金子が入用になった。 明日の昼までに、全額、寺に届けていただきたいのじゃ」
一体何事か…と訝しがりながら主人はその夜は休みます。
翌日。言いつけられたとおり寺へ七十両を持参し、 若いお坊さんに「ご住職にお取次ぎをお願いしたいのですが」。
するとこの坊さん、少し驚いた様子で、 「とりあえず、本堂へお通りください」。 すると、本堂の真ん中に一つの棺が安置してあります。
「ご住職様は、昨夜、突然、亡くなられたのでございます」 時刻を尋ねると…まさに店にやってきたそのとき。
主人は、かくかくしかじか…と訳を話し、財布を取り出すと 「ともかく、これはお返し申し上げます」と棺の前に供える。
するとニュル! 中から住職の手が伸びて財布をつかんだ。 傍らの坊さんが驚いて引き離そうとすると手の力が強く、
どうやっても引き離すことが出来ない。 住職の体は冷たく、目は閉じられています。 パニックを起こす坊さんたちを尻目に、蕎麦屋の主人は、
あたふたとその場から逃げ出しました。 後から聞くと、夜中になんとか財布を切って金を取り出し、 住職の遺体と共に、火葬にして、手厚く葬ったそうです。
8月19日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
きょうのお話は「のろわれた振袖」。
明暦三年(1657年)に起きた、 江戸の三大火事のひとつ、「振袖火事」。 本郷丸山町の本妙寺から出た火が、おりからの強風によって、
江戸の町全体に広がります。 あいにく、その日までおよそ二十日間雨が降らず、 町がカラカラに乾いていたことも被害を大きくさせました。
そして火事がやんだ後は、一転して大吹雪。 家を失った多くの人々が寒さのあまり凍死することになり、 死者十万人以上、焼失した町が八百にも及ぶという、
凄まじい大惨事となったのです。 この火事の裏側には、ある恐ろしい「振袖」が関わっています。 三年前の春のこと。浅草諏訪町の大増屋の娘、
町内でも評判の美女、おきくさんがお花見に出かけます。
上野の山、そして浅草へと巡り歩いている途中、 一人の寺小姓を見かけます。この余りの美しさに、 おきくさん、ボーッとなって寝ても覚めても思うのは
あの方のことばかり、いわゆる恋わずらいというやつ。 両親はこれは大変だというので、金に糸目をつけず、 その美少年を探しましたがついにどこの誰かはわからず仕舞。
そうこうするうち、食べ物も喉に通らない おきくさんは衰弱し、 翌年の正月十六日、とうとうはかなくなってしまいます。
最後の旅立ちに、花見の日に身に着けていた、 紫ちりめんの振袖を着せてやろう…と、 両親は娘が大好きだった着物を泣きながら着せてやる。
一年後。今度は、本郷の麹屋さんという、これも大店の娘で、 お花さんという美女。この娘が、近所の古着屋で、
たいそう手の込んだ紫ちりめんの振袖を見つけます。 「ねえン、パパあ、あれ買って…」とおねだりしまして、
これを喜んで身に着ける。ところが、それ以来、 どうも体の具合が優れなくなり、あれよあれよと衰弱し、 これも正月十六日に亡くなってしまいます。
さらに、一年後。日本橋の伊勢屋という質屋の娘、お辰。 家の質流れで置いてあった紫ちりめんの振袖を気に入って、
親にせがんで自分で着ることになりましたが、これまた 訳のわからない病気にかかって正月十六日に、逝去。 おきくの三回忌、お花の一周忌、
お辰の葬儀が同じ日に重なる。 顔を揃えた親たちは、お辰の棺にあの紫ちりめんの振袖が かけてあるのに驚きます。これは何か因縁があるに違いない。
もうこんな思いを他の親にはさせられない、 振袖を燃やしてしまおう…と、本堂の前で火をたき、 和尚様がお経を唱える中、パッ! と火の中に投げ入れた。
すると折からの風に舞い上がった燃える振袖が、 本堂に燃え移って、やがては江戸中を焼き尽くしてしまった…
これが伝えられている「振袖火事」の真相でございます。
8月20日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
きょうのお話は「野ギツネたちの午後」。
現在の江戸川区篠崎、当時の篠崎村に、 権八という名の威勢のいい魚屋さんがおりました。 ある、暑い、暑い、真夏の午後のこと。
篠崎村と小松川村の境のあたりまでやってまいりますと、 松の木陰で四匹の狐が気持ちよさそうに昼寝しております。
「クソ暑い上に魚も売れず、 こちとらヒイヒイ参ってるというのに、 こいつら、狐の分際でのんびり昼寝とは面白くねえ」
現代の言葉で申しますとストレスが溜まっていたのでしょう。 この権八さん、魚を入れた桶を外すと、 天秤棒で狐たちに殴りかかっていったからたまりません。
寝込みを襲われたものだから狐も逃げ遅れまして、 「ギャンギャン! コンコンコン!」と、思い切り殴られ、
ほうほうのていで逃げ出して行ったのでございます。 「あーすっきりした! ざまあみやがれ!」 権八さん、再び歩き始めると、
さっきまでの太陽はどこへやら、 一天にわかにかき曇りまして、大粒の雨がザー…。
すると遠くで、お寺の鐘が… 「おかしいなあ、まだそんな時分じゃねえのに」 慌てて近所の顔見知りの茶店に駆け込みます。
するとそこの主人が、暗〜い顔で出てまいりまして、 「権八っつぁん、ちょうどよかった」。 実は、この家のおかみさんが、昨夜急に亡くなった。
これから野辺の送りに出なければならない。 村人たちと寺まで行ってくるから、留守番しててくれないか。 権八さん、まったく気が進みませんが、
日ごろ世話になっていることもあり、場合も場合ですから、 「ったよ、しゃんめえ、行ってきな」と承知いたします。
主人と村人たちが出て行って、しばらくして。 雨が一層強くなり、急に薄暗くなったところで 「権八さん…」と、なまめかしい声。
さっき棺桶に入っていたはずのおかみさんが、目の前にいる。 しかも襟元は妖しく乱れて、 「あたしゃ、あんたに焦がれ死にしちまったよ」。
おかみさん、ガタガタ震える権八の腕を握ってくる。 なんとか振りほどこうとする権八…すると、ガブリ! 「いてェーッ!」おかみさんが噛み付いてきます。
どうやっても逃げられない。あまりの痛みに気絶する権八。 …しばらくして。「権八っつぁん、権八っつぁん」…と、
起こされる。どうしたんだ、血だらけだよ…と、茶店の主人。 「お、おかみさんの野辺の送りは…」 「何いってんだい、あたしもかみさんもピンピンしてるよ」
権八が、主人や村人たちに訳をはなすと、 「ああ、そりゃキツネをいじめた腹いせに、 バカされたんだ。命があって、よかったねえ」
8月21日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
きょうのお話は「お餅で最後の晩餐」。
寛政六年(1794年)の出来事でございます。 当時の寺社奉行が、儒学を勉強しようと発心いたしまして、 年老いた儒学者を屋敷に招きます。
最初の講義が終わりまして、 「先生のお話は、大変ためになります。つきましては、 昼間は公務があります故、当屋敷に住み込んでいただいて、
夜、ご講義いただくわけにはいきますまいか」 先生、もとより他に仕事があるわけでもありませんから、 それは有難きお話…と、家庭教師を引き受けます。
ところが、あいにくお屋敷の長屋が全部ふさがっている。
「ぜひ先生に住み込んでいただきたいのだ。 どこかに一部屋ぐらい、あるだろう」と、お殿様。 「実は、ないことはないのですが……」
部下が、申し訳なさそうに口を開きます。 「お長屋のはずれの部屋なのですが、何かもののけが出る、 ということで、次第に誰も住まなくなり、今では物置に
なっている部屋がございますが…」 うーむ、と、頭を抱えるお奉行に、儒学者の先生が、 「なに、わしは妻子もない一人身、恐れる物はございません。
その部屋で結構ですので、ぜひ住まわせてくだされ」 こうして先生、お化けの出るという長屋で暮らし始めます。
翌日、先生のもとに、同じ年頃の老人が尋ねてきて、 「近所に住まうものでござる。一献、いかがかな」 先生も好きなほうですから、「これは、かたじけない」
同じ年頃とあって、昔話で意気投合。 それから二人は毎晩、愉快な時を過ごしていたのですが… 半年ほどが過ぎた、ある夜のこと。
「これまで隠しておりましたが、実は私、この長屋に 百年以上も暮らしております古狸でございます。 このたびはご縁があり、親しくお付き合い頂きましたが、
いよいよ命数が尽きまして、近々おさらばでございます」 先生が理由を尋ねると、昔はどこでも残飯が豊富だったが、
最近はどこも倹約ばやりで、十分に栄養が摂れない。
身もどんどん痩せ細るばかりで、もう如何ともしがたい。 「私が一食を抜いてもよろしいのです。何とかなりませぬか」
「もはや…致し方ありませぬので」 「では、これまでお付き合い頂いたお礼を兼ねて、最後に何か …お好きなものを召し上がっていただきたいのですが」
「ありがとうございます。さようならば餅を少々…」 先生の心づくし、つき立てのお餅を用意して待っておりますと
痩せ衰え、毛も抜け落ちた老いた狸が縁の下から現れます。 「もう、化ける気力もございませんので…お許しください」
じっくり餅を味わって食べると、何度も頭を下げ、縁の下へと 消えていきました。 狸は、それきり、二度と現れなかったのです。
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