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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
7月23日(月)〜7月27日(金)
今週のテーマは「冷やす!」。
江戸の昔から現在まで、人々はどのように暑さをしのいできたのか、をご紹介してまいります。

7月23日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「打ち水と夕涼み」をご紹介します。

江戸時代。生活の知恵として、暑い季節には打ち水の習慣がありました。町内の朝顔などの植え込み、表通りにも路地にも、朝夕、水をまく。土ぼこりを静め、温度も下がって涼しさが感じられました。江戸時代の職人さんは、朝も早い代わりに仕事の終わるのも早い。現在の午後2時か3時には帰ってくるんです。そして、お風呂、湯屋に行って、さっぱりしたところで・・・。
「どうだい、行こうか?」どこにとは知れたこと、夕涼みでございます。町内の縁台も楽しいでしょうが、江戸の夕涼みといえば、やはり両国。
先日もご紹介いたしましたが、江戸の川開きは、旧暦の5月28日と決まっていました。それからの3ヶ月間、両国橋の両側を中心に、夜遅くまで賑わっていたんですね。 江戸時代も末近くになりますと、浴衣が普及しております。浴衣がけで両国を目指したんですね。両国では、賑やかに舟遊びを楽しむ武士や商人が楽しむ打ち上げ花火や、音曲の「おすそわけ」があり、誰でも隅田川の涼しい風が楽しめました。
はじめに取り上げました「打ち水」ですが、200年近くたってから、その効果が注目されているのは、皆様ご存知の通り。
ヒートアイランド現象と呼ばれる異常な暑さ、少しでも温度を下げる工夫はないものか?江戸の町で行われていた習慣、「打ち水」が見直されたんです。水を撒きますと、蒸発する時に熱を奪う・・・はい。ある研究によりますと、最大で2度ほど、気温を下げるとか。打ち水に適した時間帯というのがあるんですね。それは・・・。朝と夕方。暑い盛りに撒くと、かえって湿度が高くなるそうです。そのあたり、江戸っ子は心得ておりました。
江戸時代の人々は、経験から打ち水が役立つことを知っていた。熱い季節の工夫、打ち水、現代でも立派に通用する習慣でございます。

7月24日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「氷」をご紹介します。

歴史をさかのぼってみますと、大昔からほんの150年ほど前までは、夏の季節の「氷」、とても貴重なものでした。
平安時代の清少納言の有名な作品「枕草子」の中に、「あてなるもの 削り氷にあまずら入れて新しき金椀にいれたるもの」と書かれております。かき氷は、上品なものだ・・・こんな意味のようでございます。金属の器に削った氷を入れて、シロップをかけて食べていたんですが・・・こんなことが出来たのは、ホンの一握りの貴族だけ。とにかく贅沢品でした。
時代は下って、江戸時代になりますと・・・。冬の間に集め大切に保存していた氷を、夏の盛りに江戸城に運びました。途中であらかた溶けてしまい、僅かに残った氷を器に入れ、将軍様に献上品としてお出ししたんですね。すると、
(将軍)うん、美味であるぞ。
(大名)ははーっ、有難きしあわせ。
献上した大名はお褒めにあずかり、めだたしめでたし・・・となる毎年恒例の氷運び、将軍様の権力の大きさを見せ付けるイベントでした。
幕末から明治の初めにかけて、天然氷が人気を集めました。輸入品や遠く北海道から運んできただけに、まだまだ高かったんです。明治10年代になりますと、機械を使って氷を作る「機械製氷」を始める業者が次々に現れて、氷の値段は下がっていきました。
庶民が夏に氷を味わえるようになったのは、明治も後半、20世紀に入った日露戦争の頃になってからなんです。
現在では、コンビニでも手軽においしい氷を買うことが出来ますが、あの商品が生まれた切っ掛けは、高校野球がヒントになったそうです。
夏の甲子園の名物「かちわり」、氷を砕いてビニール袋に入れて球場で売り出したのは、1952年(昭和27)のことでした。これが売れに売れたんですね。余りの売れ行きに、「全国で売り出してみよう・・・」と考えた方がいて、これまた大当たり。現在では、あのタイプの氷の、実に60パーセントは、全国のコンビニで売られているそうです。

7月25日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「かき氷」をご紹介します。

かき氷?、氷の話しなら、昨日聞きましたよ・・・ですって?いえいえ、実は、今日7月25日は「かき氷記念日」なんです。今日は、かき氷の歴史と、記念日のエピソードをご紹介いたします。
誰かが氷を食べていますね。夏の風物詩といえば、やはりこれ、かき氷でございますね。明治時代の中ごろに氷が大量に作られるようになりまして、手軽に味わえるようになったんです。これは商売になる・・・そうなると道具の方も、進歩してまいりまして、カンナで削っていたものが、氷を削る手回しの機械が出来、やがて電気を使って削るようになりました。シロップやミルクをかけて、一気に食べると、こめかみの辺りが、つーんと痛くなる、そんな経験をどなたもされていることでしょう。戦後も遥か後になりまして、フラッペというものが登場しました。どうやら関西から伝わったようでございまして、フルーツなどが盛り付けられて豪華な印象。値段の方も、少々高くなっております。
氷の状態も二つに分かれますね。ザラメ状の氷のもの、そして、粉雪のようなふわりとした氷、どちらもファンが多いんですが、あなたは、どちらがお好きでしょうか?
夏の間、赤い字で「氷」、白と青を配した氷やさんの旗が目立ちます。海で山で、プールで縁日で、「かき氷」は、夏の大スターなんですね。
さて、かき氷記念日のいわれでございます。かき氷の別名は、夏の氷・なつごおり、でございまして、「なつご」を725、7月25日にあてはめた、これが第一の理由です。なんだ、ただの語呂合わせか・・・ですって?もうひとつございます。記録に残る日本の最高気温、どの位の温度だったと思われますか?いつ、どこで記録されたかと申しますと、これが意外にも、山形県山形市なんです。なんと、40度8分!1933年(昭和8)、74年前の7月25日のことでした。はい、そうなんです。日本の最高気温を記録した日にちなんで、「かき氷の日」は7月25日に決められたんです。

7月26日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「ドライアイス」をご紹介します。

ドライアイス。作り方の説明を伺いましたが、なかなか難しいんですね。炭酸ガスに高い圧力をかけて固めたもの・・・だそうでございます。二酸化炭素とも呼ぶ炭酸ガスが発見されたのは、およそ400年前。ドライアイスを作る会社は80年ほど前にアメリカで作られました。日本に大きなドライアイス工場が完成したのは、1929年(昭和4)。さっそく製造が始まったのですが、これがまったく売れない。ぜいたく品で、まだ,ドライアイスを何に使ったら良いか分からない状態だったんです。
はじめの頃は、「ドライアイス」の他、炭酸の氷「炭酸氷」とも呼ばれていたんですが、すぐにドライアイスという名前が定着しました。ドライアイス、製品はどんどん出来る、売れ行きは伸びない・・・そんな中、大きな事件が起こりました。
1929年(昭和4)ドイツの飛行船 ツエッペリン号が日本を訪れたのです。飛行船にはたくさんの食料品が積まれていましたから、ドライアイスが欠かせませんでした。ところが、次に立ち寄るのは・・・日本。
(遠い極東の日本には、ドライアイスは、ないだろう)
こう考えた船長さん、アメリカに無線で連絡して、ドライアイスを日本に送るよう手配してあったんですね。でも心配後無用、日本には立派なドライアイス工場がありました。日本が進んでいることが知られたそうです。そんなエピソードはあるんですが、その直後に世界恐慌が起こり、ドライアイスの売り上げが増えることはありませんでした。
ドライアイスの表面温度およそ氷点下79度、これをいかして、寒い場所での兵器の実験に使われた、というのも時代を感じさせるお話しです。戦後、次第に生活が豊かになり、冷蔵庫が普及するにつれまして、ドライアイスの便利さが広く知られるようになってきました。ケーキやアイスクリームを長時間持ち歩けるようになった。現在でも、国際線の旅客機には、機内食を保存しておくためにドライアイスが大量に使われているんです。また、ケーキ屋さんなどで、持ち歩く時間によって、ドライアイスと保冷材を使い分けています。「冷やす」裏方として、ドライアイスは大活躍しているんです。
 今回は、ドライアイス製造の大手メーカー、昭和炭酸さんにご協力をいただきました。最後に、安全のためのご注意。ドライアイスを素手で持つと、やけど、低温やけどになる恐れがあります。十分ご注意ください。

7月27日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「涼しくするための工夫」をご紹介します。

正倉院にも現物が残されているほどに、うちわの歴史は古いんです。中国から伝わった「うちわ」は、江戸時代には絵柄のついたものや、凝った作りのものが各地で作られました。当時の錦絵には、うちわを手にして夕涼みをする「美女」を描いた作品が多いんです。現代でも、浴衣とうちわは良く似合っていて、花火大会や縁日などでもうちわが使われていますよね。香川県丸亀市は、江戸時代からうちわの生産で知られ、現在でも日本一の生産量を誇っています。年間8300万本!全国に出荷されています。
うちわと申しますと、江戸時代の本に、うちわを放射状に取り付け、ろくろでまわしている絵が載っているものがあります。そうです、まるで扇風機と同じなんですね。江戸のアイデアそのままに、電気で動かす扇風機を考えたのは、あの発明王エジソンでした。わが国で、電気扇風機が作られたのは、1894年(明治27)のこと、ずいぶん昔からあったんですね。もっとも、昭和10年ごろまでは、扇風機ではなく、「電気扇」と呼ばれていました。
涼しい風を作り、風の強さも加減でき、タイマーまで付き、まだまだ進化中。蒸し暑い日本の夏には欠かせない、重宝な電気製品でございます。うちわ、扇風機とまいりますと、最後はエアコンですね。1950年代の後半、家庭向けに国産のエアコン、当時はクーラーと呼ばれておりましたが・・・エアコンが発売されました。オフィスでも家庭でも、涼しい場所で快適に過ごせるようになったのは、エアコンの普及が大きく影響しています。初めの頃の製品は大型で、音が大きくて、とても高かったんですが、あっという間に普及していきました。低い温度に設定して、「寒い」「寒くない」というやりとりがありました。現在、省エネと地球環境保護のために、クーラーの設定温度は28度とされておりますが、すっかり定着してきております。
夏本番。花火大会も各地で予定されております。また、縁日や学校の夏休み行事など、盛りだくさんのことでしょう。夏を涼しく過ごす工夫、ぜひ、取り入れて頂きたいものでございます。

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