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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
9月29日(月)〜10月3日(金)
今週は、「実録 南総里見八犬伝」。 江戸時代を代表する一大伝奇ロマン「南総里見八犬伝」、 そのゆかりの場所を旅して参ります。

9月29日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、作者、曲亭馬琴の生涯を辿ります。
いまから百九十四年前、文化十一年(1814年)から、 天保十三年(1842年)にかけ、実に二十八年に渡って書き続けられ、完結した、日本文学史の中でも燦然と輝く伝奇小説「南総里見八犬伝」。かの文豪、森鴎外は、この「八犬伝」を、「人々を正しく教え導き、世を救うことができる、聖書のような本」と、手放しでほめたたえています。当時の冊数にして、全百九冊というとてつもないボリューム、現在でも、岩波文庫で全十冊、大長編でございます。現在と違って印税制度などというものはありませんから、いくら本が売れたところで、作者の収入は高が知れています。凄まじい執念がなければ、到底、書き続けることはできなかったこの時代。丹念に伏線を張り巡らせ、この見事な小説を仕上げた滝沢馬琴、ペンネーム 曲亭馬琴とは、いったいどんな人だったのでしょう? 
明和四年(1767年)、旗本の用人といいますから、下級武士の五男として生まれた馬琴、幼名 倉蔵。屋敷勤めが性に合わなかったようで、放蕩生活を送り、一時は医学の道を志したこともあったようですが、断念。二十四歳のときに文章で身を立てる決意をして、当時のベストセラー作家、山東京伝に弟子入りします。そして、三十代を迎える頃から著書を量産するようになり、師である京伝と並び称される売れっ子に。四十七歳のとき、満を持して取り掛かったのが八犬伝でした。さて、馬琴は、まだ作家としては駆け出しだった二十七歳の時、 飯田町、現在の九段下近くの履物店、「伊勢屋」に 婿入りしています。姑が亡くなった後は商売を畳み、 名字も自分の慣れ親しんだ「滝沢」に戻しました。 その後、作家として押しも押されもしない存在となるまで、 およそ三十年の月日を、馬琴一家はこの地で過ごしています。家のあとは、現在マンションが建っていますが、 馬琴が硯や筆を洗ったという井戸の跡が残されており、 当時の様子をしのぶことができます。
もう一つ、当時の姿を現代に伝えているのが、 九段下の交差点にある「有平糖」のお店。 馬琴の日記にも登場する「有平糖」。 二百年前そのままの味というわけではないでしょうが、 とても素朴な、江戸の味わいを伝える飴菓子です。 いま、手元にその有平糖がございますので、 ちょっと味わってみましょう…。 馬琴は晩年、病のため、両目の視力を失ってしまいます。 そして長男の未亡人である「路(みち)」に字を教えながら、 口述筆記させるという気の遠くなるような努力の末、 「八犬伝」を書き上げたのが、七十六歳のとき。 馬琴はさらに、その後六年の人生を生きて、 嘉永元年(1848年)八十二歳で天寿を全うしています。 ペリーが黒船に乗ってやってくる、五年前のことでした。

9月30日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、八犬伝の物語をかいつまんでお届けします。
「南総里見八犬伝」の「南総」と申しますのは、 「南房総」のこと、つまり今で言う千葉県の南の方ですね。 里見は、戦国時代から江戸時代の初めにかけて、 このあたりを収めていた大名、里見家のことです。 つまり、千葉県の南側を舞台にした、里見家ゆかりの、 八つの「犬」に関わる物語、というわけですね。 下敷きになっているのは、ご存知中国のこちらも大長編、 「水滸伝」。 水滸伝は、百八人の英雄が活躍するお話ですが、 こちらの「八犬伝」は、八人の「犬の士(さむらい)」と書く、 「犬士(けんし)」たちが暴れ回ります。 で、タイトルには「南総」と謳われてはおりますが、 なにせ全百冊を超える大長編でございます。 現在の地名で申し上げますと、千葉県を手始めに、 関東一都六県は言うに及ばず、山梨県、長野県、新潟県、 さらには関西方面までも舞台となって参ります。
馬琴が、物語の舞台として設定したのは、十五世紀の中ごろ。 当時は室町時代の末期から、戦国時代に突入しようという そこかしこで、日常的に戦いが行われておりました。 安房国、瀧田の城主であった里見義実(よしざね)は、 領内が飢饉で苦しんでいるところを、隣の国に攻められます。 弱っているところを攻められ、進退窮まった里見軍。 誰か、敵の大将の首を取ってきたなら、娘、伏姫(ふせひめ)をやろう! 苦し紛れのこの一言を聞いていたのが、愛犬の八房(やつふさ)。ワンワンワン! と、大きく吼えたかと思うと敵陣に突入、 ヒョイヒョイと大将に迫って、その首を噛みちぎってきた! こうして戦に勝利を収めた里見軍。 お殿様は、でかした、八房…と、山海の珍味を与えたり、専属の家来をつけたりしますが、一切関心を示しません。「たとえ犬であろうと、約束を違えてはいけません」覚悟を決めた伏姫は、八房を伴い、山の中へと旅立ちます。
日の当たらない山中の洞窟で伏姫は、八房に指一本触れさせず、毎日お経を読んで暮らしていました。 しかし、八房の念が通じたのか、姫は妊娠してしまいます。 やましいことは何もないのに、犬の子を宿してしまった。 もう生きてはいられない…と、自害しようとする姫。 そこへ飛んできた一発の銃弾…と、これが物語の発端で、 姫の持っていた数珠の玉、八つが飛び散っていきます。 そして、その玉を持って生まれた子供たち八人が さまざまな冒険を経て「犬士」となり、 出会いと別れを繰り返しながら、後に里見家のために活躍する、 これが「南総里見八犬伝」の大まかな筋でございます。 曲亭馬琴が二十八年かかって書き上げたお話を、 ほんの5分ほどで、ざっとご紹介いたしました…!

10月1日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、物語の主要な舞台であります、南房総付近をご紹介します。
東京湾の入り口に当たる、房総半島。 八犬伝の主人公である八人の犬士たちが仕える里見家は、 この房総半島を収めておりました。 戦に負けそうになったとき、苦し紛れに、里見義実公から、 「敵の大将の首をとってきたら、娘をやる」と 囁かれた愛犬、八房。 殿様は、もちろん冗談のつもりだったでしょうが、 八房は本気になり、敵の大将の首を噛みちぎってきました。 美しい姫君、伏姫「約束したことですから」と、 お城を出て、房総半島を代表する美しい山、 「富山(とやま)…富山県の富山と書きますが、この山の中に、八房と共に入っていきます。モデルは同じ字を書いて「富山(とみさん)」という山です。もちろん、「南総里見八犬伝」はフィクション。
しかし、あまりにも有名なお話だからでしょうか、実際に登ってみると岩でできた怪しい洞窟があり、「伏姫の篭り穴」と、しっかり名づけられております。中には大きな白い玉と、物語に登場するような、それぞれ「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と書かれた八つの玉が安置されています。あたりは、木々が鬱蒼と茂っており、いかにも怪しげな雰囲気が漂っていてムード満点。また、少し離れた所には、八房が本当に埋められていそうな「犬塚」という大きな石の置かれた場所もあります。ここからクルマで十分ほど移動すると、八房が生まれたという、「犬掛(いぬかけ)」という場所。ここには八房と、そしてその育ての親であるという、狸の像があります。富山(とみさん)にある伏姫の篭り穴や犬塚は、 フィクションを基にした産物ですが、 実際にこの房総の地を収めていた、里見氏にまつわる 旧跡も、この房総半島には数多く残されています。
里見氏は、今からおよそ四百五十年前、 神奈川県を主な領地とした北条家などとしばしば戦っています。 そうした、実際の里見氏が戦った古戦場も、千葉や東京のあちこちに点在しています。 物語の中で、里見一族の城となるのは「瀧田城」ですが、 実際の里見家が根城にしたのは、富浦。 豊臣秀吉が天下統一に成功してからは、 もう少し南にある、交通の要衝、館山を拠点にします。 現在、この館山の城跡に立てられている天守閣は、 館山市立博物館の分館。 中は、八犬伝関係の資料がギッシリ収められています。 八犬伝ファンとしては、一度は訪れたい場所ですね。

10月2日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「芳流閣の決闘」をご紹介します。
八犬伝の時代、室町時代の終わりごろの関東は、 二つの勢力によって治められていました。 伊豆から神奈川、東京、埼玉、群馬あたりは室町幕府側。 そして千葉・茨城・栃木方面は、足利氏を中心とした地元勢力。 当時の関東の中心は、この足利氏が本拠を置いていた、 現在の茨城県、古河市にあったのです。 物語の前半部分のハイライトは、この古河が舞台となります。 不思議な運命に操られる八人の犬士の一人、犬塚信乃(いぬづか・しの)は、足利氏に伝わる名刀、村雨丸を持って古河に出かけていきます。
ひょんなことから、自分の家に伝えられてきたこの刀を、本来の持ち主である足利氏に返すのが目的でした。ところが、途中で刀がすりかえられていたたため、信乃は幕府方のスパイだと疑われ、追われるハメに。物語では、古河の利根川沿いに建っている、芳流閣(ほうりゅうかく)という3階建てのお城の屋根に、逃げ出すということになっております。ここに現れる追っ手が、この城の牢屋に囚われていた犬飼現八(いぬかい・げんぱち)。実は、この現八も、信乃と同じ犬士の仲間なのですが、屋根の上で見合った時点ではそんなことはわかりません。二人は、屋根の上でくんずほぐれつ、激しく戦った後、組み合ったまま、城の真下を流れる大河・利根川へと転落していきました。これが、八犬伝全編中でも屈指の名場面「芳流閣の決闘」。
ストーリー的にもヴィジュアル的にも、文句なしのクライマックスですから、八犬伝のお芝居や映画などでも必ず登場するところです。利根川に落ちた二人はどうなったか?…と申しますと、これが都合よく、無人の船の上に落ちたんですね。落下のショックで意識を失った二人はそのまま流され、気がつくと、下流の行徳村で解放されておりました。この行徳村は、もちろん、現在の市川市・行徳あたりです。ところで、実際の古河城は、利根川沿いではなく、渡良瀬川のほとりにあります。 現在、渡良瀬川は利根川と合流しますが、 この「八犬伝」の舞台になっている時代は、 利根川と渡良瀬川はまったく別の川で、 別々に江戸湾に注いでいたのです。 つまり。八犬伝の時代に、古河の城から転落して船に落ちても、 川を流れてそのまま行徳に着くというわけにはいきません。 落ちていく先が、あまり有名でない渡良瀬川より、関東随一の川である、坂東太郎・利根川の方がドラマチックだ。そんな風に考えた、馬琴の雄大なホラ話…と、いえるかもしれませんね!

10月3日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「江戸の大決戦」をご紹介します。
懐かしいな、という方。 昭和四十八年から2年間に渡り放送されたNHK人形、 「新八犬伝」のテーマ音楽です。この番組で、 「八犬伝」の虜になったというファンも多いようですね。 里見家にゆかりのある八人の若者が、関東各地から集まり、 ようやく勢ぞろいしたところで、待ち構えているのは、戦。 里見家に恨みをもつ、扇谷定正(おうぎがやつ・さだまさ)が、 関東一円の勢力を結集して、襲い掛かってきたのです。 八人の犬士たちは、軍勢を率いて、敵の大群に挑みます。 三箇所で行われた戦いの舞台となるのが、現在のJR総武線、 そして地下鉄東西線、都営新宿線の沿線各地です。敵の大将、扇谷定正の城があったのは、伊皿子… 三田と高輪の間で、ここ文化放送からも遠くない場所です。
そして、最後の戦いの舞台となるのは、まず、「行徳口」。 地下鉄東西線で東京から千葉方面へ向かうと、葛西を過ぎ、旧江戸川を渡るとき、進行方向左側に川の中州が見えます。ここが「妙見島(みょうけんじま)」。現在は、コンクリートの護岸で固められ、島の中はほとんど工場ですが、このあたりが「八犬伝」で最後の大きな戦いの口火が切られた場所です。そして、もう一箇所、戦場となったのが、「国府台(こうのだい)」。ここから江戸川をさかのぼって行き、JR総武線と京成本線が川を横切った千葉県側の一帯です。ここで、扇谷連合軍が使った新兵器が、駢馬三連車(へいばさんれんしゃ)というもの。六頭の馬に引かせる、三台の大八車を並べたような戦車です。車の上には、弓矢や鉄砲を操る多くの兵士が乗り込み、雨あられの如く、敵陣に向かって攻撃を繰り返します。
いかにしてこの新兵器の猛威から逃れるか?ここで登場するのが「イノシシ」。イノシシの牙に燃え盛るたいまつを結びつけて、敵陣に向けて突入させたんですね。これで相手は浮き足立ち、新兵器も打ち破られ、この戦いも里見方の勝利となります。そして、三つ目の戦いの舞台は「州崎沖」。州崎というのは、里見家の本拠地に近い、館山の西、房総半島のいちばん西側にあたる部分です。この沖合で水軍同士の戦いが行われたのですが、圧倒的な兵力の敵は、突如巻き起こった向かい風に乱れ、また火を放たれて壊滅状態になってしまいます。戦いは里見方の勝利に終わり、二十八年にわたって書き継がれた「南総里見八犬伝」も大団円を迎えます。全百冊に及ぶ八犬伝の舞台を、大急ぎでご紹介しましたが、 もちろん、原作には、今回登場しなかった実際の地名が 山ほど登場して参ります。ラジオをお聞きの皆さんが お住まいの場所の近所も、必ず登場するはずです。 皆様も機会があれば、八犬伝の舞台をのんびりと、 散歩されてみてはいかがでしょうか?
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