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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
1月14日(月)〜1月18日(金)
今週は、「銀座の夜の物語 戦前編」。
明治維新この方、東京でいちばんモダンな街・銀座、その銀座の夜を彩った様々なストーリーをご紹介します。

1月14日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、「カフェー事始め」をご紹介します。
名曲中の名曲、「銀座の恋の物語」。今も昔も、銀座は日本を代表する繁華街。昼間は、デパートや、老舗を目当ての買い物客で賑わいます。そして、夜のとばりが降りる頃ともなると…。どこからともなく現れた、美しく着飾った女性たちが、どこか妖しい微笑みを浮かべながら、それぞれの職場へ、ご出勤と相成ります。昼の盛り場日本一が銀座なら、夜の日本一も、また、銀座。贅を尽くしたお店の中では、夢が語られ、涙が流れ、時には恋の鞘当てもあって、紫の煙漂う中、夜はしっとりと更けていくわけでございます。それにしてもいったい、銀座の夜の賑わいは、いつごろから始まったものなのか…と調べてみると、明治四十四年(1911年)と言いますから、今から実に九十八年前のこと。当時の京橋区日吉町二十番地、現在の町名でいえば銀座八丁目六番地…資生堂パーラーから外濠通りに向かって花椿通りを3ブロックほど歩いたところにあった、「カフェー・プランタン」の開店までさかのぼります。「カフェ」といえば、今風の感じがいたしますが、「カフェー」と、ちょっぴり伸ばすだけで、明治・大正、モボ・モガの香りが漂ってきますから、不思議なもの。そもそも「カフェー」といえば、現在で言う「喫茶店」ですが、それがなぜ、キレイなお姉さんのいる酒場ということになってしまったのでしょう。
そもそも、この「カフェー・プランタン」を作ったのは、画家の松山省三さんという方。パリの「カフェー」には、日夜、画家や作家などが集い、芸術談義をしているという話を聞いて、ぜひ東京にもそういうスペースをこしらえたい…と、この店をオープンするに至ったのでした。店名の「プランタン」は、相談役であった劇作家、小山内薫が命名したもの。当初は、それまで日本になかったまったく新しいタイプのお店だったので、きちんと運営していけるか危ぶまれました。そこで、パリのカフェのような場所が欲しいと思っていた、岸田劉生、永井荷風、森鴎外、谷崎潤一郎といった人々が「維持会員」となって毎月会費五十銭を払っていました。コーヒーだけでなくお酒やちょっとした食事も出て、正にパリのカフェのような場所になったこの「プランタン」。しかし、パリとは一つだけ違うことがありました。それは、原則的にボーイさんしかいない本家に対し、この日本風カフェは美しいウエイトレスさん、当時の言葉でいう「女給さん」がいたことです。そして、そんな美しい女給さんの、ちょっぴりお色気のあるサービスを目当ての客が訪れるようになった…。これが、今日まで続く、「きれいな女性のサービスがある銀座の酒場」の始まり、というわけでございます。

1月15日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「菊池寛 大暴れ」をご紹介します。
きのう、銀座の夜の歴史は、明治四十四年に開業した「カフェー・プランタン」に始まる…とご紹介しました。美しいウエイトレス、当時でいう「女給さん」を目当てに、このカフェーにお客さんが押し寄せるようになると、似たような店があちこちに出てくるのは、世の習いというもの。プランタンの近所にも「カフェー・ライオン」あるいは「カフェー・タイガー」といったお店が次々に開業し、お酒と女性が好きな紳士諸兄の人気を集めるようになりました。この流れ、関東大震災でいっときは途切れてしまいますが、欲望は人間社会を前進させる原動力でございます。震災後ほどなく、夜の蝶たちは銀座の巷へと舞い戻り、昭和の始め頃、空前の繁昌を見るに至ったのです。文豪・菊池寛も、銀座のカフェーをこよなく愛した一人で、あちこちの女給さん、今で言うホステスさんに、気前よくチップをはずむことで有名だったそうです。ある店では、女給さんの人気投票を実施していて、ビール一本の注文で一票、投票できるシステムでしたが、菊池寛・大先生は、ひいきの女の子を一位にしてやろうと、なんとビール百五十本を注文!もっとも、それは飲まず、あくる日、お持ち帰りになられたそうです。ある時、やはりカフェー好きだった広津和郎という作家が、その菊池寛とおぼしき人物の登場する小説を発表しました。タイトルは、ずばり「女給」。小夜子という名前の女給を主人公にした、この小説。掲載された当時の「婦人公論」の広告には、「太って実業家のような文壇の大御所にさらわれた小夜子、その物語は日本中を涙させる」といった、センセーショナルな宣伝文句が踊っています。これは誰が見ても明らかに菊池寛のこと。小説の中には、太った詩人が、店に出たばかりの小夜子を口説こうと、無理矢理十円を握らせる場面が登場、今でいえばニ、三万円といったところでしょうか。これを見た菊池寛大先生、俺はそんなことしない…と、版元の中央公論社に抗議文を送りました。題して、「僕の見た彼女」。ところが、この文章が翌月の雑誌に掲載されるとき、タイトルは「僕と小夜子の関係」と勝手につけかえられ、しかも菊池をからかうようなキャッチコピーがつけられていたから、これには先生、もう大激怒。単身、中央公論社へと乗り込み、編集主任と話すうち、相手の話が要領を得ないので、遂に激昂、ポカリと一発、お見舞いしてしまった…というわけ。たけし軍団・フライデー殴り込みのような事件が、既に昭和の初めからあったというお話ですが、裏を返せば、それだけ、「銀座のカフェー」そして「女給」という言葉が、一般大衆にも認知されていたという、その証拠となるようなエピソードです。得をしたのは、小説を書いた作家、広津和郎。本はベストセラーとなり、翌年、映画化され、主題歌「女給の唄」も大ヒットしてしまったのでした。

1月16日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「永井荷風 つゆのあとさき」をご紹介します。
明治の末、銀座で産声を上げた「カフェー」は、すぐに時代の先端を行く文化人たちの溜まり場となります。小説家、永井荷風も、その一人。開店したばかりのカフェー・プランタンの常連となり、毎晩のように顔を出していたそうですが、ある晩、友人や、馴染みの芸者と共に店に入ったところ、知人である作家、押川春浪を目にしました。しかし、女連れであったので、会釈一つすることもなく、二階へ上がっていったのです。ところが、押川にはこれが面白くなかったようで、後から二階へ上がってくると、同行の友人にケンカを売る。荷風は、芸者に目配せをして店からとっとと逃げ出した。しかし、押川はしつこく追いかけてきて、荷風と女はここへ入ったに違いない…と、目星をつけた茶屋に乱入、実際には荷風たちはいないのに乱暴狼藉を働いて大変な騒ぎになってしまいました。このことを聞いた荷風は、銀座やカフェーに嫌気がさし、それからしばらくの間、脚は遠のきます。荷風が銀座のカフェーに戻ってくるのは、十数年後のこと。日記をひもといてみますと、大正十三年には、ゼロ回だったカフェーへの訪問回数ですが、大正十五年には五十八回、そして昭和二年になると百三十九回。それこそ連日連夜の銀座通いが始まりました。目的は当然のように、「美しい女性」…。中でも、現在の森永の場所に大正十三年にオープンした、「カフェー・タイガー」の「お久」という女給さんが大のお気に入りだったようです。
当時、銀座のカフェー数ある中でも、この「タイガー」は、飛び抜けて美しい女性を集めていたことで大評判でした。また、三十人ほどの女性が、赤、青、紫の三組に分かれ、思いきり色っぽいサービスで売上を競うというシステムで、客は馴染みの女性がいる組をなんとか勝たせようと、どんどんお金を注ぎ込む…という、巧妙な仕掛けになっていたんだそうです。
永井荷風は、こんなカフェーの風俗を興味深く観察して昭和六年「つゆのあとさき」という作品に結実させました。主人公は、君江という名前の、カフェーの女給。彼女が、常連客と一夜を共にする場面を少しご紹介しましょう。
「…君江は男の胸に抱かれたまま、羽織の下に片手を回し、帯の掛けを抜いて引き出したので、薄い金紗の袷はねじれながら肩先から滑り落ちて、だんだら染の長襦袢の胸もはだけた、なまめかしさ。男は益々激した調子になり『こう見えたって僕も信用が大事さ。誰にも喋るもんかね』
『カッフェーは実に口がうるさいわねえ。人が何をしたって余計なお世話じゃないの』と言いながら、はしょりのしごきを解き捨て、膝の上に抱かれたまま身を反らすようにして仰向けに打倒れて、『みんな取って頂戴、足袋もよ』」…色っぽいですねえ!

1月17日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「太宰治 心中未遂事件」をご紹介します。
おなじみ「ルパン三世」のテーマ曲が聞こえてきましたが、銀座で「ルパン」といえば、老舗中の老舗のバーの名前です。きのう、永井荷風が通いつめた店としてご紹介した「カフェー・タイガー」をご紹介しましたが、この「ルパン」の創業者は、元「タイガー」の女給だった方。開店は昭和三年といいますから、今年でちょうど八十周年を迎えることになりますね。で、本日の主人公は、かの太宰治ですが、太宰の写真といえば、誰もが思い浮かべる、バーのスツールの上であぐらをかいている一枚。あの写真は、実は「ルパン」で撮影されたものなのです。写真家・林忠彦さんによる有名な一枚。
さて、太宰は明治四十二年(1909年)の生まれ。ですから、永井荷風や菊池寛が連日カフェーに通いつめた昭和の始め頃は、ちょうど二十歳前後、血気盛んな年頃。酸いも甘いも噛み分けた文壇の大家たちとは違って、まだまだ若い太宰にとっては、カフェーの刺激もかなり強く感じられたのではないでしょうか。太宰治は、東京帝国大学に在学中の昭和五年十一月、心中未遂事件を起こしています。
昭和五年といえば、正にカフェーの全盛期で、相手の女性は、「ホリウッド」という店で女給をしていた人妻。太宰はその店に通いつめていた訳ではなく、心中は、どちらかといえば衝動的なものだったようです。このあたり、いくつかの説があり真相は不明ですが、十一月のある夜、「ホリウッド」でしこたま飲み、盛り上がった二人はそのまま都内を泊り歩きます。
そして三日後、鎌倉で睡眠薬を飲み、冷たい海へ。太宰は発見され、一命を取り止めましたが、相手の女性は、そのまま息を引き取ったのです。後に、太宰はいくつかの作品に、この事件を書いていますが、そのうちの一つをご紹介しましょう。「虚構の春」という、事件から六年後に書かれたものです。
「女が帝国ホテルへ遊びに来て、僕がボオイに五円やって、その晩、女は私の部屋へ宿泊しました。そうして、その夜更けに、私は、死ぬるよりほかに行くところがない、と何かの拍子に、ふと口から滑り出て、その一言が、とても女の心にきいたらしく、あたしも死ぬる、と、申しました」
「そうなんです。鎌倉の海に薬品を飲んで飛び込みました」
女性の名前は、田辺あつみ。
とても理知的で美しく、絵の上手い人だったそうです。

太宰は、「自殺幇助」の罪に問われ、結局、起訴猶予処分にはなったものの、生涯、この事件の暗い影を背負って生きることになりました。そして十八年後、昭和二十三年。
笠置シズ子の「東京ブギウギ」がヒットしていたこの年六月、玉川上水で、太宰治はまたも別の女性と心中を企てました。そして、今度は息を吹き返すことはなかったのです。

1月18日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「田中英光 オリンポスの果実」をご紹介します。
作曲家・古賀政男の代表作、藤山一郎の唄う「影を慕いて」。2008年の今年はオリンピック・イヤーですが、この曲のヒットした1932年(昭和七年)もまた、オリンピックの年でした。会場となったのは、アメリカ、ロサンゼルス。そして、このロサンゼルス大会に、ボートの選手として参加していたのが、後の作家、田中英光でした。彼は、代表作である「オリンポスの果実」の中で、アメリカ遠征前後の様子を詳しく描いていますが、中に、当時全盛だった銀座の「カフェー」が登場します。
その部分を、ご紹介しましょう。
「帰ってしばらくして、銀座のシャ・ノアルにクルウが揃って行ったことがあります」
「ぼく達が入って行くと、マスタアが挨拶に来るは、女給が総出で取り巻くは、大変なものでした。
「ぼくはその頃むやみに酒を飲むようになっていましたから、一人でがぶがぶと煽り、手近に座っていた京人形みたいな女給をちょっと好きになって、「君の名前は」とか訊いているうち、いきなり背後から生温かい腕がペたっと頸のまわりに巻きつきました。振返ると熱柿みたいな臭いをぷんぷんさせたN子です」
「N子はぼくの頸にぶら下がったまま、ぼくの膝に坐り、白粉と紅の顔をぼくの胸におしつけます。実をいうとぼくは肉体の快感もあって、こういう酩酊の仕方もいいなあ、と思いかけていましたが、便所に立った虎さんが帰って来て、「オイ表に出てみろよ、大変な貼出しが出ているぜ、ハッハッハ」と豪傑笑いをするので、清さんと一緒に出てみますと、入口に立てかけた大看板に(只今オリムピックボオト選手一同御来店中)と墨痕鮮やかに書いてあります。
しばらく唖然と突っ立っていたぼくは、折から身体を押して行く銀座の人混みに揉れ、段々、酔いが覚めて白々しい気持になるのでした」
 少し、長くなりましたが、七十六年前の夜の銀座の様子が、いきいきとわかる文章ではないでしょうか。
田中英光は、公私共に太宰治に心酔していた作家で、太宰と同じように睡眠薬に溺れ、そして太宰が亡くなった翌年、昭和二十四年に、敬愛する太宰の墓の前で薬を飲み、手首を切って自ら命を断ったのでした。
高峰秀子の「銀座カンカン娘」がヒットしたこの年、夜の銀座は戦前と同じように元気を取り戻し、キャバレーが全盛時代を迎えようとしていました。
そのあたりのお話は、いずれ、また、改めて。

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