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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
8月18日(月)〜8月22日(金)
今週は、「続・東京名曲ものがたり」。
東京を舞台にしたご当地ソングの中から、名曲をえりすぐってご紹介してまいります。


8月18日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、オリンピックといえばこの歌「東京五輪音頭」です。
東京五輪音頭といえば、まず思い浮かぶのが、この三波春夫の明るい歌声ではないでしょうか。「東京五輪音頭」は、オリンピック気分を盛り上げようと、NHKが歌詞を公募して生まれました。アイディアを思いついた、近藤積(つもる)は、「紅白歌合戦」の企画を立てたという伝説のプロデューサー。「オリンピック」と「音頭」を結びつけるこのセンス、なんとも素晴らしいとしか、言いようがありません。作曲を担当したのは、あの「古賀政男」大先生。で、もともとは、「各社競作」ということになっておりまして、各レコード会社が、それぞれの看板歌手を起用して、いろいろなバージョンが発売されました。
テイチクから三波春夫、ビクターは橋幸夫、東芝は坂本九、コロムビアは北島三郎・畠山みどりのデュエット…といった具合。下馬評では橋幸夫のヤングパワーが有利では、との声が高かったようですが、一番売れたのは三波春夫盤。一方、作曲の古賀先生は、「これは三橋君が歌うといいんじゃないの?」と、キングの三橋美智也を想定してこしらえた、と、言われております。では、その三橋美智也盤を、最後に少し、お聞きいただきましょう。

8月19日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、アキラのコミックソング「恋の山手線」です。
小林旭のコミックソングの傑作「恋の山手線」。昭和三十九年、東京オリンピックの年のヒット曲です。東京都心を、ぐるり一周するこの環状鉄道、現在は「やまのてせん」という呼び方が一般的ですが、戦後しばらくは「やまてせん」と呼ばれておりました。上野から始まって鶯谷、日暮里、田端…と、駅名を打ち回り方向に織り込みながら進んでいく歌詞は、演芸、そして相撲やプロレスの評論家としても名高い、小島貞二(こじま・ていじ)によるものです。とは申しましても、実はこの歌には元ネタがあります。
当時人気絶頂だった柳亭痴楽の新作落語、「痴楽綴方(つづりかた)教室 恋の山手線」がソレ。「上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近ごろ外回り…」リズミカルに駅名を織り込んで大ヒットしました。で、この「綴り方教室」、そのままでは歌詞になりにくいので、メロディーに乗りやすいように、小島貞二が整えた、というわけなんですね。さて、この小林旭版の「恋の山手線」。どうやっても語呂が悪かったということなんでしょうか、わが文化放送の最寄り駅「浜松町」が登場いたしません。ちょっぴり、悲しいですね。

8月20日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

コーナーはお休みしました。


8月21日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「二人の銀座」です。
オリンピックの二年後、昭和四十一年(1966年)にヒットした、和泉雅子と山内賢の「二人の銀座」。日活で活躍していた、二人の青春スターのデュエットです。和泉雅子は、北極探検で有名になりましたが、もともとは泰明小学校卒業のバリバリの銀座っ子、この歌の歌手としてはぴったりの存在でした。作曲したのは、ご存知「ベンチャーズ」。もともと、彼らが日本向けにレコーディングした新曲、「ギンザ・ライツ」に、後から永六輔が歌詞をつけたものです。
ところが、当時のライナーノーツには、「岩谷時子が歌詞をつけ、近く、東芝の人気シンガーによって吹き込みされる」とあるんですね。岩谷時子…といえば、思い出すのが、越路吹雪!彼女も、そう、「東芝」の所属でした。「ギンザ・ライツ」は、最初、越路吹雪によって日本語版がリリースされる予定だったのですが、自分のイメージに合わない…と、和泉雅子のところに回ってきた歌なんだそうです。では、最後に、ベンチャーズの「ギンザ・ライツ」をほんの少し、お聞きください。

8月22日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、ザ・ピーナッツ「東京の女(ひと)」です。
きょうご紹介する「東京の女」は、ザ・ピーナッツの昭和四十五年(1970年)のヒット曲です。ザ・ピーナッツは、昭和三十四年(1959年)にデビューし、その年の紅白歌合戦に初出場。以来、十二年間、移り変わりの激しい歌謡曲の世界で、ずっとトップを走り続けてきました。60年代の末から70年代にかけ、フォークやロックが大きな流れになってくると、歌謡曲のトップスターたちも、少しずつ、影響を受けた作品を、発表するようになってきます。ザ・ピーナッツ「東京の女」も、そんな曲のひとつ。地下鉄のホームに二人がたたずむジャケットも印象的です。
作曲は、後に姉の伊藤エミと結婚する、ジュリー、沢田研二です。当時の、ザ・ピーナッツのコメント。エミ「レコーディングの選曲に難行している時にね、シャボン玉ホリデーのスタジオで、沢田君がギターの弾き語りで歌っているのを聞いたんですよ。とってもいい曲で、聞いたら自分の作曲だっていうでしょう」ユミ「メロディーも新鮮だし、ピーナッツもすっかり気に入っちゃって、さっそくマネージャーに話して、今度の曲をお願いしたわけなの。」…というイキサツで出来上がったこの「東京の女」。後に椎名林檎がカバーしています。

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