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10月20日(月)〜10月24日(金)
今週は、「三ツ星の山 高尾山」。 去年発刊された、日本版ミシュラン・ガイドブックで、 観光地として三ツ星を獲得、にわかに注目を浴びる高尾山と
その周辺をご紹介して参ります。
10月20日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「高尾山への登り方」。
高尾山が歴史に登場するのは古く、奈良時代のことです。 天平十六年(744年)、今から千二百年以上昔。 この年、聖武天皇の勅命を受けた名僧、行基が、
関東を鎮めるための寺として、「高尾山薬王院」を 開いたと言われております。 現在では、成田山新勝寺、川崎大師と並ぶ、
真言宗智山派(しんごんしゅう・ちさんは)の大本山。 関東一円から、多くの善男善女の皆様方が 連日、参拝に訪れていらっしゃいます。
ところが、お寺があるのは、山の上のほうです。 いくら立派な寺で、信仰を集めているとはいえども、足腰の弱いお年寄りは、お参りすることができません。江戸時代までは、あきらめるしかなかったわけですが、明治、大正と時代が進み、科学技術が進んで参ります。
すると、「何とかお年寄りや体の悪い人でも、薬王院にお参りできる方法はないだろうか…」と言うことになりまして、考え出されたのがケーブルカー。歩けばだいたい四十五分ほどかかる山道を、わずか6分でグイグイと登りきってしまいます。これまでにも、この時間で何度もご紹介して参りましたが、関東各地の鉄道の中には、寺社へ参詣するための足として、計画された路線がいくつもあります。観光客におなじみの、高尾山のケーブルカーもその一つだったんですね。ケーブルカーが計画されたのは大正の中ごろで、工事が始まったのが大正十四年のこと。途中、建設予定地が崩れ落ちる事故が起きるなど、いくつもの障害を乗り越え、麓の「清滝」駅と、山の上の「高尾山」駅の間で、運行が始まったのが昭和2年(1927年)。既に八十年以上の歴史があるわけです。
ケーブルカーが計画された当時、高尾山麓には、未完の大長編「大菩薩峠」で有名な作家、中里介山が住んでおり、執筆を行っておりました。ところが、トンテンカンテンと工事が始まりますと、「うるさい!」とお怒りになりまして、とっとと引っ越してしまったのだそうです。高尾山の標高は599メートル。ケーブルカーの終点は標高472メートル地点ですので、残りの高低差は127メートルということになりまして、山頂までは、だいたい四十五分ほどのハイキングです。一方、薬王院までは、駅から歩いて二十分ほどの距離。歩いて登れば、麓から薬王院まで一時間以上かかりますが、だいたい半分ほどの時間で参詣できるようになりました。ちなみにこのケーブルカーの最大斜度は三十一度十八分、これは鉄道が登る斜面としては日本一の急勾配。ほぼ、垂直な斜面を登っているようなスリルを味わえます。
10月21日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「高尾の天狗伝説」。
高尾山…といえば、「天狗」を思い出すという方、 沢山いらっしゃるのではないでしょうか。 高尾山の玄関口、京王線の「高尾山口」駅には、
大きな天狗の面が飾られておりますし、 JRの「高尾」駅ホームにも大きな天狗の石像があります。 高尾山は、遥か昔から、天狗が住む山との伝説があり、
また、修験道の山として、多くの山伏が修行しておりました。 そして、薬王院の中心である権現堂の本尊は、 飯縄権現(いいづなごんげん)。
この神様は炎を背負い、白狐に乗って登場し、 「くちばし」と羽根を持っています。 つまり、この神様そのものが「カラス天狗」の
お姿をしていらっしゃるというわけで、これもまた、 高尾が天狗のお山と呼ばれる一つの理由なのでしょう。
高尾山の天狗を巡る、面白い伝説をご紹介しましょう。 今でこそ、ケーブルカーやリフトが整備され、 とても登りやすくなった高尾山。
しかし、山が開かれた奈良時代からおよそ千二百年の間は、 お年寄りや体の弱い方にとって、薬王院にお参りするのは、
それは大変なことだったんですね。 そこで、アタマをひねったのが、お山で暮らしていた 天狗の皆様方。信心深い皆様が、お参りしやすくなるように、
ここは一つ、道を作ってやろう、ということになりました。 我々、人間は、こういう場合、ノコギリで木を切って、
道をならして…といった手間をかけねばなりませんが、 そこは天狗様でございます。
「えい、やっ!」と気合をかければ、それだけで木は倒れ、 みるみるうちに道が出来上がって参ります。 ところが、薬王院まであと少し…というところになって、
巨大な一本杉に出くわしました。天狗たちが気を集め、みんなで「えい、やっ!」 「アチョー!」「開け、ゴマ!」と倒そうとしても、
あまりに大きく、倒れない。 「仕方がない、明日、切り倒すことにしましょう」と、 その日はいったん、引き上げることになりました。
この様子を見ていた当の一本杉。 「せっかくこんなに大きくなったのに、 切り倒されたんじゃたまらない。とっとと逃げ出そう」と、
よいしょ、よいしょ…と自分で道の脇によけることになった。 根をクネクネと器用に動かして移動する姿が、まるでタコのようだ…ということで、名づけられたのが、今も参道に見事な姿を残す樹齢およそ450年、幹の周囲6m、高さ37mの名木「タコ杉」の由来でございます。
10月22日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日お話は、「高尾山文学碑めぐり」。
聞こえているのは、昭和三十一年(1956年)のヒット、 曽根史郎さん歌うところの「若いお巡りさん」。 高尾山のハイキングを楽しんでいて、気がつくのは、
文学碑がたいへん多いことなんですが、 薬王院の中にあるのが、この「若いお巡りさん」の歌碑。 作詞を担当した、井田誠一さんが地元、八王子の出身ということで、七回忌の平成十一年に建てられました。井田さんは、海外ポップスの訳詩にヒット曲が多く、「バナナボート」「白銀は招くよ」などの日本語詞をつけています。
さて、高尾山との結びつきで言えば、忘れられないのが、「からたちの花」「この道」「ペチカ」などで知られる詩人、北原白秋です。白秋は、自ら主催する短歌の雑誌「多摩」の全国大会を、昭和十二年八月、薬王院で催し、たくさんの歌を詠みました。薬王院、仏舎利塔の前にある歌碑には、「わが精進 こもる高尾は 夏雲の下 谷うずみ 波となずさう」 と、自筆のペン書きを拡大した文字が刻んであります。あと二首ほど、ご紹介しておきましょう。「子らとあり 杉の木(こ)の間を 射しきたる
朝日の光 頭(ず)に感じつつ」「笛ながら 仏法僧(プッポウソウ)の 音(ね)は吹きて 誰か梢の 月に覚めいる」いま、北原白秋の歌にも出てきた「ブッポウソウ」。
かつては「高尾山を代表する鳥」といわれておりました。 が、実は、ここ二十年ほど、高尾山では観察されておりません。
高尾山どころか、日本全国でも今では珍しい鳥となり、 レッドデータブックにも載っている絶滅危惧種です。
ちなみに、ブッポウソウという名前は、この鳥が 「ブッ、ポウ、ソウ」と鳴く所から名づけられたのですが、 実は、ブッポウソウの鳴き声は「ゲッゲッ」と、
あまり美しいものではございません。 昔から「ブッポウソウ」と思われてきたのは、 実は「コノハズク」という別の鳥の鳴き声だった。
この事実がわかったのが昭和十年のことで、 それ以来、本当のブッポウソウは「姿のプッポウソウ」、 「コノハズク」は「声のブッポウソウ」と
呼ばれるようになったのです。
10月23日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「高尾山UFO伝説」。
一部スポーツ紙上でも報じられておりますが、 実は、このところ、高尾山周辺で、UFO目撃情報が 相次いで報告されております。
もともとこの付近は、以前から、 ナゾの飛行物体が飛び交うことで有名な地域だそうです。 ところが、去年の夏あたりから、「私も見たわ!」
「おらも見ただよ…」といった情報が急激に増えているとか。 確かに、高尾山は、古くから修験道の道場として有名ですし、
天狗が数多く暮らしているとも言われている場所です。 ある種の「超自然的」なパワーを秘めた山ということは 間違いないのでしょう。
古代から、時の権力者たちによって、 高尾山は守られてきました。
たとえば、戦国時代の武将、北条氏照(うじてる)は、 「木一本、草の葉一枚といえども、みだりに刈ったものは、
首を切る」との、大変厳しい掟を設けたほどです。 うっかり足を踏み入れて、何かの拍子につまづいて、 木の枝でも折ろうものなら、即、死罪。
くわばら、くわばら…と、人々は、 みだりに山には立ち入らないようにしてきたのです。 北条氏だけではありません。関東に進出した数多くの武将、
武田信玄も上杉謙信も、そして幕府を開いた徳川家康も、 高尾山を神聖な山とみなして、手厚く保護していました。
権力者たちは、この山に宿る、不思議な力を、 上手に利用しようとしていたのかもしれません。 高尾山は、何百年にもわたり、大切に守られてきたおかげで、
貴重な自然が、昔のままの姿で残っている場所がたくさんあります。ミシュランが三ツ星を与えたのも、 そうした「手付かずの自然」が残っているから…
という理由が大きいようです。
ところが、そんな高尾山周辺の自然環境が、 大きく変化する事件が起きました。 それは去年開通した、圏央道 八王子城址トンネルの工事です。
巨大なトンネルの開通は、あたりを流れる川の水量や、 貴重な植物の生息に打撃を与えているという声もあります。
現在、さらに、本体の高尾山中腹にトンネルを掘る工事が 進められていて、さらなる環境の変化も予想されています。
古くから守られてきた高尾山の手付かずの自然を、 どうやって次の世代に伝えていけばいいのか。未確認飛行物体がしばしば見かけられるのも、
この地域の自然が危機に瀕していることを訴えているのでは、 とも考えられるのだそうですが、さて、真相は…
10月24日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日のお話は、「高尾で紅葉狩り」。
新宿から京王線に乗って、およそ1時間。 高尾山口の駅を降りれば、目の前が「高尾山」です。 紅葉はまだまだこれから、見ごろになるのは
11月の半ばから下旬にかけてだそうですが、 まださほど寒くない、今の時期のハイキングも楽しいもの。 体力や、目的に合わせて、全部で8つの登山ルートが
用意されています。が。いずれにしても日ごろ、運動不足がちな我々としては、途中まではケーブルカーやリフトを使って、楽をいたしましょう。駅のすぐ脇には、高さ500m、東京一眺めがいいという、ビアガーデンがございますが、残念ながら9月一杯で営業は終了しておりますので、そこから一番スタンダードなコース「1号路」を辿って、とりあえず頂上を目指しましょう。
ここは、薬王院の参道になっておりますので、 今週、ご紹介して参りました様々なスポットの多くを、 辿ることができるオススメのルート。
切られそうになったので、自分でタコのように移動したという 伝説の「タコ杉」も見ることができます。 「道を開く」ということから、「開運」につながるとして、
触ると運が開けるというこの「タコ杉」、 皆さんもぜひ、ナデナデしてみてください。 時間があれば、薬王院もぜひ訪れてみましょう。
もみじの形をした交通安全のお守りはこちらの名物。 また、キュートな天狗のお守りも人気です。 一通り見終えたあとは、頂上へ。
いくら標高が低いといっても「山」は「山」ですから、 このあたりの上り道は、普通のクツでは疲れます。 穿きなれた運動靴、トレッキングシューズの類をお勧めします。
薬王院から、標高599mの山頂までは、およそ20分。 山頂といっても、とんがっているわけではなく、 なだらかな見晴台が広がっているので、
落ち着いて体を伸ばし、休息してください。 夕方が近ければ、富士山に日が沈む、見事な眺めが楽しめます。この「夕焼け小焼け」の歌の舞台は、実はここ、八王子・高尾界隈といわれています。作詞者の中村雨紅(うこう)が、高尾山の北側、恩方(おんがた)の実家に歩いて帰る途中、見事な夕焼けの景色を眺めて作詞したものなんだそうです。さて、我々も、カラスと一緒に山を降りましょう。帰りは、高尾山口駅に向かう道の両側に広がる、お蕎麦屋さんに寄ります。秋の夕暮れ。きれいな水で打ったおいしいお蕎麦と、暖かいお酒。ちょいとひっかけていきたいものでございます。
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