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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

10月27日(月)〜10月31日(金)
今週は、「日本シリーズ 五番勝負」。
今年の日本シリーズもいよいよ週末に開幕です。
そこで今週は、歴史に残る名勝負や名場面、また語り継がれるプレーの数々をご紹介してまいります。

10月27日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、「日本シリーズ事始」です。
プロ野球 日本シリーズが始まったのは、 いま聞こえております、美空ひばりさんの「東京キッド」が ヒットしていた、昭和25年(1950年)のこと。 今年で、59回目を迎えることになります。 第一回の日本シリーズ、セリーグ代表は、松竹ロビンス。 このチーム、後に大洋、現在の横浜と合併しています。 一方、パリーグからは毎日オリオンズ。 こちらは現在の千葉ロッテの前身チームにあたります。 さて、ここで皆様に問題を一つ。この第一回日本シリーズ…
当時の名称は「日本ワールドシリーズ」という仰々しいものでしたが、記念すべき第一戦が行われたのは、 どこの野球場だったでしょうか? 答えは…はい、明治神宮野球場、神宮球場です。で、第二戦以降は…と申しますと、順番に、 後楽園、甲子園、西宮、中日、大阪…で合計6試合。 日本シリーズの歴史の中で、すべてのゲームを、 違う球場で開催したというのは、この第一回だけです。 何でこんなコトになったのかと申しますと、当時、 松竹、毎日の両球団とも専用球場を持っていなかったんです。
そこで、両リーグが話し合い、第一回ということでもあるし、 各地でお披露目興行を行おうということになりました。 で、初戦の舞台に選ばれたのが神宮。 当時、後楽園が上がりの2割を請求してきたのに対して、神宮は球場使用料がタダだったんだそうで、 これは主催者側にとっては大きな魅力でした。 東京での試合はすべて神宮で行うつもりだったところが、 面白くないのが後楽園。そんなことするなら、来年プロ野球には使わせないぞ! と、怒ってしまいました。当時、それでなくても野球場が足りなくて困っていますから、 使えなくなっては大事(おおごと)です。 そこで、二戦目と七戦目は後楽園で開催することに決定。 ですから、もし七戦目が行われていたら、「すべての試合が違う球場」という珍記録は、生まれていなかったんですね。 さて、日本シリーズが始まることになったイキサツはいかに。 実はこの前の年、両リーグがケンカ別れして分裂し、 血で血を洗う引き抜き合戦が展開されており、 とても優勝を争う雰囲気ではありませんでした。
事態を重く見たのが、当時、日本を支配していた連合軍。 「両リーグは仲良くしろ。優勝決定戦をやれ」という、 マーカット少将の鶴の一声に、関係者は渋々従い、 この「日本ワールドシリーズ」が生まれることになったのです。 第一戦が行われたのは、昭和二十五年十一月二十二日。 始球式でピッチャーを務めたのは、当時来日していた、 サンフランシスコ・シールズのオドゥール監督、 キャッチャーはGHQのマーカット少将。そしてバッターは、ニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオ、 なんとも豪華なメンバーだったんですね。 このゲームは延長12回、毎日が3対2で松竹を破りました。 シリーズも、4勝2敗で毎日が制しています。

10月28日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「史上最高の名勝負」。
きょう、ご紹介するのは、この尾崎紀世彦さんの大ヒット、 「また逢う日まで」が飛び出した昭和四十六年、 1971年の日本シリーズ。…といえば、 野球ファンの皆様なら、ああ、あの試合…と、 思い当たる方もいらっしゃることでしょう。 この年、セントラル・リーグは、7連覇のかかった巨人。 パシフィック・リーグは、若手の台頭著しい阪急が優勝、 それぞれシリーズへとコマを進めました。 連覇を続け、主力が少しずつ高齢化してきた巨人。 一方、ピッチャーではこの年二十二勝を挙げたエース山田、足立、ベテラン米田を擁し、またバッターではナニワの韋駄天・福本を始め、加藤英司、長池、大熊といった強打者揃いの阪急。下馬評では阪急有利の声が高かったシリーズでした。
西宮で開幕したこの年、第一戦は投手戦で巨人、第二戦は打撃戦で阪急が勝利を収めています。一日おいた第三戦、舞台は今はなき後楽園球場。先発投手は巨人・関本、阪急は第二戦の先発で中一日の山田。2回の表に阪急は1点を挙げ、その後両投手が好投。1対0、阪急リードのままゲームは進んでまいります。とりわけ下手投げ投手として史上最多の284勝を挙げた阪急、山田のピッチングは素晴らしく、ピンチといえば2回裏、末次に三塁打を打たれたぐらい。3回から8回ツーアウトまで一人の走者も許さず、ああ、これは阪急のゲームだ…と誰もが思いました。巨人の優勝は難しい、7連覇は夢に終わりそうだ。ところが、9回裏。とんでもない事態が起こります。巨人の攻撃は、9番ピッチャー 関本の代打、萩原から。山田は難なく三振に打ち取ります。
続く1番、柴田にフォアボールを出すものの、2番、柳田をライトフライに打ち取ります。ツーアウト。これで、いわゆる「あっとひっとり!」状態になりました。3番、サード、長嶋。ボテボテのショートゴロ。ところが三塁寄りに守っていたショート、阪本がこれを捕れず、センター前に打球は抜けます。二死、一・二塁。バッターは4番、ファースト、王。ここまでノーヒット。次のバッターは、今日、唯一のクリーンヒット、三塁打を打たれている末次。王を敬遠で末次勝負か、それとも今日の王なら末次よりは勝負しやすいか?マウンドに駆け寄る阪急、西本監督に対し、山田は、「勝負させてください」。シビれる場面でございます。「よし、いこか」と西本監督はベンチに戻ります。カウント、1―1からの3球目、ストレート。真ん中に入ってきたボールを、王のバットが一閃!打球は一直線にライトスタンドへ。 マウンドにがっくり膝を突き、立ち上がれない山田。 サヨナラ3ラン。熱狂する巨人ナインの輪に飛び込む王。 これで流れは完全に変わり、巨人は4勝1敗で7連覇達成。 連覇はさらに2年後、昭和48年まで続くことになります。

10月29日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「泣くな清原 西武黄金時代」。
島倉千代子さんの「人生いろいろ」がヒットした昭和六十二年、 1987年。 パリーグを制したのは、3年連続リーグ優勝と、 正に黄金時代の真っ只中にあった西武ライオンズ。 一方、セリーグからは、4年ぶりにペナントを制した、 読売ジャイアンツ。 ライオンズのファーストを守っていたのは、…はい、 若き日の清原和博選手。 相思相愛といわれていたジャイアンツに指名されず、 心ならずも西武ライオンズの一員となって2年目でした。 3勝2敗、ライオンズのリードで迎えた第6戦、 舞台はまだ屋根のなかった西武ライオンズ球場です。 2対1、西武、1点のリードで迎えた8回裏。 ツーアウトから2番 辻がヒットで出塁します。 続くバッターは、来年、ホークスの新監督に決まった秋山。 カウント1-2からの4球目、巨人ピッチャーは鹿取。 インコース低めへ沈んでくるボールを秋山はすくい上げ、 巨人のセンター、クロマティの左へライナーで届くヒット。 ヒットエンドランはかかっていませんでしたから、 普通なら、一塁ランナーの辻は二塁で止まる場面です。
しかし、西武ナインの頭には、クロマティは、打撃はいいが、 守備はからっきし、送球もダラダラしているという事実が 叩き込まれていたんですね。 辻は二塁を蹴り、迷わず三塁へ。 クロマティは山なりのボールを中継のショート川相へ放ります。 ところが! 辻は三塁でも止まらず、そのままホームへ。 ボールを持った川相は仰天します。 サードベースにいると思った辻は、既に三本間、 ホーム目指して一心不乱に走っているではありませんか。川相は急いでホームへボールを投げます。
しかし、あまりの事態に度肝を抜かれたためか、 ボールに力はなく、辻はゆうゆう生還。 決定的な3点目が入ります。 マウンドには、このシリーズ、絶好調の工藤公康。 2年連続日本一は、もう、目の前でした。 9回表、巨人の攻撃が始まります。 一人目、原、ライトフライ、二人目、吉村、ショートゴロ。 ところがショートからの送球を受けた清原の様子がおかしい。 にっくき巨人を、今、倒そうとしている。 感極まって、涙が止まらなくなってしまったのです。 セカンドの辻が駆け寄ります。 「おい、しっかり目を開けんかい!」 キャッチャー伊東が、センター秋山が、そしてベンチの あのクールな東尾までが、もらい泣き。 最後のバッターは篠塚、センターフライ、秋山がキャッチ! 歓喜の輪に飛び込んでいく清原和博、このときちょうど二十歳。 波乱万丈のプロ野球人生は、まだ始まったばかりでした。

10月30日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「口は災いの元」。
「川の流れのように」の大ヒットを残し、美空ひばりさんが 惜しまれつつ世を去った平成元年、1989年。 この年、パリーグのチャンピオンは、近鉄バファローズでした。 前の年、昭和六十三年(1988年)は、 川崎球場で行われたロッテとの最終ダブルヘッダー、 第2試合で痛恨の引き分け、最後の最後に優勝を逃した、 仰木彬監督率いる近鉄。 この平成元年は、西武、オリックスとの激闘の末、 ホームラン王となったラルフ・ブライアントの大活躍で、 見事にペナントレースを制し、シリーズに進出しました。 昭和二十四年の創立以来、常に最下位争いを続けていた 近鉄の初優勝は、昭和五十四年のこと。 日本シリーズでは、広島と対戦しますが、 あの「江夏の二十一球」の年。日本一になることはできず、 翌年も連続してパリーグ優勝を果たしますが、シリーズではやはり広島に敗れていました。
それ以来、八年ぶりのリーグ制覇。史上稀に見る、 激しいペナントを勝ち抜いてきた実力で、 初めての日本一も夢ではないと思われていました。 対戦相手は、読売ジャイアンツです。 第一戦、第二戦は近鉄の本拠地、藤井寺で行われ、 4対3、6対3で近鉄が連勝しました。 続く第三戦は、舞台を東京ドームに移します。 前の年、昭和六十三年に完成した東京ドームで行われた、 初めての日本シリーズの試合が、この第三戦だったのです。 近鉄は、先発の加藤哲郎投手が7回途中まで無失点の好投、 仰木監督は村田、吉井とつないで見事3対0で三連勝。創設以来、四十年目にして、初めての日本一は、 もう手を伸ばせば届くところにありました。
ところが! 試合後のインタビューでの加藤哲郎投手の一言が、 戦う意欲をなくしかけていた巨人ナインを奮い立たせます。 「加藤さん、ジャイアンツはどうでしたか?」 「迫力なかったね。ロッテのほうが怖いわ」 今となっては正確な発言はわかりません。 TV中継の解説者との対話の中で発言したという説、記者団との話の中で発言したという説などいろいろありますが、ともかく、次の日の新聞にはこんな見出しが躍りました。「巨人はロッテより弱い」ちなみにこの年、ロッテは48勝74敗で最下位でした。なめやがって! と発奮した巨人軍は、次の日からあれよあれよ…と4連勝。最終、第七戦では、再び先発した加藤哲郎から、ホームランを打った駒田が、ベースを廻りながら「バーカ!」と球界の紳士にあるまじき発言をしたのも、有名なエピソードでございます。近鉄は、このあと、平成十三年にも優勝しますが、シリーズではヤクルトに敗れました。当時存在した十二球団の中で、唯一、一度も日本一を経験することなく、平成十六年、オリックスと合併し、球団の歴史を閉じることになったのです。

10月31日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日のお話は、「あれから十年」。
今週は、首都圏の五つの野球場で戦われた、 五つのプロ野球日本シリーズをご紹介してまいりました。 最終日に取り上げますのは、今から十年前、平成十年 1998年の日本シリーズ。 SMAP「夜空ノムコウ」が大ヒットしていた年です。 さて、12球団の中で、たった一つだけ、出場した日本シリーズにすべて優勝、敗れた経験のない球団があります。 勝率も通算8割、恐るべき強さを誇るこのチームは… はい、横浜ベイスターズです。1998年の日本シリーズは、前身の大洋ホエールズ以来、三十八年ぶりにセントラルリーグの覇者となった横浜ベイスターズと、パシフィックリーグの常勝球団、西武ライオンズとの間で戦われました。この年の横浜は、権藤博監督のもと、「マシンガン打線」の異名をとった恐ろしく得点力の高い打線、そして絶対的なリリーフエース、大魔神・佐々木主浩に支えられた強力なブルペンが相手打線を抑え込み、リーグ優勝。
日本シリーズでも、投打共にライオンズを圧倒し、地元での初戦、二戦を立て続けに取りました。昭和三十五年の日本シリーズでも、当時の大洋は、パリーグ大毎相手に4連勝を飾っており、これで6連勝。このまま土付かずの記録を作るのでは、と噂されたほどでした。しかし、直前の十年間のうち、七回もシリーズに進出しているライオンズはさすがにしぶとかった!所沢に舞台を移しての三戦、四戦を連勝、タイに持ち込みます。しかし第五戦で横浜は、西武が繰り出す投手陣をメッタ打ち。なんと17対5という恐るべきスコアで敵を圧倒し、ついに日本一に王手をかけました。一日おいて、舞台は、再び横浜スタジアムへ。第六戦は、西武・西口、横浜・川村の緊迫した投手戦に。8回表まで0対0の緊迫した試合が続きましたが、8回裏、横浜の攻撃、ワンアウト一、二塁の場面で、 バッターは、恐怖の四番打者ロバート・ローズ。 ピッチャー西口、渾身の投球でセンターフライに打ち取ります。 二死、一・二塁。しかし西口の我慢もここまででした。 続く駒田が、フェンス直撃のツーベースヒット! 二人が帰って、2対0とリード、こうなると9回表は、 もう大魔神の出番。アウト3つで日本一となります。
ファンは当然、三者連続三振の締めくくりを期待しました。 ところが! この大魔神・佐々木の調子がよくない。 西武の五番、大塚にレフトオーバーの三塁打を打たれ、 一死後、フォアボールでランナーは一、三塁に。 そして続くキャッチャー・中島の平凡なゴロを、 三塁手の進藤がフィルダースチョイスでこの間に大塚が生還。 スタジアムを埋め尽くしたファンからは悲鳴が! 続くバッターは、西口の代打、金村義明。 しかし、金村は初球を打ってセカンドゴロ。 ローズ、石井、駒田と渡るダブルプレーで試合終了!横浜ベイスターズが歓喜の日本一に輝いてから、十年。 さて、次に日本シリーズに出場するのはいつか? そしてシリーズ無敗伝説はいつまで続くのか? 気長に、期待したいと思います。 今年の日本シリーズは、明日、開幕です!

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