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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
6月11日(月)〜6月15日(金)
スペシャルウィーク特別企画 「邦丸黄門漫遊記 飛騨路尋ね人の巻」
今回は中央道から長野道、信州松本から安房トンネルを越え、奥飛騨から飛騨高山へ向かいます。
市内のあちこちで縄文時代の遺跡が発見され、また多くの古墳も作られるなど、古代から豊かな土地だった、ここ高山ですが、2005年2月、周囲の町村を併合する形で、新しい高山市が誕生。
この新・高山市は、面積およそ2180平方メートル。これは、香川県や大阪府全体の面積よりも広く、東京都とも、ほぼ同じ広さ。
そう、高山市は、実は日本一面積の広い「市町村」なんです。

6月11日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「四季彩の宿 萩高山 高山観光ホテルの巻(前編)」をご紹介します。

美しい乗鞍連峰をのんびり眺めながらの露天風呂、飛騨牛づくしのお料理を楽しみました・・・。

6月12日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「四季彩の宿 萩高山 高山観光ホテルの巻(後編)」をご紹介します。

古代から栄えた飛騨の中心都市、高山ですが、小京都と言われる現在のたたずまいが築かれたのは、戦国時代の末期、金森長近が当時、この地域を支配していた三木氏を攻め落としてからのこと。豊臣秀吉に飛騨国を与えられた長近は、さっそく城、そして城下町の整備に取りかかりました。長近は、戦ばかりでなく、経済の重要性に気がついていたため、その町作りには工夫を凝らしました。城を取り囲んで、高台には武士の町、そしてその下に町人の町を作ることにしたのですが、こうした場合、普通は侍の土地を広く取って、町人は狭い地域に押し込められるもの。
ところが、長近は、山国・飛騨を発展させるには、商業を発展させることが大切だと考えたためか、高山では、町人に与えられた地域の方が、侍の地域よりも広かったんですね。
今に繋がる「豊かな高山」の基礎が、この時代に築かれました。また、東山には京都にならって多くの寺院が作られ、そんなところも「小京都」と呼ばれる一因となったようです。
そんな高山の素敵な町並みを眼下に見下ろす四季彩の宿 萩高山 高山観光ホテル、お風呂から上がっていよいよディナー、「飛騨牛づくし」コースをいただきます!

6月13日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「高山朝市 さるぼぼの巻」をご紹介します。

名高い高山朝市は、江戸時代の始め頃から、主に桑や花、野菜を取引する市として始まっていました。場所は市内のあちこちを転々としており、市が立つ時間も時には昼、時には夜と様々でしたが、現在では「宮川」そして「陣屋前」の2か所で、年中無休、朝6時から正午まで開かれています。私たちがお邪魔したのは、その優美な流れが京都・鴨川を思い起こさせるという「宮川」のほとりに立つ「宮川朝市」。
水面には白鷺が舞い、大きな鯉がのんびりと泳ぐ川を背に、揃いの白いテントの中、かわいらしいオバチャン達がちょこんと座り、手作りの漬物や新鮮な野菜などを商っています。戦後、行く先々で立ち退きを求められたり、さらには「戦後の象徴である闇市の名残があるのは高山の恥だ」と主張する人々により廃止運動が行われるなど、紆余曲折を経てきた朝市ですが、現在では高山観光の目玉の一つとして、押しも押されもしない人気スポットになっています。
邦丸黄門一行、慣れない早起きをして朝市へと繰り出しました。
「飛騨の匠」という言葉、ご存じの方も多いでしょう、このあたり、森林の面積がとても広く、古くから木工が盛んに行われてきました。そんな「飛騨の匠」の技が活かされた「猿ぼぼ」の置物、「ぼぼ」は飛騨弁で赤ちゃんの事、災いが「さる」、縁起物として親しまれております。

6月14日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「高山朝市 漬物の巻」をご紹介します。

本日も、昨日に引き続き、飛騨高山、宮川朝市の模様をお送りして参りますが、この朝市通りから一本、奥へ入って参りますと、そこは観光名所、その名もズバリ「古い町並み」。南北方向に、三本の通りが整然と連なっておりまして、両側には古色蒼然とした木造の町並みが広がっています。これは江戸時代初期、初代高山城主の金森長近が京都をモデルに整備したといわれる情緒満点の風景。この地域、何度も大火に襲われたため、さすがに江戸の風景そのまま…というわけにはいきませんが、それでも空襲の被害を受けていないため、明治の雰囲気がそのまま伝えられています。町のあちこちには、春、秋、2回の「高山祭」で使われる有名な「屋台」をしまう「屋台蔵」などもあり、のんびり散歩していると、あっと言う間に時間が過ぎてしまいます。さて、それでは、宮川のほとり、朝市へと戻りましょう。
宮川の朝市通り、テントが張られて店が出ているのは、川を背中にした側だけです。反対側は、いまご紹介した泉屋さんを始め、土産物屋さん、お菓子屋さん、酒屋さん、食堂などが並んでおります。こちら側も個性豊か、楽しいお店ばかりですから、高山にお出かけの際は、ぜひ覗いてみてください。

6月15日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「吉田屋の巻」をご紹介します。

名産「飛騨牛」と並んで、このところ高山の味としてクローズアップされておりますのが、「ラーメン」です。この高山ラーメンの歴史が始まったのは、今からおよそ七十年前、昭和十三年頃だと言われています。富山県出身の坂口さんという方、この方、東京や大阪などで料理の修業を続けていましたが、ふと立ち寄った高山がすっかり気に入って腰を落ち着け、料亭で働く傍ら、以前、職場で同僚だった中国人に教わった「中華そば」を屋台で売り出したのがその始まり。戦争のためいったんは中断を余儀なくされますが、坂口さん、戦後まもなく商売を再開、これが大評判となって、同様の中華そばを商う店が、高山の町、そこかしこに増えていったんだそうです。本日、お邪魔いたします「吉田屋」さんは、平成の大合併で高山市の一部となった「国府町」、緑濃い里山と田植えが終わったばかりの水田に囲まれた本当に風光明媚な素晴らしいロケーションにありまして、昔ながらのシンプルなラーメンの再現を目指しています。
母屋に上げて頂いて、素敵なログハウスで歓待を受け、お酒やつまみまでゴチソウになってしまいました。吉田さん、本当にお世話になりました。それにしても、丼にこびりつく煮干しの粉にまでこだわった、この究極の高山ラーメン、料理も実に簡単です。青ネギと、メンマ、そしてできればおいしいチャーシューをご用意頂ければ、もうそれだけで本場の味が再現できます。

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