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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

3月30日(月)〜4月3日(金)
今週は、長い歴史を持ち、今も変わらぬ人気を集めている街・浅草を
1週間にわたって取り上げてまいります。

3月30日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
コーナーはお休みしました。


3月31日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「浅草の中心・浅草寺」です。
観音様・・・で親しまれている浅草寺。 創建は推古天皇36年、西暦では628年とされています。実に、1380年という長い歴史があります。 時代は下って鎌倉時代。 武士や庶民・・・浅草寺は広い層から信仰されていて、古文書にも「武蔵の国・あさくさ」 という表現がひんぱんに出てまいります。 鎌倉時代に入る頃には、関東でも有数の門前町として賑わい、立派な建物が並んでいました。 当時の古文書の一節[鎌倉の鶴岡八幡宮を建てるため、「武蔵の国・あさくさ」から大工を招いた。彼らの見事な働きにより、立派な建物が完成した・・・]。
浅草には、大工をはじめとして、優秀な職人がいたこと、大きな仕事が始まる時には声が掛かるほどに有名だったようです。時代はさらに下って江戸時代。浅草界隈に住んでいた町人の自慢は、浅草寺の鐘の音でした。 何故でしょうか? いい音だったんですね。芭蕉の有名な句、 「花の雲 鐘は上野か 浅草か」 に詠まれているのが、浅草寺の鐘。現在の鐘は、1692年(元禄5年)に鋳直されたんですが、その時に小判200枚が加えられたそうです。金が入っているから、他所の鐘と比べると、一段と良い音色がする・・・というわけです。 現在では毎朝6時と、大晦日の除夜の鐘に突かれるだけですが、 「浅草寺の鐘」、数々の文学作品や落語・歌舞伎に、頻繁に登場しております。
門前町から発展した浅草ですが、江戸時代の初期には、吉原が移され、街の賑わいが増しました。 さらに、江戸時代末近く、天保の改革によって、芝居小屋が現在の浅草六丁目あたりに移され、華やかな町人文化・江戸文化の 中心地になった・・・のでございます。 その後、明治・大正・昭和・平成と、時代は変わりましても 浅草の賑わいは変わることがないのは、皆様よ〜くご存知の 通りでございます。

4月1日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「助六」です。
江戸の町人文化を生み出した街・浅草。浅草が生んだ江戸の美男ナンバー・ワンといえば、そう、この人。助六。江戸一番のモテモテ男。伊達男。いなせ。実に羨ましいばかりの 色男でございます。 歌舞伎十八番のひとつ、「助六所由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の主人公。成田屋、市川団十郎・海老蔵の持ち役として人気がございます。このお芝居、実は、幕府のお膝元・江戸で武士に抑えられていた町人が、うっぷん晴らし出来る筋書きだったんです。 上方や江戸で話題になった複数の実在の人物のエピソードをもとに、江戸の劇作家が知恵の限りを尽くして作り上げた台本。これが面白くないはずがない。
現実の社会、士農工商・・・という階級があった現実から、痛烈に武士を罵り、女性からは大もて、粋な衣装で暴れまくるという・・・まさに町人の理想像、スーパーヒーローだったんですね。江戸時代後半の天保の改革の一環として、芝居小屋が移されたのが、現在の台東区浅草6丁目のあたり。 助六の出身地・花川戸はすぐ近く。ご当地ソングならぬ「ご当地芝居」ですね。 江戸っ子から拍手喝采を浴びたのは当然でございます。江戸時代も中頃ともなりますと、経済の実権は、米の流通などで力をつけた町人たちの手に移っておりました。 札差(ふださし)、という米の流通や金融で実力のあった商人は、大名や旗本よりも豊かな生活を送っていた。芝居で華々しく登場する助六の衣装は、当時の札差の洒落た姿を取り入れているそうなんですね。
どんなファッションだったのか? 財力にモノを言わせ、凝りに凝った衣装でございます。 江戸紫の鉢巻、黒羽二重の小袖、緋色の小袖、鮮やかな色づかいで、男伊達を誇示しております。 金持ちで、美男で、腕っ節が強くて、、オシャレ・・・こんな男がもてない筈がない、いや、大もてなのでございます。男性ナンバーワン、花川戸の助六。浅草を代表する、いえ、江戸っ子の理想像として、現在も人気を集めております。 また、助六と切り離すことの出来ない地名、花川戸は、台東区花川戸1丁目2丁目として、現在も名を残しております。

4月2日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「仲見世」です。
1年間に3000万人から4000万人が訪れるといわれる浅草。そのほとんどの人が通行することになるのが、仲見世通りです。長さ250メートル、現在の店の数、89店。日本最古の商店街・・・といわれておりますが、では、どうやって出来たものか、と申しますと。いかにも、門前町らしいエピソードがございます。江戸時代。広い浅草寺の境内の清掃を近所の住民が行っておりました。長期にわたった奉仕に対して、浅草寺が、参道で営業することを許可した、これが現在の仲見世の起こりなんだそうです。数々の錦絵に描かれておりまして、門前町・浅草は、仲見世の繁盛に
より、一層賑わいを増していったんです。震災や戦争による被害を受けても、すぐに立ち直り、現在でも変わらぬ人気スポットになっております。
仲見世の89のお店、どれも繁盛しておりますよ。おみやげ・おもちゃ・雑貨・洋品・和装小物・そして、食べ物。食べ物では、雷おこしや瓦せんべいと共に人形焼の店が多いんですね。浅草で一番古い人形焼の店、木村家本店。創業は明治元年。140年続いている老舗ですが、手づくりの 人形焼を買い求める人、焼く作業を見る人・・店頭に人が絶えることがございません見ているだけでも楽しいですよね。伺いますと、3年前に開通した「つくばエクスプレス」の影響、最近の江戸ブームもプラスに働いているようですが、それに加えて、外国人観光客の増加が目立ちます。四季折々に、仲見世は江戸趣味の装飾が行われます。 外国から観光にいらして、日本情緒を満喫できる場所は、やはり浅草だそうですが、なるほど、納得ですよね。

4月3日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日のお話は、「花やしき」です。
「下町の遊園地」と言えば・・・?はい、日本で一番古い遊園地、浅草「花やしき」ですね。出来たのは、あのペリー提督が浦賀に来た年、1853年(嘉永6)です。最初のうちは、菊と牡丹を中心とした植物園でしたが、次第に珍しい動物や、遊具なども置かれ、浅草寺お参りするお客さんが帰りに立ち寄るのに絶好の場所で、特に家族連れに喜ばれました。 大正天皇も、おしのびで来園された・・・そうでして、浅草名所のひとつとして定着しました。 植物園と動物園が一緒になった施設、現在では珍しくないのですが明治・大正・昭和を通じて高い人気を保っていました。太平洋戦争が終わると、花やしきは装いも新たに「遊園地」として再出発。
1953年に出来た日本初のローターコースター、1960年に登場したBEEタワーなどは、現在も人気があります。
高さ45メートルのBEEタワー、最初は人工衛星塔と呼ばれました、当時の世相を反映しているんです。高い建物が少ない浅草だけに、今でも十分に景色を楽しむことが出来ます。 1800坪ほどの敷地の中に、主なアトラクションだけでも20! ぎっしりと詰め込まれているんですが、ここの強みは、次から次と 新しいアイデアを実現していること。 先月の末には、浅草の新名所を目指す試み、花やしきエンターテイメン ト通りがオープンしました。 遊園地の中だけでなく、遊園地前の通り、花やしき通りの活性化も 狙った新しいアトラクション。 進化し続ける遊園地、下町のアミューズメントパーク。 決して広くない敷地には。アトラクションのほかにも、飲食施設や 限定販売のグッズ売り場なども設けられています。「浅草花やしき」は、年中無休でございます。

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