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5月19日(月)〜5月23日(金)
今週は、「江戸川乱歩の東京」。
日本の探偵小説、ミステリの父といわれる江戸川乱歩。
今週は都内各地に点在する、乱歩作品の舞台を五日間に渡ってご紹介してまいります。
5月19日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、「団子坂」をご紹介します。
明治二十七年(1894年)、三重県に生まれた江戸川乱歩は、大正十二年(1923年)、二十九歳のときに、日本の創作ミステリ第一号といわれる「二銭銅貨」を発表し、文壇に衝撃を与えます。それまでは、古本屋や夜鳴きそば、さらには新聞記者など職業を転々としていましたが、この「二銭銅貨」の成功で、作家としてのキャリアをスタート。そして取り掛かったのが、「D坂の殺人事件」でした。
名探偵、明智小五郎が初めて姿を現すこの作品。「D坂」のモデルになっているのは、文京区千駄木にある「団子坂」です。ここは、大正七年から九年にかけて、乱歩自身が古本屋を開業していた場所でした。森鴎外のかつての住まい「観潮楼」に連なるこの坂は、明治時代、「菊人形」の名所として知られており、数多くの文学作品に登場いたします。 「自雷也も がまも枯れたり 団子坂」
歌舞伎でおなじみ、ガマに変身するスーパーヒーロー、自雷也とがまの人形に使われている菊が、枯れてしまって、なんとなく物悲しい様子を詠んだこの句。作者は、正岡子規です。また、夏目漱石の「三四郎」にも、菊人形の名所として登場。漱石は登場人物、広田先生にこんなセリフを言わせています。「『菊人形はいいよ』と今度は広田先生が言いだした。『あれほどに人工的なものはおそらく外国にもないだろう。人工的によくこんなものをこしらえたというところを見ておく必要がある。あれが普通の人間にできていたら、おそらく団子坂へ行く者は一人もあるまい。普通の人間なら、どこの家でも四、五人は必ずいる。団子坂へ出かけるにはあたらない』」団子坂の菊人形、その全盛期は明治二十年代。明治四十四年には、両国国技館の大掛かりな菊人形に客を奪われ、団子坂での興行は終わっていますから、乱歩はこうした賑わいぶりを知らないことになります。
団子坂は、また、「藪蕎麦」発祥の地でもあります。もともとは「蔦屋」という名前だったそうですが、敷地は三千坪と大変な広さで、藪の中あちこちに離れ座敷があるという趣のあるお店で、いつしか「藪蕎麦」と呼ばれるようになったのだとか。この団子坂・藪本店も明治の末になくなっています。菊人形も藪蕎麦もなくなった、いささか寂しげな大正時代の団子坂を舞台にする、「D坂の殺人事件」。読者の前に初めて姿を現した青年探偵、明智小五郎が、この猟奇的な事件をどのように解決に導くのか、これからが本題ですが、お時間になってしまいました。続きは、どうぞ、作品をお読みになってください!
5月20日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「浅草」をご紹介します。
きのうは、名探偵明智小五郎のデビュー作である「D坂の殺人事件」をご紹介しましたが、きょうは打って変わって、幻想的な作品で、浅草が主要な舞台となる「押絵と旅する男」をご紹介します。「押絵」とは、人物や風景などの型を布でくるみ、立体的に仕上げたもので、一般的には羽子板で知られています。物語の語り手は、富山に出かけ、魚津の蜃気楼を見た後、夜行列車に乗り込み、上野へと向かいます。
同じ車両に乗り合わせていたのは、一人の老紳士。紳士は、奇妙な絵の額を持ち歩いていました。「これが、ごらんになりたいのでございましょう」そこに描かれていたのは、歌舞伎の舞台に出てくる大広間のような、どこまでも青畳が広がっているような風景でした。その中には、まるで生きているような、二人の人物の押絵。一人は、「黒ビロードの古風な洋服を着た白髪の老人」。もう一人は「十七、八の水のたれるような美少女」芝居でいうなら「濡れ場」が描かれていたのです。そして、老人は、明治二十八年の浅草で起きた、世にも不思議な物語を語り始めました。押絵の男性は、自分の実の兄だというのです。「それはもう、生涯の大事件ですから、よく記憶しておりますが、明治二十八年四月の、兄があんなになりましたのが、二十七日の夕方のことでございました」
お聞きいただいておりますのは、エノケン、榎本健一さん歌うところの「サーカス呼び込みのうた」。エノケンが浅草で活躍するのは、昭和の始め頃のことですが、浅草は明治時代から、サーカスや見世物で賑わう、東京で一番の盛り場。ランドマークになっていたのが、関東大震災で倒壊する凌雲閣、通称十二階でした。老人は、この建物を、「あれは、一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ」と、思い出しています。老人の兄は、この十二階に上って、日がな一日望遠鏡を覗き、たった一度見ただけで一目ぼれした少女を探していた。ところが、その少女は「のぞきからくり」の押絵。そして、兄は、恋焦がれるあまり、その押絵の世界の中に、自ら溶け込んでいってしまった…という不思議な物語。大正から昭和・戦前にかけての浅草という場所は、こんな不思議なことが起きる可能性を秘めた、いわば「魔性の土地」だった、ということができるのでしょう。
5月21日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「麻布界隈」をご紹介します。
作家・江戸川乱歩は引越しマニアとして有名でした。終の棲家となったのは、豊島区西池袋、立教大学の隣にあった土蔵のある家ですが、ここに至るまで、実に二十六回もの引越しを繰り返していたのです。といっても地域は限られており、厩橋から上野広小路を経て早稲田に至る、「市電三十九番」の沿線がほとんどでした。しかし例外的に、麻布一の橋の近く、また高輪・泉岳寺近くに住んでいた時期もあります。さらに、池袋に落ち着いた後も、麻布箪笥町といいますから現在の首都高・谷町ジャンクション近くの「張ホテル」という中国人の経営するホテルに、長期滞在したこともありました。六本木・麻布界隈もまた、乱歩にとっては、馴染み深い土地だったのです。
今では「西麻布」として知られる交差点も、古くからの遊び人の皆さんにとっては「麻布霞町」。このあたり、現在は西麻布・東麻布・南麻布・元麻布など、風情のない町名がほとんどです。しかし、新住居表示になるまでは、先ほど登場した「箪笥町」「霞町」のほか「笄町」「材木町」など、由緒ある地名がズラリと並んでいたものです。こうしたお屋敷町は、探偵小説の舞台となりやすいのか、乱歩作品にはしばしば麻布界隈が登場して、物寂しい西洋館で陰惨な殺人事件などが起きたりします。事件が起きれば、やってくるのが、そう、あの人、名探偵・明智小五郎です。
いま、聞こえたのは、恐ろしい猛獣・豹の鳴き声。雑誌「講談倶楽部」の昭和九年・新年号から連載が始まったタイトルからして恐ろしい「人間豹」という作品では、名探偵・明智小五郎は、麻布龍土町に、事務所を構えております。「…明智小五郎は、アパートの独身住まいを引き払って、麻布区龍土町に、もと彼の女助手であった文代さんという美しい人と、新婚の家庭を構えていた。低い御影石の門柱に『明智探偵事務所』と、ごく小さな真鍮の看板がかかっている。そこをはいって、ナツメの植え込みに縁取られた敷石道を一曲がりすると、こぢんまりとした西洋館」と、描写されている建物です。龍土町は、東京ミッドタウンから外苑東通りを挟んだ向かい側。裏通りに入れば、現在も落ち着いた住宅街であり、明智探偵事務所はどのあたりにあったのか…など想像しながら散歩を楽しむこともできます。
5月22日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「上野」をご紹介します。
浅草と並ぶ盛り場である上野もまた、しばしば乱歩作品の舞台となります。たとえば昭和十二年の「悪魔の紋章」という作品では、博物館のガラスケースに死体が置かれて観客を驚かせますし、昭和六年の「目羅博士」では、上野動物園のサル山、そして不忍池の薄暮の幻想的な光景が登場。さらに、動物園にある寛永寺の五重塔には、昭和十四年の「幽鬼の塔」で、首吊り死体がぶら下がります。しかし、もっと派手で面白いエピソードが、昭和五年から連載が始まった、「黄金仮面」に登場するんです。
大昔から、人間の心を惑わせてきた「金」、ゴールド。この江戸川乱歩「黄金仮面」は、文字通り黄金の仮面を被った謎の人物が、上野に出没し、名探偵・明智小五郎と、壮絶な知恵比べを繰り広げるというお話です。黄金仮面が狙うのは、博覧会の目玉展示物である、巨大な真珠、その名も「志摩の女王」。厳重な警備をかいくぐり、まんまと強奪に成功した黄金仮面は、必死の追跡をふりほどいて、高さおよそ50メートルの博覧会のモニュメントである「産業塔」に逃げ込みます。
塔の周りは警官隊が取り囲み、さらに野次馬も続々集ってくる。もうどこにも逃げ場はない、黄金仮面も万事休すか?
「…産業塔を取り囲んでいた数千の群集は、そのとき、探照灯の白光のの中に、白い蜃気楼のように浮かび上がった尖塔上の、非常に印象的な、美しくも奇怪なる光景を、長い後まで忘れることができなかった」
サーチライトに浮かび上がった黄金仮面は、地上50mの塔の上で血を吐きながらのた打ち回っていた、塔のてっぺんにロープをかけて死を選んだのです。ところが、警官隊がかけつけてみると、そこはもぬけの殻。まんまと逃げおおせた黄金仮面の、さらなる陰謀が明らかになってくる…という物語序盤のクライマックス。さて、皆様、この「黄金仮面」の正体、ご存知でしょうか?
黄金仮面の正体は、この歌の主人公のおじいちゃん…そう、怪盗紳士ことアルセーヌ・ルパンだったのです。乱歩は小説「ルパン対ホームズ」に刺激されて、あちらがホームズならこちらは明智小五郎だと、ルパンと明智の対決する小説を構想しますが、いくらなんでも西洋人のルパンが日本にやってきては、目立ってしまってしかたがない。そこで「黄金仮面」を被せて、ちょっと見には外国人だとわからないようにしたんだそうです。
5月23日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「戸山が原」をご紹介します。
乱歩先生、二十六回に及ぶ東京での引越しの歴史の中でも、現在の新宿区、早稲田界隈は何度も住んだ土地です。現在は都心といっても差し支えないこのあたりですが、戦前はまだまだ寂しい土地。上野、浅草あたりを東京の中心とするならば、早稲田界隈から山手線の外側にかけては、西部劇に出てくるような未開の場所、というのが、当時の東京っ子のイメージだったでしょう。「戸山が原」は、新大久保駅と高田馬場駅の間、そして現在の戸山公園のあたりを指す言葉で、もともとは尾張徳川藩の広大な下屋敷でした。明治になってからは陸軍の施設となり、演習場などに使われていましたが、一部を除いては一般に開放されていて、市民の憩いの場としてとても人気があったんだそうです。夜になれば、キツネやタヌキがノソノソ顔を出し、フクロウの鳴き声が聞こえるような寂しい場所で、悪人がアジトを設けるには格好の原っぱ。きのうご紹介した「黄金仮面」の中でも、黄金仮面こと、アルセーヌ・ルパンは戸山ヶ原に隠れ家を持っています。「結局、行き着いたところは、郊外戸山が原のはずれの、実に寂しい場所にポツンと建っている古い洋館で、場所といい建物といい、なんとなく不気味な感じがする」こんな風に描写されています。
戦後、ラジオドラマで大人気となった乱歩原作の「少年探偵団」シリーズ。「黄金仮面」の六年後に発表された「怪人二十面相」でも、ここ、戸山が原は重要な役割を果たします。二十面相を相手に堂々と渡り合いながら、敵の手に落ちてしまった少年探偵団のリーダー、小林少年は、拉致監禁された部屋から外を眺めます。すると…「まどの外、広っぱのはるかむこうに、東京にたった一ヶ所しかない、きわだって特徴のある建物が見えたのです。東京の読者諸君は、戸山ヶ原にある、大人国のかまぼこをいくつもならべたような、コンクリートの大きな建物をごぞんじでしょう」この「大人国のかまぼこ」というのが、陸軍の実弾射撃場。もともとは野外施設だったのですが、あたりに人家が増え、危険なのとウルサイのとで、カマボコ型のコンクリートで覆われることになりました。
ここ戸山が原は、乱歩作品の舞台となったばかりでなく、日本で初めての国産飛行機の実験場であり、明治十二年にアメリカのグラント大統領を迎えるために特設の競馬場が設けられた土地でもあります。その他、戸山の面白い歴史エピソードあれこれについては、いずれまた、回を改めてお話することにしましょう。
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