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8月6日(月)〜8月10日(金)
今週のテーマは「江戸の物売り 夏の商売」。
江戸時代にタイムスリップいたしまして、庶民から親しまれておりました物売りをご紹介してまいります。
8月6日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「金魚売り」をご紹介します。
およそ500年ほど前に中国から伝わったとさえる金魚。わが国に伝わってから品種改良が続けられ、変わった形や、さまざまな大きさの金魚が生まれてきたんです。でも、はじめのうちは大変な貴重品。入場料を取って、見世物にしても大儲けするほどに客が押しかけた・・ と記録に残っております。天井をガラス張りして、金魚を泳がせ、接待などに使い、あまりの贅沢ぶりに、幕府から財産を没収された商人もいたんです。
その後、庶民にも手が届く値段になりまして、愛らしく涼しげな金魚を売り歩く金魚売りの姿は、夏の風物詩になりました。金魚売りの最大のご贔屓は・・・と申しますと。はい、今も昔もお子さんでございます。日なたを避けて、親子連れや、我が家への土産に買って帰りそうなお客を待つ、金魚売りの姿が街中でみられたものでございます。
金魚の値段が下がったのには大きな理由があります。大名が、領地の特産品を作りだすためと、下級武士の副業になるように、金魚の栽培を奨励したんです。一番有名なのが、大和、現在の奈良県の、大和郡山ですね。領主の柳沢氏の積極的に取り組んだおかげて、江戸時代から現在まで大和郡山は金魚の産地として、全国的に知られているのです。
愛らしい姿の金魚は、浮世絵や帯の柄として使われることも多く、多くの画家が取り上げています。
気温が高くない春から初夏にかけては、長い時間売り歩いていても平気なんですが、夏の盛りとなれば、水が温まるのを気にしながら、表通りを、裏通りを、路地にまで、のどかな売り声で売り歩いたんですね。
8月7日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「冷や水売り」をご紹介します。
江戸っ子の自慢のひとつが、「おいらは、水道の水で産湯をつかったんでい!」確かに、玉川上水から引いた水が江戸の大部分の地域に張り巡らされた樋で供給されておりました。まあ、水道でございます。
ところが、暑い盛りには、どうしても出先きなどでノドが乾くことがありますよね。そんな需要を見越して、新商売、冷や水売りがいました。こんな売り声です。
売り声風に・・ひゃっこい、ひゃっこい。ひゃっこい、ひゃっこい。ひと碗、4文なり。およそ、80円から100円ほどでしょうか。水の中には、砂糖と白玉が入っておりまして、砂糖を多くしたり、量を増やしたりすると、8文あるいは12文になりました。160円から300円ほどになります。涼しさを演出する工夫もされていまして、水を注ぐ器は、錫や真鍮のものも用意されていました。
でも、実際には、ただの水。氷で冷やす・・・など出来る筈がありません。暑い江戸の街中を売り歩くわけですから、冷や水でいるのは最初のうちだけ。「ひゃっこい! ひゃっこい!」と叫んでいるうちに、ただの水になってしまうのは、止むを得なかったんです。夏の風物詩の冷や水売りのお兄さんには申し訳ないんですが、こんな句が残されています。
ぬるま湯を 辻々で売る 暑い事
少しでも冷たい水を売るために、売り子も工夫しておりました。江戸市内にある、良い水が出る掘り抜き井戸、地下から汲み上げる本格的な井戸ですね、頻繁に掘りぬき井戸に立ち寄って、冷たい水を入れていたそうです。
8月8日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「朝顔売り」をご紹介します。
奈良時代あるいは、平安時代はじめに中国から伝わった朝顔、昔は薬用として用いられていました。観賞用の花として注目されるようになったのは、江戸時代。やがて、下級武士の絶好の副業として盛んに栽培されるようになったんです。
下級武士の住まいが多かった下谷・深川が朝顔栽培の中心でした。たとえ貧乏でも、武士には広い庭のついた家が与えられていましたから格好の副業だったのです。新しい種類の朝顔は高値で取引され、朝顔ブームが何度か訪れたほどの人気になりました。
やがて、庶民の間にも、涼しげな朝顔を観賞用に栽培することが広まっていきました。商家の庭で、裏通りで、長屋の小さな空き地で、さまざまな朝顔が植えられていたんです。朝顔を売る側は、大変でした。仕入れた朝顔の鉢を天秤棒で担ぎ、夜明けと共に江戸の街に売りに出るんですね。
どんなに力自慢の売り子でも、30鉢から40鉢が限度でした。力仕事のうえに、時間との競争もありました。商品が朝顔だけに、勝負は朝のうち。言い値で買ってくれそうな裕福な商店には少し高く、裏長屋の住人には格安で・・・こんな使い分けをしながら、商売をしていたんです。遅くとも午前中には売り切って、いったん家に戻ります。そして、ひと休み。夕方になると、翌日に売る分を仕入れに、問屋に出かけました。なかなかの重労働でしたが、良い稼ぎになっていたんですね。
江戸っ子に愛されていた花、朝顔。現在も人気の年中行事として開かれている入谷の朝顔市は、江戸時代の朝顔ブームの名残をとどめている夏の風物詩なんですね。
8月9日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「唐茄子売り」をご紹介します。
六代目三遊亭円生が演じます「唐茄子屋」、勘当になっ若旦那が、慣れない行商に悪戦苦闘するお話しでございます。かぼちゃ、南瓜奈良時代あるいは、平安時代はじめに中国から伝わったものです。
かぼちゃは、安くて、甘味もあり、大人数の食事を用意する商店や、庶民の家庭では人気がありました。かぼちゃには二つの種類がございます。独特のひだがある日本かぼちゃと、現在主流になっている、表面がつるんとした西洋かぶちゃの2つなんです。江戸時代のかぼちゃは、日本かぼちゃ。煮物にぴったりの品種でした。
では、さきほどのように、江戸で唐茄子屋が売っていた「かぼちゃ」は、どのあたりで獲れたものなのでしょう。JA東京中央会、東京都農業協同組合中央会に伺ってみました。当時の産地として知られていたのは、江戸の近郊で、大崎・淀橋・板橋・・・現在では都心に近いあたりでも作られていたんです。
収穫されたかぼちゃは、神田や千住にあった青果市場に運ばれ、そこで仕入れた物売りたちが、市内を売り歩きました。実は、江戸の街中には、まだまだ畑が多く、米はともかく、高く売れる野菜は、盛んに作られていたんです。当時の江戸切絵図をみても、緑で表された畑が多いのが、よく分かります。
江戸産の野菜。中でも、かぼちゃは、イモや大根と並んで、値段の安さから庶民の食卓にたびたび登場しました。どのくらいの値段だったのかと申しますと・・・。江戸時代も末に近い天保年間、1830年頃から40年頃ですが、大ぶりなかぼちゃが、1個18文、およそ360円で売られていました。
特に、女性や子供たちに、かぼちゃは高い人気がありました。
邦丸さん、売り声をお願いします。
「え〜 唐茄子屋、唐茄子 え〜 唐茄子屋、唐茄子」
8月10日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「蚊帳売り」をご紹介します。
300年前に、既に百万都市になっていた江戸でございますが、庶民が暮らしていた場所は、ほとんどが埋立地か水際。当然ながら・・・
蚊が多かったんです。多いどころか、初夏から秋口まで、江戸に住む人は蚊に悩まされていました。一般に行われていたのは、蚊遣り、蚊を燻し出すんですが、人間の方が喉や眼を傷めてしまう恐れがありました。そこで、欠かせなかったのが・・・。
「蚊帳あ〜 萌黄の蚊帳あ〜」
蚊帳を使った記憶のある方も少なくなったのは思いますが、お馴染みの蚊帳の色、もえぎ、でございます。
必ず二人一組で売り歩いたんですね。当時、蚊帳の産地といえば、近江、現在の滋賀県。江戸に店を持っていた近江の商人が、江戸市内を行商して回ったのですが、美声の持ち主が選ばれておりました。静かな江戸の街に、ゆったりとした売り声が流れる・・・蚊帳売りは、まさしく江戸の夏の風物詩でした。
蚊帳は蚊を防ぐためだけに使われていたわけではありません。蚊帳を吊った中にホタルを放し親子で眺めたり、寝苦しい夜につい話しが弾んで夜更かししたり、そんな楽しみもあったんです。
大都会江戸は、実に多くの物売りが商売していました。忙しい職人や独り者にとっては、重宝な存在でした。まさに「動くコンビニ」、朝早くから夜遅くまで、生活に必要な品を売り歩いていました。
江戸市中に、8000人とも1万人ともいわれた物売りは、江戸の街に欠かせないものだったんです。
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