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6月25日(月)〜6月29日(金)
今週のテーマは「梅雨を楽しむ」。
梅雨入りして2週間、今年もうっとうしい季節を迎えています。
しかし、梅雨は四季の中に欠かせないものでございます。
どうせ付き合うのならば、楽しく過ごしたいじゃありませんか。
6月25日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「梅雨」をご紹介します。
五月の雨と書いて、さみだれ。
有名な芭蕉の句に
五月雨を 集めて早し 最上川
という名句がございますが、この「さみだれ」が梅雨にあたるんですね。しとしと降る時期が長く続きますが、梅雨末期になりますと、大変な勢いで降ることがあります。
気象庁の分類で「非常に激しい雨」とされる降り方になりますと、1時間に50ミリ以上も降り、傘は全く役に立ちません。どんな降り方かと申しますと、夜中、眠っていても、雨音で起きてしまうほどで、まさに滝のように降る・・・という状態になるんですね。それほどの降り方でなくとも、毎日のように雨がふりますから、ふだんなら緩やかな流れも、さきほどの芭蕉の句のような急流になってしまうんです。芭蕉ばかりではありませんで、あの正岡子規も、
五月雨の 隅田見に出る 戸口かな
子規には、増水した隅田川が、印象的だったようです。梅雨の末期は集中豪雨の被害が出やすい時期ですが、この時期が過ぎると、梅雨明け近し、を知らせる雷が鳴り、ようやく鬱陶しい時期が終わるんですね。気象庁の最近50年間ほどの統計によりますと、関東甲信地方の梅雨入りの平均は6月8日、梅雨明けの平均は7月20日・・・となっております。もうしばらくの辛抱ということですね。
俳句ばかりではございません。梅雨時の雨を題材にした歌は多いんですね。なかでも、この歌は時代を越えて歌いつがれています。80年以上前に作られた「雨ふり」です。ほかにも、梅雨時をうたった歌は多いですね。「かたつむり」「てるてる坊主」「雨降りお月」などたくさんあります。雨をうたった童謡が多いことは、子供たちは雨が好きなんですね。わざわざ水溜りを選んで歩く、そんな経験を思い出す方もいらっしゃることでしょう。
6月26日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「江戸東京花めぐり」をご紹介します。
江戸時代。
江戸市中の商人や職人にとって、雨は歓迎されないものでした。雨が降れば店の客足は落ちる、外で仕事を職人は雨が降れば仕事は休みになりますからね。出来れば「からつゆ」であってほしい・・・と思っていたのでしょう。でも、時は江戸時代、一番大切なのは農業でした。カラカラ天気で収穫が減っては、困りますよね。雨は天の恵みなんです。
というわけで、雨が続くと・・・。
「暇だね。おう、花でも見にいくか」
「ああ、いいね」
この時期、花と言えば、菖蒲。江戸時代も後半になると、葛飾の堀切菖蒲園は花菖蒲の名所として有名でした。春の花見、初夏の藤と同様、日帰りの行楽地として格好の場所として知られていました。この東京歴史探訪でも、たびたびご紹介しておりますが、江戸の街は、船を使えば、郊外に行くのは思ったよりも楽だったんですね。本格的な夏に備えて、美味いものを食べて英気を養う・・・そんな過ごし方をする人も多かったことでしょう。
遠出をしないでも、身近なところで花を見ることが出来ました。町内の小さなお社や、細い路地には紫陽花などが植えられていて、眼を楽しませてくれました。大名屋敷の庭園では花菖蒲をはじめとして、丹精された花々を鑑賞できましたが、町人の世界とは無縁でした。
梅雨の晴れ間などは、連れ立って、舟を使って堀切や、近くは向島あたりに出かけ、寺や神社の紫陽花や菖蒲を見物したんしょう。江戸時代も中頃ともなれば、有名な料理屋から手軽な茶店まで、予算に応じていろいろな店が出来ていました。鬱陶しい季節の中、こんな気晴らしが出来たのは、江戸っ子のささやかな自慢になっていたようです。
雨に洗われた新緑が鮮やかに見え、色とりどりの花が咲いている様子は、浮世絵の格好の題材として取り上げられています。
江戸に本格的な夏が訪れるのは、5月28日。
両国の川開きの日です。江戸っ子はその日を楽しみに待っていたんです。
6月27日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「雨具あれこれ 傘」をご紹介します。
梅雨時に欠かせないものといえば、そう、傘ですね。
古くは貴族や僧侶の日よけとして使われた傘、雨降りの際に用いられようになったのは、そんなに古いことではないんです。
江戸時代。それまでは、笠、かぶる方の笠と、蓑(みの)が使われていましたが、竹と紙を材料にして、全国各地で傘が作られるようになりました。なかでも有名になったのが、美濃、現在の岐阜県の加納の傘でした。産業振興の元祖のようなもので、殿様が奨励して、質の高い傘づくりに励んだんです。良い竹が取れ、美濃紙として知られる丈夫な紙を使って、江戸・京都・大阪をはじめとして広く全国に流通しました。
傘作りといえば、時代劇にもたびたび登場いたします。浪人や下級武士の内職としてお馴染みですね。傘はいろいろな使われ方をしていました。江戸の呉服店では、にわか雨に備えて、貸し出し用の傘を大量に用意していたんですね。ただし、貸し出す番傘には、その店の屋号が大きな字で書かれていました。動く広告塔・・・というわけです。
傘は雨降りだけのものではありませんでした。
威勢のいい芝居の主役たちが手にする番傘や、美男美女の小道具として欠かせないものとなり、日本舞踊では今でも必需な品になっていますよね。 江戸時代の末、わが国が開国すると洋傘が次第に普及しはじめました。当初は高かったのですが、丈夫なことと格好のよさとで次第に受け入れられました。
さて、梅雨時に欠かせない傘、今年はどんな傘が売れ筋になっているのでしょう。日本橋三越本店の菊池さんに伺いました。
わが国で1年間に売られる傘の数、どのくらいだと思います?およそ、1億2千万本! 国民1人に1本の計算になります。そのうちの90パーセントを、ビニール傘が占めております。最近の傾向として、紫外線対策のために日傘の売り上げも大きく伸びているようです。
確かに、銀座や新宿の人の流れを見ておりますと、日傘をさす人の姿が増えているようでございます。
はじめに申しましたが、傘のはじまりは「日傘」であったことを考えますと、本来の利用法が見直されているのかも知れません。
6月28日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「雨具あれこれ 履物」をご紹介します。
江戸時代、江戸の中心部でも道路は整備されていませんでした。ひと雨降れば、水溜りと泥んこ・・・不便なことこの上なし。そこで、雨の日のために考えられたのが、下駄の歯を長くした足駄でした。近所に出かける時には、これで出かけて、戻ったら足を洗って、それでおしまい。実に簡単でございます。
明治時代になりますと、外国から靴が入ってまいります。とても高いものでした。普及するには時間がかかりました。しかし、雨靴が登場するのは、はるか後のことになるんですね。
ゴム長靴が初めて輸入されたのは、1905年(明治38)のこととされています。相変わらず道路が舗装されていない時代です、「これは便利だ!」驚きの声で迎えられたんですが、欠点がありました。高かったんです。給料数か月分もしたそうなんですね。やがて、国産のゴム長靴も出回るようになり、昭和に入る頃には広く使われるようになりました。
通勤に通学に、そして作業に・・・愛用されていたのはご存知の通り。
戦後、かなり後になっても、途中から雨が降り出した日などは、傘と長靴を持って駅まで出迎える姿がみられたものですよね。黒いゴム長靴、近頃、眼にする機会が減りました。その理由として、
☆ほとんどの道路が舗装されていること。
☆都心をはじめ街の中心部に水溜りが少なくなっていること。
☆車の普及が進んだこと
などが考えられます。
学校でも、昔なら雨の日にはおなじみだった長靴姿が見られなくなりました。業界団体であります日本ゴム履物協会で伺いました。ゴム長靴の国内出荷数、ピークの1963年(昭和38)には、1年間におよそ4000万足だったものが、昨年、2006年には、およそ360万足に減っています。人出がかかるゴム長靴のほとんどは海外生産に切り替わっているんです。
代わって増えているのが、ビニール製の雨靴です。毎年、おしゃれな製品が発売され、ことしも有名デザイナーの製品が人気になっています。
実用本位だった時代は終わって、今週のテーマ通りの「梅雨を楽しむ」商品に人気が集まっているんです。
6月29日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「両国の川開き」をご紹介します。
五月晴れという言葉がございますね。鯉のぼりが青空の中を泳ぐ風景を思い浮かべますが、実は、これは本来の意味とは違うんですね。
旧暦の皐月・・・新暦の6月の梅雨時におもいがけなく続く晴れの日を指すんですね。ところが、次第に、気候が安定している新暦の5月の良い天気のことも指すようになってしまったんですね。現在では、どちらの意味に使っても正しい、とされています。
さて、江戸時代のお話です。本来の「五月晴れ」、梅雨の晴れ間になりますと、街には行商の人々の姿が増えました。金魚売り・ホタル売り、そして朝顔売り。朝顔売りは、たくさんの鉢を入れて天秤でかついで売り歩きました。
江戸に本格的な夏が訪れるのは、5月28日。
両国の川開きです。旧暦の5月28日は、現在の暦では7月中旬にあたるんですが、この日から3ヶ月間、隅田川沿いには夜店が出て、夕涼みと花火を楽しむことが出来ました。花火が、梅雨明け間近か、江戸に本格的な夏が訪れを告げます。両国橋の両岸にある料理屋や茶店はもちろんのこと、川沿いにあった船宿はにぎわいました。大名や旗本、それに、御用をつとめる大商人、時代がくだってからは町人同士が舟を雇って花火と納涼を楽しむ姿が多くなります。
そのようなお金持ちが打ち上げる花火を見て、派手な遊びをみるだけでも、十分に楽しめたようで、毎晩多くの人出で賑わいました。
川開きの前後に梅雨は明けて、江戸の街は、蒸し暑い、でも楽しさに満ちた夏を迎えたのです。
江戸の川開きの伝統を受け継ぐ隅田川花火大会、今年は7月28日(土)に行われます。
ぜひ、ご覧ください。
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