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4月21日(月)〜4月25日(金)
今週は、「明治三面記事図鑑」。
明治時代の新聞記事から、今ではちょっとビックリしてしまう、時代を感じさせる珍事件、怪事件の数々を、ご紹介する五日間です。
4月21日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、「ああ 結婚!」をご紹介します。
今も昔も変わらない、人生の一大事=結婚。そこには悲喜こもごもの人間ドラマが生まれます。何十年も迷いに迷って、結局一生独身を通す人。かと思えば、出会った瞬間のインスピレーションで、生涯の伴侶を決めてしまう人もいます。とはいうものの、これからご紹介する例は、少々、極端すぎるかもしれません!?
明治四十三年 十月三十日。芝区浜松町二の二十、桶職人 鈴木定次郎さん(二十五歳)は、今年の春、母を亡くして以来の一人暮らしが続いていました。ところが、今月二十五日、日頃入浴のため出かける、浜松町一の八 山田湯こと寺田吉兵衛方にて汗を流し、帰りがけ、番台に座っていた雇い人、栃木生まれの倉田みつさん(二十歳)に向かって、「俺も独身で困る。女房に来てくれぬか」と冗談をいって帰宅しました。すると、翌二十六日夕方、みつさんが叔母の愛宕町二の三、倉田ますさんと共に、大きな風呂敷包みとゲタを下げ、定次郎さん方を来訪。定次郎さんは面食らいましたが、「これも出雲の神様のお取り持ちでしょう」と大喜び、すぐに近所の魚屋から料理を取り寄せ、酒を買い、媒酌人も入らず、結婚式を挙げたそうです。
続いても、ここ文化放送、ご近所の話題です。
明治三十二年三月三十日。荏原郡南品川 字漁師町百二十九番地の漁師、三河屋こと櫻井八右衛門の次男、芳太郎さん(二十二歳)は、おとといの夜、近隣より花嫁を迎えました。ここ品川地区は、維新前からの習慣で、婚礼の夜には、その祝いとして、周囲の若者が集まり、家に石を投げ込むことになっています。そのため、櫻井さん方では、家の周りを葦簀で囲み、あらかじめ防御体制を取っていました。しかし、集まった若者数十人は委細構わず、三三九度の真っ最中に家を取り囲み、陸上や船の上から、用意した石を投げ込み、さらに神社から力石を無断で持ち出し、家の前に積み上げるなどして盛り上がりました。ところが、ここに、最近赴任してきたばかりで、土地の事情を知らない巡査が通りかかったので大変な事に。一同を取り押さえようと襲いかかって参ります。若者たちは不意を討たれて、船に乗って逃げ出したり、あるいは海に飛び込んだりと、大騒ぎになりましたが、後に真相が判明、大笑いのうちに夜は更けたということです。
4月22日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「ケンカ大好き!」をご紹介します。
火事とケンカは江戸の華、などと申しまして、落語の方には、江戸っ子のケンカがよく登場して参ります。これ、実際には誇張でもなんでもなかったようで、明治の御世の新聞を眺めてみましても、ケンカの話題、それこそ毎日のように登場するわけでございます。
子供のケンカに親が出たというお話です。明治二十七年八月三日。神田区 山本町と申しますから、現在の秋葉原駅前、神田消防署や高層マンションのタイムズタワーが建つあたり。ここに住んでいた人力車運転手の秋本角次郎容疑者(三九歳)の長男、兼吉くん(十歳)は、おととい午後三時ごろ、近所の漬物商、田辺鉄五郎容疑者(三六歳)の長男、栄次郎くん(十一歳)とケンカしましたが、やはり一歳の年齢差は大きく、頭を殴られてワアワア泣き出し、悔しまぎれに、栄次郎くん方に小石を投げ込みました。これを見た鉄五郎容疑者が兼吉くんを捕らえて小突き回し、兼吉くんが号泣しながら家へ戻ったところ、ふだんからケンカを奨励している角次郎容疑者は、「ちゃんがカタキをとってやる」と怒り、栄次郎容疑者方へ押しかけました。最初は話し合いがもたれましたが、やはり物別れに終わり、殴り合い、取っ組み合いの大喧嘩に発展。角次郎容疑者は栄次郎容疑者を組み伏せ、のどをぐっと絞めようとしたところ、栄次郎容疑者の妻、おてつ容疑者(三十六歳)が、夫の危機を見かね、庭にあったレンガを持ち出し、角次郎容疑者の頭を力いっぱい打ちすえました。不意打ちをくらった角次郎容疑者はフラフラになり、そこへ栄次郎容疑者、おてつ容疑者の二人が襲い掛かったところへ、通報を受けた巡査が急行。現行犯逮捕された一同は、現在、神田警察署に拘留され、取調べを受けています。
明治三十三年 八月十六日。神田区豊島町、北川町、松ヶ枝町ふきん…と申しますから、現在の秋葉原駅と浅草橋駅の間あたりの子供たちと、日本橋区馬喰町、亀井町、小伝馬町あたりの子供たちとの間に、二、三日前から不穏な空気が流れています。理由は不明ですが、互いに味方を駆り集めて路上で対陣、毎晩のように小競り合い。小石や泥団子を投げあったり、竹ざおや棍棒を持って衝突を繰り返しています。昨夜は、日本橋の軍勢四百名が総攻撃の予定だったため、人数で劣る神田側の三百名は防御の準備を進めていました。神田署では、巡査を派遣して警戒に当たっており、昨夜は何事もなく終わりましたが、近日中の本格的な戦闘は避けられない見通しです。
4月23日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「狐と狸が化かしあい!」をご紹介します。
人を化かす動物といえば、狐と狸。文明開化の世の中とはいうものの、まだまだ物寂しい場所も多かった明治時代には、この東京の中でも、「狐に化かされた」「狸にひどい目に遭わされた」といった類のお話がずいぶんあったんだそうでございます…。
明治十八年二月十四日。南葛飾郡 猿又村 と申しますから、現在の水元公園の近くでございましょうか。この猿又村の農業、藤井久作さん(五十一歳)が、日本橋へ用事のため出かけてきたところ、向島の土手、三囲のあたりで八歳ほどの女の子を保護。母親とはぐれたというので、あたりを訪ねまわったが該当する女性は見当たりませんでした。家を訪ねると、なんと同じ猿又村だと話したため、それなら送り届けてやろう、と歩き始めたところ、途中の田舎道で見失ってしまいました。慌てた藤井さんが、先ほど娘から聞いた住所を訪ねたところ、その家では、「妻も娘も本日は終日在宅しておりました」と、逆に怪しい目で見られてしまいました。不思議に思った藤井さん。よくよく考えてみたところ、日本橋で食事を取り、そのとき残った天麩羅を竹の皮に包んだが、騒ぎの最中にどこかに行ってしまった。さては、あの娘は包みの天麩羅を目当てに、狐が化けて出たものか…と、恐ろしさのあまり、腰を抜かしてしまったそうです。
明治八年十一月二十七日。日本橋 本石町に住む美容師の女性が、家に飛び込んできた狸を哀れみ、床下に住まわせました。その晩、美容師の十歳になる長男が、火鉢のふちを叩いて遊んでいたところ、驚いたことに狸もうかれて、腹鼓でリズムを取り始めた。これは面白いということになり、近所の人々もこの家を訪れ、臨時のジャムセッションが始まりました。ところが、夜が更けてきてもこのドラマー狸、一向に腹を叩くのをやめません。美容師の夫が、「いまいましい狸だ、やかましい」と怒鳴ると、よけいに力を入れて叩く始末。困った美容師が「これ狸どん。もうみんな寝るのだから、どうぞ静かにしておくれ」と優しく頼んだところ、鼓の音はパッタリとやみました。翌日は昼過ぎから、またポンポコポンポコが始まり、今では近隣の名物となり、美容院は大変にぎわっております。
4月24日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「男と女のお話!」をご紹介します。
近くて遠きは男女の仲、人の心はうつろうもの。たとえ、いったん夫婦の契りを結んだとしても、それ以降はすべて平穏無事に過ぎていく、なんてことは、めったにないわけでございまして…
明治二十九年十二月三日。豊多摩郡淀橋町、新宿駅の西側ですね、こちらの大字柏木、百六十四番地の植木職人、高野源右衛門さん(四十九歳)は、年の離れた妻、おきんさん(二十歳)と二人暮らし。源右衛門さんが一昨日の夜帰宅したところ、野方村大字上高田、現在の西武新宿線新井薬師あたりの同じく植木職人、鈴木与三郎さん(二十四歳)が、ぶらりと訪ねてきたので酒を飲み始め、与三郎さんはその晩、泊まっていくことになりました。翌日、源右衛門さんは起きて現場に向かおうとしましたが、与三郎さんはまだ酒が残っているのか、眠ったまま。無理やり起こすのもかわいそうなので、そのまま出勤し、帰宅したところ、自宅に「貸家です」との掲示があり、中には何一つ残っておらず、「もぬけの殻」状態でした。驚いて大家に事情を尋ねたところ、「先ほど、おきんさんがいらっしゃって、急に下町に引っ越すことになりました、ありがとうございまいした」と、道具一切を車に積み、引き払われました…とのこと。源右衛門さんから訴えを受けた新宿署では、与三郎さんとおきんさんが最初から男女の関係にあり、示し合わせて逃亡したものと見て、調べを進めています。
明治三十四年、七月三日。けさ、午前二時三十分ごろ、横浜市石川仲町一丁目十四番地の鍛冶職人、石川寅吉容疑者(二十一歳)が、同町二十五番地の指物職人、浦沢勘吉さん方へ忍び込み、着物や雑貨類などを盗み出そうとしたところ、蚊帳の中に寝ていた浦沢さんの妻、きささん(三十三歳)の布団が乱れ、太ももがあらわになっていたのを見て欲情、そのままけしからぬ所業に及びました。ところが、妻の時ならぬ喘ぎに驚いた浦沢さんが目覚め、驚いて石川容疑者を引き離して取り押さえ、そのまま警察に突き出しました。きささんは「寝ていたのでよくわからなかった。主人だとばかり思っていました」と話しています。
4月25日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「すごい話がありました!」をご紹介します。
「薮入り」という古典落語にも登場する有名なエピソードですが、明治三十四年、「黒死病」と呼ばれた恐ろしい伝染病、ペストが流行。この病原菌をネズミが媒介するということで、東京市では、市民にネズミの捕獲を奨励。捕らえたネズミを交番に持参すれば、一匹につき5銭の報奨金がもらえることになりました。市の計画では、三十日間で二十一万匹を捕らえる予定が、やはりキャッシュが絡むとみんな一生懸命になりまして、わずか十一日で目標を達成してしまったのです。
明治三十四年 六月十五日。先週から始まった、ペスト予防のためのネズミ買い上げ。おとといは、東京市内で、合計 14,242匹が捕獲されました。麹町区有楽町一丁目、弁護士、湊洗吾さんは、この日、ネズミ捕り器で一匹のネズミを捕らえましたが、妊娠中だったとみえ、ネズミ捕りにはさまれた刺激ですぐに分娩を開始。合計、十匹の子ネズミが生まれました。湊さんはすぐに交番におもむき、「ネズミを十一匹つかまえました」と申し出ましたが、交番では、「いや、これは一匹としか認められない」と反論。持ち前の法律知識をふりかざし熱弁をふるう湊さんに、交番としても対応に困り、市役所に問い合わせたところ、槙田衛生課長は、「本来ならまだ分娩の時期ではなかったネズミが、ネズミ捕りの圧迫により押し出されてしまったもので、人間でいえばこれは流産にあたる。したがって、この場合は、報奨金は一匹分」と裁定。湊さんには、5銭のみが支払われました。(感想)話を聞く分にはいいけど、実際はこんな場面、あまり見たくない!?
明治二十六年七月十三日。浅草西鳥越町二番地、鋳物職人 轟愛造さん(二十九歳)は、妻のかねさん(二十五歳)、長男の仲次くん(二歳)と三人暮し。前掛けと間違って、越中ふんどしで顔を拭いてしまうような、近所でも評判のそそっかしい男性です。おとといの夕方、勤め先の砲兵工廠…これ、現在の後楽園遊園地がある場所なんですが、この砲兵工廠から帰宅した際、「ここは勤め先から遠くていけねえ、近いところに家を見つけてきた。今日は吉日だからすぐに引っ越すぞ」と、かねさんが何も言わないうちに引越しの準備を始め、すり鉢を箪笥にしまい、味噌漉しを服紗に包むなど、大慌てで準備を整え、夜になって移転先の小石川柳町、文京区役所から白山通りを北へ向かったあたりへと向かいました。
ところが、道を半分ほど来たあたりで、「おや、変だ。仲次はどこへいった?」と、子供の姿が見えないのに気づき、かねさんは取り乱して大騒ぎ。すったもんだで近所を探し回ったところ、突然、荷物の中から「ギャー!」と、仲次くんの泣き声が聞こえてまいりました。これは、愛造さんが、荷物をまとめる際、仲次くんが寝ているのに気づかず、布団をまとめて長持ちの中に押し込み、そのまま運んでいたものです。
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