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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
8月11日(月)〜8月15日(金)
今週は、「続・東京名曲ものがたり」。
東京を舞台にしたご当地ソングの中から、名曲をえりすぐってご紹介してまいります。


8月11日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、元祖ご当地ソング「東京音頭」です。
東京音頭が生まれたのは、昭和8年(1933年)。この年、各地の盆踊り大会で披露されるや、大ヒット。流行の背景には、東京のめざましい発展がありました。前の年、昭和7年(1932年)の10月1日、東京市は、都市化の進んだ、周辺の5つの郡、82の町村を合併し、それまでの「15区」が「35区」に増えました。江戸川、葛飾、足立、板橋、豊島、中野、杉並、渋谷、世田谷、目黒、品川…といった区が、このとき、生まれています。
そこで起きたのが「東京ブーム」。「35区」の区域を、新たに「大東京」と呼ぶのが流行しました。「東京音頭」も、前の年、昭和7年に作られていた「丸の内音頭」を、このブームに便乗させようと、歌詞の内容を東京全体に広げて作り変えたもの。狙いがまんまと当たり、大ヒットしたというわけなんです。
「丸の内音頭」は、日比谷・丸の内界隈の商店主たちが、今ふうに言えば「街おこし」を企てて、作詞の西條八十、作曲の中山晋平、大御所二人に依頼して生まれた歌。この年、日比谷公園の盆踊り大会で披露されました。平成15年(2003年)には、日比谷公園の百周年を記念して、盆踊りが復活、「丸の内音頭」が歌われました。日比谷公園盆踊り大会はその後、風物詩として定着し、今年は8月22、23日、金・土の2日間、開催されます。それでは、元歌の「丸の内音頭」をお聞きください。

8月12日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、文芸歌謡曲「すみだ川」です。
昭和十二年(1937年)のヒット曲、 直立不動の名歌手、東海林太郎が歌う「すみだ川」。セリフは人気絶頂の女優、田中絹代という豪華版です。歌のタイトルは、ひらがなで「すみだ」、それに三本川。漢字で「隅田川」と書くのと違って、なんとも穏やかなイメージが沸いてまいります。この歌、永井荷風の小説「すみだ川」を歌謡曲にしたもの。東海林太郎のポリドール専属3周年を記念して作られた、文芸大作でございます。もともと、小説「すみだ川」は、明治四十二年(1909年)に書かれた、荷風、二十九歳のときの作品。
歌にも出てくる通り、芸者になった少女・お糸と、中学生・長吉との淡い恋模様を描いています。ちなみに、セリフに登場する「竹屋の渡し」は、浅草、待乳山聖天のふもとから対岸、向島の三囲神社を結んでいた渡し舟。昭和三年、言問橋が架けられたため、廃止されました。歌が生まれたのは、渡しがなくなってから僅か九年後ですから、当時の人々にとっては、とてもリアルな、懐かしいイメージを呼び起こす歌だったんでしょうね。

8月13日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、戦後の街角に響いた「東京の花売娘」です。
ブギのリズムに乗せた、明るくモダンなメロディー。昭和二十一年(1946年)、焼け跡の街に流れた、底抜けに明るい「オカッパル」、岡晴夫の歌声です。当時の人々にとって、この歌は完全な夢物語でした。日々を食べていくだけが精一杯の日本にとって、見るだけで腹の足しにならない「花」は、とてつもない「ぜいたく品」だったのです。お腹を満たすことの出来ない「花」など、夢のまた夢、この年、資生堂が、女優・原節子をモデルにした、カラーのキャンペーン・ポスターを作っています。ここに実物の写真がありますが…
ポスターの中の、たった一輪のカーネーションを手に入れるだけでも大騒動だったそうです。この歌がリリースされたのは、終戦から十ヵ月後ですが、当時の新聞の見出しを賑わせていたのは、栄養失調、闇市、カストリ、隠匿物資、停電、スト…などなど、サツバツとした言葉ばかり。そんな世相の中、この明るい歌は、日々を生きるのが精一杯の人々にとって、いわば「心のビタミン」といった存在だったのでしょう。その後、世相が落ち着いていくにつれ、銀座にも花売娘が登場。昭和二十四年には、八十人ほどが街頭に現れ、そのほとんどは小学生だったそうです。

8月14日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「夢淡き東京」です。
昭和二十二年(1947年)のヒット曲「夢淡き東京」。作詞はサトウハチロー、作曲は古関裕而、歌は、もちろん、藤山一郎。「音楽五人男」という映画の主題歌です。当時のヒットしたラジオドラマの映画化だそうですが、主演は古川緑波、そして藤山一郎も出演している、音楽に青春をかけた五人の若者の友情ストーリー。当時はお茶の間の娯楽といえばラジオだけ。放送局もNHKただ一つしかありませんから、日本中の人が同じ番組を聞いていたわけです。そこで放送されている人気ドラマ。映画会社にしてみれば、これほどヒット間違いないコンテンツもありません。
映画化に際して、ラジオとは別のテーマソングを作ろうということになり、先に古関裕而が作曲。後からサトウハチローが歌詞をはめこんで、この「夢淡き東京」は出来上がりました。「かすむは春の青空かあの屋根はかがやく聖路加か」という歌詞がありますが、この「聖路加」は、築地の聖路加国際病院のこと。マッカーサー元帥が熱心な聖公会の信者だったことから、同じ系列のこの「聖路加」が空襲を免れた…というお話、以前、この番組でもご紹介いたしました。昭和二十二年、まだ焼け跡だらけの銀座界隈で、焼け残ったランドマークが、聖路加だったのです。

8月15日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「東京だヨおっ母さん」です。
ご存知、お千代さん、島倉千代子さん、昭和三十二年(1957年)の大ヒット曲、「東京だヨおっ母さん」。東京で暮らす娘が、母親を東京見物に呼ぶ。行き先は三箇所、まずは皇居、それから、戦死した兄を偲んで靖国神社、最後に母の長寿を願うため、浅草へと参ります。作詞した野村俊夫は、そのころ、五十三歳。弟が、ガダルカナルで戦死しています。そして、戦後、十二年。東京で働く妹のところに母親が上京し、皇居、そして靖国神社をしみじみ訪ねたというエピソードをもとにつくられた歌なのです。
また、作曲の船村徹も、昭和十九年、実の兄が戦死しています。フィリピンで、乗り組んでいた船が撃沈されたのです。こうした、さまざまな人の思いが込められた「東京だヨおっ母さん」ですが、実は大きなナゾがあります。これまで、実に35回の出場を果たしている、NHK紅白歌合戦で、一度も歌われたことがないんです!「からたち日記」「逢いたいなアあの人に」そして「人生いろいろ」は、それぞれ3回ずつ歌われています。不思議ですね〜!

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