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1月21日(月)〜1月25日(金)
暦の上では春を迎えておりますが、まだまだ寒い日が続いております。
今週は、江戸から東京まで、どうやって暖をとってきたのかをご紹介してまいります。
1月21日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、「火鉢」をご紹介します。
江戸時代、室内の暖房は、まったく貧弱でした、まさに、お寒い限りだったんです。江戸城に住む将軍様も、裏長屋に住む熊さん・八っつあんも、今から思えばお粗末な設備で寒さに耐えていたんですね。
あの頃の代表的な暖房器具といえば、何と言っても火鉢。平安時代からあった火鉢、江戸城や大名屋敷では、豪華な飾りのついた、金属製や陶器の火鉢が使われていました。江戸城の大広間には、冬になると数十個の火鉢がズラリと並べられていたそうでございます。
豪華な火鉢があれば、ごくごく手軽な火鉢もありました。長屋の住人などは、素焼きの火鉢を使い、「今夜は、やけに冷えるね〜」「早いとこ寝ちまおう」などと言いながら、隙間風の中で暮らしていたのでございます。
江戸時代の火鉢といえば、私たちにも、芝居や映画でお馴染み、長火鉢。火鉢と家具を合体させたもので、重宝したそうですね。ただの暖房器具ではありません。お湯は沸かせる、お燗はつけられる、時には餅を焼く。引き出しは乾燥していて、海苔やタバコを入れておける・・・まことに便利でございました。
長火鉢に限らず、火鉢には、鉄瓶を乗せておくのが常でございましたが、実は、あれは大きな役目があったんです。地震の時には、鉄瓶がひっくり返り、火が消える。江戸の自動消火器・・・でした。
それはともかく、長火鉢は時代劇には欠かせません。長屋の大家さんが、店子に啖呵を切る場面。また、子分の八五郎が「親分!大変(てえへん)だ!」と飛び込んでくる、銭形平次の住まい。こんな場面、長火鉢が存在感を示しております。
火鉢は、明治の世になりましても、ずっと使われておりました。なんと、戦後も昭和30年代の終わり頃まで、一般家庭で使われていたのを、ご記憶の方、多いことでしょう。
やがて、石油ストーブが普及し、さらに電気やガスを使った、手のかからない暖房器具が主流になっていきました。火鉢が使われる場は少なくなってゆきました。
しかし・・・。
近頃、昔ながらの長火鉢や、陶器の火鉢が見直されています。インテリアとして、また、おだやかな暖かさに魅力を感じている人が増えているんだそうです。
1月22日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「湯たんぽ」をご紹介します。
今日は、寒い日にもぐっすり眠るために欠かせない・・・これ。湯たんぽ。室町時代に中国から伝わったとされておりますが、これぞ日本人の生活の知恵が生んだ商品でございます。お湯の「湯」に、おばあさんの「婆」、湯婆、日本では頭に「湯」がついて「湯湯婆」、湯たんぽ、でございます。はじめは銅製のものと、陶器製、はるか下って大正時代になってから、トタン製のものが登場しました。江戸の代表的な暖房器具、昼は、火鉢とこたつ。夜は、湯たんぽ。
江戸で暖房器具で発達しなかった理由のひとつが・・・これ。江戸は、異様に火事が多かった。火の用心を呼びかけ、火の始末を厳重にしていても、やはり、頻繁に火事が起きていたんです。「少しぐらい寒くても、我慢・我慢」こんな考えがあったんでしょうか。その点、湯たんぽならば、火は使わないし、朝までぬくぬくとした暖かさを味わうことが出来ました。翌朝は、まだ暖かい湯たんぽの中身を使って顔を洗う。無駄がなかったんです。
長く愛用されてきた「湯たんぽ」でございますが、戦後、昭和三十年代後半になりますと出番が減ってきました。石油やガスを使ったストーブや、電気毛布、エアコンなどの普及によって、利用者は激減していました。ところが、最近、湯たんぽの人気が急上昇しております。理由は三つ。湯たんぽの長所、空気が乾燥しない、おだやかな暖かさが長く楽しめる、これが見直されたことと・・・これが第一の理由。続いて、ご存知、ここ1、2年の灯油の値上がりです。そして、第三は、エコロジーの考えが浸透してきたこと。エネルギーを使わずに暖まる「湯たんぽ」、なかなかの優れものでございます。
この冬、「すぐれた暖房器具」としてひっぱりだこになっております。昔ながらの陶器製のもの、トタン製、プラスチック製、ゴム製、種類も多いんですが、売り切れ状態のお店もある・・・そうです。
1月23日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「鍋焼きうどん」をご紹介します。
明治の世になって、江戸が東京と変わっても、冬の寒さは変わりませんでした。寒い夜、何か暖かいものでも食べようか? と考えていると、聞こえてくるのが・・・。鍋焼きうどん。明治時代の初め頃に、大阪から取り入れられた食べ物で、それまでは「そば」派が多かった江戸っ子にも、アッという間に受け入れられました。土鍋にうどんを入れて煮立て、その上に盛り付けられる具が豪華。カマボコ・伊達巻・シイタケ・麩、天ぷら、そして野菜と彩りに富んでおりました。十分に煮込んでいますから、身体が温まります。寒い季節の夜食として最適でした。
もうひとつ。普段は、「江戸っ子はソバに限るぜ」と言われていて、「うどん」は馬鹿にされていたんですが、風邪気味の場合だけは、「おう、風邪かい!鍋焼きでも食べて、早く寝ちまいなよ!」と言われたほど、風邪の特効薬とされておりました。身体が温まり、風邪は治り、栄養補給にもなる・・・というんですから、商店の使用人や、夜なべをする職人の夜食に盛んに使われた。納得できる話でございます。
さて、現在では、「鍋焼きうどん」は、冬場だけでなく一年中食べることが出来ます。お値段は、1200円から1500円ほどが多く、少々高いのですが、豪華絢爛な見た目と、身体の心まで十分に温まる効果を考えれば、納得でございます。実は、「鍋焼うどん」、作る側からすると、ずいぶん手の掛かるものなんだそうですが、人気の高さは変わりません。
寒い夜、煮立った状態で出てくる鍋焼きうどん。ふうふう言いながら食べる味は、格別のものがございます。
1月24日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「炭」をご紹介します。
長火鉢・こたつ・湯たんぽ・鍋焼きうどん・・・いろいろと暖まるものをご紹介しておりますが、どれを取っても燃料が必要でございます。炭。大都市・江戸では、火災予防の点からも、囲炉裏で盛大に薪を燃やして暖を取るわけにはいかず、室内で使う燃料は炭が多かったんです。
江戸時代中頃には、世界最大、100万都市になっていた江戸は、大名屋敷・寺・神社・そして町家と、毎日毎日、大量の炭が補給されなければ、成り立たない都市でした。どこで作られ、どうやって運ばれたのかと申しますと・・・。最大の供給源は関八州、現在の関東地方一帯でした。他に、甲州、現在の山梨県と、伊豆、現在の静岡県、そして、高級炭として知られていた備長炭。これは、紀州熊野、現在の和歌山県熊野市のものが中心で、船で運ばれていたんですね。
馬の背に揺られて街道を、張り巡らされた水路を使って、そして大型の船で、いろいろな手段が使われていました。炭や薪は、米や塩と同様に、江戸の生活には欠かせない物資だったんです。
どの位の炭が江戸に運びこまれていたのか? 資料が残っております。八代将軍吉宗の頃、船で運び込まれていただけで、一年間におよそ81万俵! 陸路で運ばれた分量の方が多かったでしょうから、毎日、炭や薪を運ぶ列が見られたことでしょう。
現在も高級炭の代名詞になっております備長炭ですが、実は、これは人の名前なんですね。紀州の備中屋長左衛門、という人が元禄の頃に作ったもので、火力が強く長持ちする・・・ブランド品として名高かかった。遠くから船で運びますから、海が荒れて入荷が止まった時には、料理屋などが「備長炭」を求め、江戸市中を右往左往したと記録にあります。燃料業界は、創意工夫が続けられておりまして、炭の粉を使ってタドンを考案、便利な燃料・タドンの登場は、お相撲さん以外には歓迎されたそうでございます。
明治の世になると、石炭が使われるようになりました。大正時代には、石炭の粉などを使って練炭や豆炭も発売され、昭和30年代の後半までは、一般家庭でも広く使われておりました。
石油や電気を使った暖房が一般的になるにつれて、炭が使われることは減っていたんですが、最近では、備長炭を筆頭に、「炭ブーム」が起きております。赤々と熾った炭には癒し効果もある・・・という説、説得力がございます。
1月25日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「カイロ」をご紹介します。
これまでは、室内を暖めるものをご紹介してまいりましたが、最終日の今日は、外出時に暖かく過ごすための工夫です。
江戸時代。囲炉裏端で温めた石を布で包み、懐に入れて持ち運ぶことが始まり、やがて全国に広まりました。温かい石と書いて温石、これを改良して灰を使ったカイロが出来、やがてベンジンを使うことが考えられ、このカイロが長い間、中心になっていたんです。
大きな変化が起きたのは30年前の1978年。使い捨てカイロが発売されました。鉄の粉を急速に酸化させると熱を出す・・・これは、50年以上前に知られていまして、朝鮮戦争の時に、アメリカ軍が使っていたそうです。それを改良し、「使い捨てカイロ」として商品化したのが日本なんです。
その後、たくさんの会社がアイデアを盛り込んだ商品を開発、現在、世界で生産されているほぼ100パーセントが日本製です。21社が加入している「日本カイロ工業会」で伺ったのですが、暖冬だった昨年度に売られた「使い捨てカイロ」は、およそ15億枚。寒さが厳しかった一昨年、平成17年度は、17億5千万枚も売れた。今年はどうかと申しますと、これが大変に好調なんだそうです。
理由の第一は、この冬、ほどほどに寒いこと。次に、やはり、灯油の値上がりが影響しているんだそうです。室内の温度設定を下げて、その分カイロを使って寒さを防ぐ・・・生活の知恵でございますね。
最近になって知られていることですが、肘や膝、足首に「使い捨てカイロ」を貼るのが広まっているそうなんですね。どうやら、温熱治療のような効果があるようで、高齢化が進行する中で、こちらの需要は確実に増えているようでございます。
輸出も盛んに行われているんですが、最大の輸出先が北米。どんな風に使われているかと申しますと・・・。フットボールなどのスポーツ観戦や、釣りやスキーなどのウインタースポーツをする人に喜ばれている・・・そうなんです。
暖めた石を包んだ温石から、「使い捨てカイロ」まで、思えば便利になったものでございます。
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